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2006/02/28

2月が逃げていく‥明日から3月

2月はいつもの月より短いということは、頭の中で分かっていても、28日になってはじめて、その逃げ足の速さに驚く。

2月は逃げる。毎年のことながら、なにをしたというわけでもないのに、2月はあっという間に終わってしまう。

今日は寒かった。東京の最高気温は6度で、昨日より5度も低い。

カレンダーを切り取ってようやく、明日からは3月だということが現実味を帯びてくる。

まだ今年1年の計画もろくに立ててないのに、もう1年の6分の1が過ぎてしまったのか。

この分では、今年の計画をたてようと考えているうちに、1年が終わってしまいそうだ。

去年11月に予約しておいた胃カメラ検査の日が、ずいぶん先のことだと思っていたのに、10日後に迫ってきた。

明日はその検査に先立って、感染症の検査を受けに行かなければならない。

どうなに未来のことであっても、その時点が具体的に決まっていることがらは、必ず訪れる。

あたりまえのことのようだが、僕はこのことを最近になってようやく悟った。

21世紀もやってきた。日韓共催W杯サッカーも、アテネ五輪もトリノ五輪も、日程が決まっているものはすべて訪れて終わっていった。

ドイツW杯サッカーも、すぐにやってきて終わっていくだろう。

それどころか、2年後の北京五輪も、4年後のバンクーバー冬季五輪も、先のように思えるが意外にすぐにやってきて、また終わっていくに違いない。

ロンドン五輪は6年後だ。その4年後の2016年五輪は東京開催になるのだろうか。

10年後のことだが、そんなに遠い話でもないような気がしている。

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2006/02/27

遠くまで歩いて、桃の花を買う

06-02-27_16-18花瓶の花が枯れかけてきたので、いつも花を買っている近くの市場に何度か行ってみたが、あるはずの花がない。

売り切れたのか、もう花を置かなくなったのかと、市場の人に聞いてみると、花はしばらくお休みだという。

桃の節句を前にして、しばらくお休みとは、つまりは花屋さんがつぶれてしまったか、撤退してしまったかであろう。

そこで、花をどこで買ったらいいのか思案に暮れる。

新宿まで行けばデパートの花屋があるが、花を買うためだけに電車に乗るのもなんとなくいやだ。

かなり歩いて、山手線沿いにある花屋まで行く。電車で新宿に行ったほうが早かったかも知れないが、この花屋は小さいけれども品揃えがよくて安い。

桃の節句が近いことを思い出して、桃の花の入っているものを買う。

桃の花はぽろりと落ちてしまいやすいので、花瓶に生けるときにも注意を払う。

それでも2、3の花が落ちてしまったが、生けてしまえばぶつかったりしない限りは落ちることはない。

僕の最後の職場は、女性の多い職場だった。

毎年3月3日になると、僕はなぜというわけでもないが、雛あられに桃の花1本を添えて、差し入れとして職場の休憩室に持っていった。

あれから10年になる。

桃の花を見ると、みんなどうしているだろうか、と思い出す。

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2006/02/26

とっておき号外に見るあの時(6)-空の大惨事

06-02-26_16-14僕が駆け出しのサツ回りをしていたころは、携帯電話など影も形もなかった。

出先にいる時に会社から用件がある時は、弁当箱の半分もあるような大きなポケットベルがピーピーと鳴った。

1971年7月30日、ポケベルが鳴って、近くの赤電話から会社に電話を入れる。

デスクの声は興奮して上ずっていた。

「君ぃ、世界最大の飛行機事故が起きた。全日空機と自衛隊機が空中衝突した。すぐに現場にとんでくれ」

こうして僕は現場に行ったはずなのだが、不思議なことに僕の記憶は、その電話の直後から完全な空白になっていて、どんなに思い出そうとしてみても、何一つ覚えていないのだ。

