2月が逃げていく‥明日から3月
2月はいつもの月より短いということは、頭の中で分かっていても、28日になってはじめて、その逃げ足の速さに驚く。
2月は逃げる。毎年のことながら、なにをしたというわけでもないのに、2月はあっという間に終わってしまう。
今日は寒かった。東京の最高気温は6度で、昨日より5度も低い。
カレンダーを切り取ってようやく、明日からは3月だということが現実味を帯びてくる。
まだ今年1年の計画もろくに立ててないのに、もう1年の6分の1が過ぎてしまったのか。
この分では、今年の計画をたてようと考えているうちに、1年が終わってしまいそうだ。
去年11月に予約しておいた胃カメラ検査の日が、ずいぶん先のことだと思っていたのに、10日後に迫ってきた。
明日はその検査に先立って、感染症の検査を受けに行かなければならない。
どうなに未来のことであっても、その時点が具体的に決まっていることがらは、必ず訪れる。
あたりまえのことのようだが、僕はこのことを最近になってようやく悟った。
21世紀もやってきた。日韓共催W杯サッカーも、アテネ五輪もトリノ五輪も、日程が決まっているものはすべて訪れて終わっていった。
ドイツW杯サッカーも、すぐにやってきて終わっていくだろう。
それどころか、2年後の北京五輪も、4年後のバンクーバー冬季五輪も、先のように思えるが意外にすぐにやってきて、また終わっていくに違いない。
ロンドン五輪は6年後だ。その4年後の2016年五輪は東京開催になるのだろうか。
10年後のことだが、そんなに遠い話でもないような気がしている。
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花瓶の花が枯れかけてきたので、いつも花を買っている近くの市場に何度か行ってみたが、あるはずの花がない。
僕が駆け出しのサツ回りをしていたころは、携帯電話など影も形もなかった。
女子フィギュアで「金」に輝いた荒川静香選手の素晴らしい演技の中でも、ひときわ強い印象と感銘を与えてくれたのがイナ・バウアーだ。
ところが、荒川選手のイナ・バウアーは、上体を完全に後ろに折り曲げて、顔の向きは進行方向と180度反対となり、それどころか視線はもはや後ろ側のリンク面に向けられるほどなのだ。
荒川静香選手の「金」。
前回の4回目で取り上げた毛沢東の死去があった1976年は、日本ではロッキード事件の年として記憶されている。
この日、朝日はロッキード事件とは全く関係のない大ニュースによって、もう1つの号外を出すことになる。
今日は、表の「時間の岸辺から」と連動して書く。
外国の要人の死去によって日本で号外が出たのは、1963年11月のケネディ暗殺と、1976年9月の毛沢東の死去の2件くらいしか、僕の記憶にはない。
僕は、毛沢東について特別な思い入れはないが、思い出らしいものがあるとすれば、3年前の2003年9月、シルクロードを旅したときに買った古い「毛沢東時計」がいまも部屋の隅にある。
確定申告は16日からだが、かつて確定申告期間中に行って大混雑の中を長時間待たされた経験から、僕は開始日の少し前に早めに行くようにしている。
寒い寒いといっているうちに、確定申告の季節がやってきた。
昭和から平成に変わって2年が経った1991年(平成3年)の正月、ペルシャ湾では前年後半から高まっていた軍事的緊張がピークに達していた。
15年前に購入した洗濯機が、昨日、スイッチを入れても動かなくなった。
映画「ゴジラ」の音楽で知られる伊福部昭さんが8日夜、91歳で死去した。
この惨状を伝えるテレビが、制服の乙女たちによる「平和への祈り」の合唱を中継する。
松下電器が、20年前から14年前にかけて製造販売したFF式石油暖房機が重大事故につながるおそれがあるとして、購入者を探している。
秋篠宮妃紀子さまがご懐妊されたというニュースには、びっくりした。
立春寒波の襲来で、今日も凍てつくような寒さが続く。
戦後最大の疑獄事件となったロッキード事件が、アメリカの議会で発覚したのが、30年前の今日2月4日だった、と今朝の朝日新聞「天声人語」が書いている。
昨年の12月、真冬のような厳しい寒さの中で、前の冬が終わる時にしまっておいたマフラーを取り出そうとしたのだが、これが見つからない。
忘却のかなたへ忘れ去られていたものを発見した時は、驚きを通り越して、しばし立ちすくむ。
昭和64年(1989年)が明けて間もない1月7日、その日は土曜日であった。
今日から駅の構内や電車の中に、朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」のポスターが貼られている。

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