現場は岩手県雫石だ。どうやって行ったのか。何人で行ったのか。前線指揮をとったのは誰だったのか。

前線本部はどんなところで、僕はそこで何をしたのか。すべてがおぼろな断片すらも思い出せない。

かろうじて、僕の手元に端がボロボロになりかけた号外が残っている。これも、どの段階で手に入れたのか全く覚えていない。

事故では全日空の乗客乗員162人全員が死亡し、当時としては世界最大の犠牲者数となった。自衛隊機の乗員2人はパラシュートで脱出して無事だった。

この事故があった月の初め、7月3日には、東亜国内航空のYS11型機「ばんだい号」が函館空港手前で山に激突・墜落して68人が死亡する事故が起きている。

僕は「ばんだい号」のときにも、ポケベルで呼び出されて現場に行っており、やはりほとんど記憶にないものの、いくつかの断片的な場面が焼きついている。

犠牲者の遺体安置所となった体育館で、遺族たちが変わり果てた肉親と対面して身元確認をしていく。

僕は2階に張り巡らされた回廊から全体の様子を取材していたのだが、この遺族たちの様子を至近距離から撮影しようとするカメラの放列が凄まじい。

どの遺族たちも、遺体との対面の瞬間には声にならない叫びを上げ、やがて号泣しながら崩れていく。

カメラ、とりわけテレビカメラは、これでもかこれでもかと、傍若無人にそして執拗に、遺族たちの悲しみの瞬間を撮り続ける。

たまりかねた遺族たちから、報道のカメラに抗議の声が相次ぎ、東亜国内航空の職員たち、地元自治体や消防団の人たちなどが、遺族たちの前に防護壁となって立ちはだかり、カメラを遮ろうとする。

こんどは、カメラマンたちが、これらの職員たちに罵声を浴びせる。最初は「どいてください」だったのが、やがて「おい、どけよ!」の怒号になる。

その場にいるだけで、いたたまれなくなり、逃げ出したくなるような、おぞましい光景だ。

今では、このような身元確認の現場ではほとんどの場合、報道陣の立ち入りは禁止だが、それが当然だと思う。

とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成
とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争
とっておき号外に見るあの時(4)-毛沢東の死
とっておき号外に見るあの時(5)-ロッキード事件

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2006/02/25

「金」の荒川静香が魅せた至宝のイナ・バウアー

Arakawa1111女子フィギュアで「金」に輝いた荒川静香選手の素晴らしい演技の中でも、ひときわ強い印象と感銘を与えてくれたのがイナ・バウアーだ。

僕のパソコンで、「いなばうあー」を変換しようとしたら稲バウアーになってしまった。

なるほど、実るほどに頭をたれておじぎをする稲穂のようなポーズなので、それでbowなのか、と一瞬、おかしな錯覚に陥る。

しかし、このイナ・バウアーは、西ドイツで1941年に生まれて50年代に活躍した女子フィギュアスケートのIna Bauer選手が初めて取り入れたことから名前がつけられたもので、もともとは人名なのだ。

イナ・バウアーの定義としては、「片方のひざを曲げ、もう片方の足は後ろに引いて伸ばした姿勢をとる。多くの場合、上体を後ろへ反らせている」と説明されている。

ほかの選手でイナ・バウアーを取り入れているのを見ると、上体を少し反らせる程度で視線は進行方向を向いているポーズが少なくない。

Arakawa2111ところが、荒川選手のイナ・バウアーは、上体を完全に後ろに折り曲げて、顔の向きは進行方向と180度反対となり、それどころか視線はもはや後ろ側のリンク面に向けられるほどなのだ。

世界一美しいイナ・バウアーと絶賛され、これほど鋭角的な強い反り返りでリンクにカーブを描ける選手はほかにいない。

現在の採点方法では、ジャンプやスピンと違って直接の得点にはならないというが、荒川選手の演技で観客が最も大きな歓声を上げたのはイナ・バウアーだった。

直接の得点につながらないのに、あえてこの技を大舞台で披露したところに、僕は今回の「金」の真髄があるような気がする。

頭が氷に着くかと思われるほど反り返ったポーズで、寸分の乱れもなくきれいなカーブで滑るのは、想像に絶することだ。

そもそも、重心の位置をコンピューターで計算したような正確さで考えていなければならない。

重心の位置は、常に2つのスケートを結ぶ線分の真上になければ、バランスを失ってしまう。

3次元空間の中での自分の位置と運動方向・速度を、このポーズのままで判断し続けなければならないというのは、神業といっていい。

「金」を獲得した「静香の舞」をテレビで何度も見たが、4分間というのがこれほどに長い時間だったことに驚かされた。

演じている選手にとっては、永遠に続くかと思われるほどに長く感じられる4分間ではないだろうか。

荒川選手の歴史的な4分間は、夢のように美しいイナ・バウアーとともに、多くの人々の心に刻みこまれ、伝説として語り継がれていくに違いない。

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2006/02/24

荒川選手の「金」、スポニチは号外つき朝刊

06-02-24_16-14荒川静香選手の「金」。

時間帯が時間帯だったため、この快挙はもちろん一般紙もスポーツ紙も、朝刊には入らない。

街頭で号外を配布した社もいろいろあったようだ。

朝刊に載るはずのない時間帯なのに、駅のキヨスクに積まれたスポニチだけは、なんと「荒川 金」が写真付きで入っている。

よく見ると、このニュースの入っていない朝刊の上に、号外を重ねてワンセットで販売しているのだ。

なるほど、こういう方法があるのか、と感心して僕も買った。号外がついていて、普段の朝刊と同じ130円だ。

それにしても、トリノで日本が1個のメダルもとってない状況で、女子フィギュアにはすさまじい重圧がかかっていた。

日本マスコミの取材陣も、すべてが3人娘に集中して、もはやなんとしてもメダルを取らなければならない引くに引けない事態になっていた。

こうした極限のプレッシャーの中で、最高の演技をすることが出来た荒川選手の精神の強靭さには感嘆する。

日ごろの力を出し切るということは、大舞台になればなるほど難しいものだ。ほんのちょっとした運不運が形勢を大きく左右する。

しかし、運を味方に引き込むことも、極めて大切な実力のうちなのだ。

日本中がせめて銅でも、と祈るような思いで見つめていた本番で、史上初の「金」とはなんとゴージャスな贈り物だろうか。

結果論になるが、トリノでの日本選手団の絶不調は、すべて荒川選手の劇的な「金」をもたらすために敷かれていた道だったのかも知れない。

荒川選手は日本選手団を救っただけでない。彼女は日本と日本人を救ったといっていい。

実は僕は、朝からまだテレビを見ていないので、どんな演技だったのかはまったく分からない。

夜のテレビでゆっくりと、「静香の舞」を見てみたい。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「40年という時間の壁を超えて届いた1通のメール」をアップロード)

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2006/02/23

ガセネタで大醜態の民主党は解党せよ

「堀江メール」問題での今回の民主党には、あきれはてて言うべき言葉も見当らない。

これが、自民党に代わって政権を担おうとする政党のすることだろうか。

あまりにもおそまつで、その醜態ぶりは目をおおいたくなる。

だいたい、2大政党制の到来だなどと、民主党をおだてあげてチヤホヤしてきたマスコミにも問題がある。

ホリエモンをおだててチヤホヤしてきたのと、まったく変わらない。

民主党にはどこか信頼しきれない頼りなさを感じてきた国民は多いと思うが、今回のガセネタ問題でこれまで仕方なしに民主党を支持してきた人たちは、一気に支持の持って行き場を失ってしまう。

僕はこの際、民主党は解党するしかない、と思う。

前原代表の憲法や安全保障、対中国外交などの考え方は、自民党の中のタカ派よりも右よりなくらいで、自民党と政策で争うことなどとても無理なのだ。

民主党は、自民右派に合流する人たちと、自民のリベラルに合流する人たち、そして社民党と合流する人たちの3つに大きく分党すべきだ。

そのいずれにも属したくない人たちは、彼らだけの小さな政党をつくればいい。

社民党は、民主党の中の護憲勢力を幅広く迎え入れて、かつての勢いを取り戻すべきだ。

今回の民主党の大失態は、政界流動化と再編成につかがってこそ、意味があるというものだ。

小泉後の自民党を2つに割る起爆剤としても、千載一遇の出来事ではないだろうか。

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2006/02/22

モーツァルトの弦楽五重奏曲ト短調

このところ、とりたてて興味をそそられる話もなく、2月は逃げるといわれるように、いたずらに一日一日が過ぎていく。

ふと思い立って、モーツァルトのCDを買ってきた。

弦楽五重奏曲第4番ト短調。なぜこれを買ったかというと、たぶん僕の知らない曲だろうということと、ト短調という調性にひかれたのだ。

交響曲第25番も交響曲第40番も同じで、モーツァルトの「宿命の調性」なのだそうだ。

さて、このト短調の弦楽五重奏曲を聴いてみたら、驚いたことに僕が聴いたことのある曲で、もしかしてLPレコードで持っているかも知れない。

僕はたぶん学生時代にこの曲を2、3回聴いているはすだが、当時は何の興味も覚えず、とりたてて印象に残った記憶もない。

しかし今回聴いてみると、その悲痛さと深遠さに圧倒され、心を激しく揺さぶられる。若いころの僕は、いったい何を聴いていたのか、と思う。

モーツァルトだけでなくほかの作曲家のものもそうだが、僕は交響曲や管弦楽曲ばかりに偏重していて、室内楽曲や器楽曲を頭から軽視していたのだ。

どうせレコードを買うなら、豪華な響きのオーケストラものを、という浅はかな考えもあった。

だが年を経るとともに、僕の方がすこしずつ変わってきた。

オーケストラ全体の響きの中で、第1バイオリンの高い旋律が聞き取りにくくなってきて、中間部と低音部の旋律だけによる全く別な曲に聞こえてしまうようになった。

室内楽曲や器楽曲は、バイオリンの高い旋律がほかの響きの中に埋没することなく、クリアに聞こえる。

こうして僕の好みは、管弦楽の曲から室内楽曲や器楽曲へと、しだいにシフトしつつある。

ト短調の弦楽五重奏曲は、第3楽章までは短調の力強さをあますところなく生かしているが、第4楽章の序奏のあとでいきなり長調に転調する。

このくだりは、アインシュタインをして「ある種のショックを感ぜざるをえない」といわしめたところだという。

軽快な長調の旋律は、むしろ痛々しいくらいで、透明感の中にモーツァルト的な哀しさがあふれている、という感じだ。

僕はこれまで、室内楽曲は食わず嫌いで接する機会が少なかったが、これからは意識的に聴いていこうかな、と思い始めている。

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2006/02/21

とっておき号外に見るあの時(5)-ロッキード事件

06-02-21_15-12前回の4回目で取り上げた毛沢東の死去があった1976年は、日本ではロッキード事件の年として記憶されている。

この年の2月4日、日本にとって全くの寝耳に水のニュースが海外から飛び込んできた。

米上院外交委員会で、ロッキード社が航空機売り込みのため、日本の政府高官に多額の工作資金を渡したことが明るみに出た。

政府高官への橋渡しをしたとして名前が出たのが、児玉誉士夫や小佐野賢治らの政財界の大物黒幕であった。

政府高官とはいったい誰なのか。売り込みルートは、どのようなものであったのか。

東京地検、警視庁、東京国税局が強制捜査に乗り出し、日本国内は騒然とした雰囲気になっていった。

僕の手元には、いくつかの号外が残っている。

7月8日、若狭全日空社長の逮捕を報じる読売号外。

7月13日、檜山丸紅前会長の逮捕を報じる毎日号外。

7月27日には、田中角栄前首相逮捕という衝撃的な事態を迎える。残念ながらこの角栄逮捕の号外は僕の手元にない。

その後も捜査の手はゆるめられることなく、8月21日、こんどは橋本登美三郎元運輸相が取調べを受けた。

右上の号外はその日の昼前に出された朝日の号外で、「午後には逮捕する見込み」となっていて、この号外の直後に逮捕となった。

06-02-21_15-13この日、朝日はロッキード事件とは全く関係のない大ニュースによって、もう1つの号外を出すことになる。

甲子園で行われた全国高校野球選手権大会の決勝で、西東京代表の初出場、桜美林が強豪PL学園を延長戦の末、4-3で逆転して全国制覇を果たしたのだ。

東京勢の優勝は、大正5年以来なんと60年ぶりのことで、東京だけの配布ではあったが、同じ日に2つの号外が発行される珍しい事態となった。

同じ日に複数の号外が出たケースとしては、このシリーズの1回目と2回目で触れた1989年1月7日の「天皇危篤」「崩御」「新元号は平成」の3種類がある。

これは昭和から平成への一連の流れに添った号外だったが、全く異なる出来事で2つの号外が同じ日に発行されたのは、ほかにあまり記憶がない。

とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成
とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争
とっておき号外に見るあの時(4)-毛沢東の死

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2006/02/20

週間天気予報がズルズルと外れっぱなし

このところ、天気予報が大はずれするケースが目立つ。

3カ月予報が全く当たらないのには驚かないが、この先1週間の予報さえも当たらない。

先週の週間予報は何と言っていたか。真冬並みの寒さは18日の土曜日までで、日曜日以降は4月並みの暖かさになる、と言っていた。

それが、寒さは19日の日曜日まで続くことに変更になり、20日の月曜日からは暖かくなる、というふうに変わった。

やれやれ、せっかく期待していたのに1日延ばしか、と思っていたら、昨日の段階になって、寒さは20日の月曜日まで続くが、21日の火曜日からは春本来の暖かさになる、という。

いったい、どれだけ1日延ばしにするつもりか、とあきれていたら、今日になって、またまた予報は変更されて、寒さは21日の火曜日まで続き、22日の水曜日から暖かくなるのだという。

こんな予報ならばネコにだって出来るし、サイコロを振って予報したところで同じだ。

きっとまた、明日になればまた予報が変わって、寒さは22日の水曜日までで、23日の木曜日からは春の暖かさになる、というふうになるような気がする。

これだけ厳しい寒さが長く続いた中で、暖かくなるという予報がどんどん外れて1日延ばしになっていくのは、とても罪作りだ。

気象庁は確信が持てない予報を無理に発表するのはやめて、分からない場合には「この先一週間の天気は、まことに申し訳ありませんが予測不能です」というような発表をしてみたらどうか。

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2006/02/19

ミキティ戦争勃発、安藤美姫のほかライバル多数

トリノでは日本のメダルがなかなか出ない。

新聞の各国別メダル一覧表を見ても、1個以上のメダルを獲得した国は23カ国あるのに、日本の名前はこの表にない。

事前のマスコミが騒ぎすぎで過剰期待だった、などというもっともらしい解説も出始めている。

このまま日本はメダルゼロで、トリノは閉会してしまうのだろうか。

女子フィギュアスケートはこれからだが、日本期待の3人娘はメダル危機を救えるだろうか。

話はそれるが、安藤美姫選手の愛称は、いつからミキティになったのだろうか。ていうか、なぜミキティなのだろう。

引き合いに出すのも恐れ多いが、美智子皇后のご成婚の時は、ミッチーブームと呼ばれていた。

だったら、安藤美姫はミッキーではないのか、と思ったが、これではあのマウスになってしまうからか。

マウスでは気の毒なので、むしろキティちゃんを連想させるミキティになったのか、などと勝手に解釈して納得していた。

ところが、僕は知らなかったのだが、ミキティという愛称はすでに、モーニング娘の藤本美貴が獲得してファンの間に定着している、というから事態はややこしくなっている。

ミキティの愛称にふさわしいのは、藤本美貴か安藤美姫か。こうして、ついに「ミキティ抗争勃発」なる騒ぎへと発展していって、どちらがミキティかを決める国民投票(?)へと、ますますエスカレートする様相なのだ。

さらにさらに複雑なのは、「はてなダイアリー」で見てみると、いまミキティの愛称を付けられているのは、この二人のほかにも何人もいるのだ。

ガンバ大阪のFW三木良太、美少女クラブ31の原幹恵、さらになんと楽天の三木谷浩史社長まで。

それどころか、ミキティという競走馬もいる。

この熾烈なミキティ戦争を勝ちぬいて、真のミキティとして世間から認知されるのは誰か。

僕は安藤美姫選手が、メダルを獲得するか、もしくは4回転ジャンプに失敗しても笑顔で可愛く立ち直るなど、強い印象を与えることが出来れば、ミキティの称号を獲得できるような気がしているのだが‥。

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2006/02/18

サイトにおける指数の表し方

ウェブサイトやブログなどで、数字の右上に小さく書かれる指数をどのように書き表すのだろうか。

僕は、HTMLで指数を表すことは出来ないのだと、ずっと思い込んでいた。

そのため、指数を表す必要がある場合には、(1+1/365)^365のように ^ の記号をつけて、その後ろが指数であるという約束事になっているものと思っていた。

この約束事に従って僕は、去年8月6日のこのブログでアインシュタインのエネルギーと質量についての関係式を書き表すのに、

「E=mc^2」(注:実際には2乗をあらわす2は、cの右肩上に小さな文字で書かれている)

という、煩雑で分かりにくい書き方をしていた。

しかし、昨日、「博士の愛した数式」に関連して表の「時間の岸辺から」に指数をいろいろと書き表す必要に迫られ、いい方法はないものかと試行錯誤しているうちに、最近のHTMLには指数を表すタグがあることを初めて知った。

supというタグがそれで、このタグではさまれた文字が指数として右上に小さく表示されるのだ。上記のケースでこれを適応すると、こんな具合になる。

(1+1/365)365

E=mc2

検索してみると、supはSuperscriptの略で、上付き文字を表示させるタグという。

下付き文字を表示させるsubというタグもあって、これはSubscriptの略だという。

これでやると、2H2+O2→2H2Oのような表示が出来る。

僕が表のホームページを開設した1997年ころは、これらのタグはなかったような気がするが、僕が知らなかっただけで、当時からあったのだろうか。

いまごろにして目からウロコの思いだ。

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2006/02/17

1年3カ月ぶりに観た映画、「博士の愛した数式」

06-02-17_22-13今日は、表の「時間の岸辺から」と連動して書く。

久々に映画館で映画を観た。

一昨年11月に「ハウルの動く城」を観て以来、1年3カ月ぶりの映画館である。

これだけ長い間、映画館に行かなかったのは、僕が物心ついてから初めてかも知れない。

久々に大きなスクリーンで映画を見て、映画館というのは暗いものなのだという、あたりまえの事実に、僕はあらためて驚いた。

日ごろ、テレビやパソコン、ケータイの画面を明るい中で見慣れている身には、ちょっとしたショックだった。

映画館の暗さは、ハンパな暗さではなく、真っ暗であり、闇なのだ。

この暗い中に存在している世界は、スクリーンの世界だけであり、それを見ている自分だけだ。

余分の光も見えず、余計な雑音も聞こえない。

これは、映画を鑑賞するという行為にとって、本質的な前提条件だったのだ。

僕は、テレビで放映する映画の意義を否定するつもりはないが、テレビやビデオで映画を観るのは、自分が一度見ている映画に限る、という気がする。

まったく初めて観る映画を、家でビデオで観たらどういうことになるか。

僕はかって、キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」を初めて家のビデオで観た時には、こりごりしたものだ。

息をつくことも出来ない重要なシーンというのに、配達か何かで玄関のチャイムは鳴る、勧誘の電話はかかってくる、表でけたたましいサイレンが鳴る、さおだけ屋がのんびりと声をあげて通過していく。

さらに、不要家電の回収に回っている車がスピーカーで呼びかけてまわる。

結局のところ、こうしたモロモロの音によって、映画の内容に集中できないのだ。

久々に入った映画館は、こうした音や光のノイズを遮断していて、すっきりと映画に集中することが出来た。

評判どおりの素晴らしい映画だった。

タイトルにある「博士の愛した数式」がどんな数式なのかについては、表の「時間の岸辺から」の方に連動して書いた。

数と数式がこの映画を流れる横糸だとすると、縦糸になっているのが実に意外なことに、阪神タイガースと江夏である。

これ以上はネタバレになってしまうので書けないが、阪神ファン、とりわけ江夏のファンは必見の感動作だ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「博士が愛したオイラーの公式の神秘的な美しさ」をアップロード)

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2006/02/16

とっておき号外に見るあの時(4)-毛沢東の死

06-02-15_15-14外国の要人の死去によって日本で号外が出たのは、1963年11月のケネディ暗殺と、1976年9月の毛沢東の死去の2件くらいしか、僕の記憶にはない。

毛沢東に関しては、幾度となく重病説や死亡説が西側の報道機関に流れ、日本でも夕刊紙が疑問符付きでたびたび報じていた。

全国紙はこうしたウワサに対して極めて慎重だったが、1976年9月9日日本時間の午後5時、北京放送は同日午前1時10分に毛沢東主席が病気のため北京で死去したと発表した。

ちょうど夕刊の配達が終わったころの時間帯で、翌朝の朝刊が配られるまでには相当の時間差があるため、帰宅ラッシュの駅頭や夜の繁華街で号外が配られた。

僕の手元にある号外は、どのようにして入手したのか記憶にないが、街頭配布のものをもらったのかも知れない。

この号外の本文は、北京放送の発表を伝えるだけの、わずか60文字である。

あとは写真と経歴が1面に入り、2面には「毛主席 波乱に富んだ82年」という記事と「毛語録」が載っている。

06-02-15_22-13僕は、毛沢東について特別な思い入れはないが、思い出らしいものがあるとすれば、3年前の2003年9月、シルクロードを旅したときに買った古い「毛沢東時計」がいまも部屋の隅にある。

トルファンのベゼクリク千仏洞に通じる道に、さまざまな土産店が品物を並べていて観光客に声をかけていた。

その中に骨董品を置いている店があって、時計は日本円で1万5000円だったが、値段交渉の結果、わずか1000円で買った。

左に毛沢東、右に林彪の写真があり、文字盤には若き日の毛沢東の顔と「毛沢東万歳」の文字、そして毛語録を掲げる人民服の男女若者たちの姿が描かれている。

秒針の先端には人民解放軍の戦闘機があって、文字盤を回転する仕組みだ。さらに手前に描かれた女性の右腕が、秒針の回転につれて、からくり時計のように左右に動く。

ねじを巻けばいまも動くし、目覚ましのベルも鳴る。

この時計を使っていたのは、どんな中国人の家庭なのだろうか、と想像してみる。

生活が苦しくなって、時計すら売らざるを得なくなったのだろうか。それとも、裕福になって新しい時計を買ったために、古くなった時計を手放したのだろうか。

ねじを巻かないために止まったままの毛沢東時計と、その前で30年ぶりに広げてみる毛沢東死去の号外。

時間の流れが一気に逆流したかのような錯覚に陥る。

とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
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とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争

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2006/02/15

防災無線の安易な使用は、狼少年になってしまう

区の防災無線スピーカーからチャイムの音が聞こえてくると、僕はすぐにベランダの戸をあけて、音が聞こえやすいようにする。

何か緊急に地域全体の人々に伝えたいことを、これから流すのだろう、と緊張して聞き入る。

「光化学スモッグ注意報が発令されました。外出は控えてください‥」

「大型の強い台風が接近中です。十分警戒してください‥」

とくに光化学スモッグなどは、目でみても分からないし、ネットでもほとんど伝えないので、防災無線はなかなかありがたいものだと思っている。

これは中野区の防災無線なのだが、近くに住む僕の家まで風に乗って聞こえてくるのだ。

今日も午後2時ころだろうか、防災無線スピーカーのチャイムが聞こえてきた。

何事が起きたのだろうか、とベランダの戸をあけて、聞き入る。

こちらは なかのくやくしょ です
くでは ちいきぐるみで こどもたちを みまもるうんどうを すすめています
こどもたちの あんぜんのため みなさまの きょうりょくを おねがいします

これを2回繰り返して、チャイムが鳴って防災無線は終わった。

正直言って、なあんだ、という感じである。

子どもを見守る運動は重要だと思うが、それは防災無線スピーカーで広域的に流さなければならないことなのだろうか。

この運動に取り組んでいる担当部署の人たちが、なんとか防災無線を使ってでも区民の意識を高めたい、と懸命なのも分かる。

しかしこれは、防災無線の本来の役割からはずれていないか。

防災無線スピーカーからチャイムが鳴れば、だれでも何だろうか、と耳を傾ける。

授業中のクラスでは、先生の話を中断して聞き入るだろう。会議の最中でも、この瞬間は話が途切れるだろう。

コンサートや演奏会の最中であっても、会場によっては防災無線の音は遠慮なく入り込んでくる。

披露宴のあいさつの途中でも、告別式の弔事の最中でも、防災無線は流れてくる。

それを皆が容認しているのは、ひとえに防災無線の内容が人の命や健康にかかわる緊急の用件である、という了解事項があるからなのだ。

重要なことだから、大切なことだから、と緊急性のない内容をあれもこれもと防災無線で流したら、どういうことになるか。

それは「狼が来た」と騒ぎ立てる狼少年と同じである。

本当に緊急の時に、防災無線のチャイムが鳴っても、「どうせまた‥」と耳を傾ける者はいなくなるだろう。

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2006/02/14

バレンタイン確定申告、待ち時間ゼロでスイスイ

06-02-14_16-32確定申告は16日からだが、かつて確定申告期間中に行って大混雑の中を長時間待たされた経験から、僕は開始日の少し前に早めに行くようにしている。

去年も14日のバレンタイン申告でスイスイと通っているので、今日も国税庁ホームページの申告書作成コーナーで作った書類を持って税務署に行ってきた。

ここだけの話だが、確定申告は2月16日の前に行っても、相談に乗ってくれるし提出も受け付けてくれる。

今日は税務署を訪れる人もまばらだったが、それでも20人ほどの人が申告書を手にして担当者から書き方を教わったりしていた。

僕は「国税庁のホームページから作成したので、これでいいかどうか見てください」と言って書類を見せると、担当者は30秒ほどで全ての記入事項をササッとチェックして文書収受のハンを押してくれた。

そのまま提出の受付に出して、これで確定申告は終了だ。

16日より前に行っても受け付けてくれることをPRしていないのは、職員の体制が整うのが16日からであって、その前にどっと大勢が申告に来ると対応出来ないためだろう。

しかし、やみくもに早く行ってもいいというわけではなく、早すぎると相談に乗ってくれる職員がいなくて困ることもある。

僕の経験では、必要書類を整えて自分でほぼ作成した上で、バレンタインのころに行くのが一番スムーズに受け付けてもらえるような気がする。

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2006/02/13

世はあげてウェブ2.0、その意味するものは‥

このところ、ウェブ2.0ないしはWeb2.0という言葉をあちこちで見かけるようになった。

ウェブ2.0的、と形容詞のように使われることも多い。

ウェブ2.0的価値観、ウェブ2.0的キーマン、ウェブ2.0的投資、等々。

さらに、ウェブ2.0時代、ウェブ2.0系、ウェブ2.0化、ウェブ2.0パラダイム、ウェブ2.0コンバージョン、ウェブ2.0インプリケーション、ウェブ2.0関連企業となんでもありで、世はまさにウェブ2.0なのだ。

ところで、ウェブ2.0って何の意味? これが分かったようで分からなく、意外に深遠な内容をはらんでいる。

2.0という言い方には、インターネットの登場と普及という第1段階が終わって、新しい第2の段階に入った、という意味がある。

インターネットの新しい第2の段階とは、どういうものであるのか。

それこそが、ウェブ2.0が意味するところであり、「ユーザーが生成するコンテンツ」あるいは「ユーザーが生成する集合的知性」、「参加のアーキテクチャー」などと説明されている。

これでも分かりにくいが、昨日の日経のコラムによると、「参加しやすい」「つなげやすい」「自分にちょうどよい知恵が集まる」というわかりやすさ、やさしさを適切な技術とビジネスモデルで実現するのがウェブ2.0であるとして、このブームの主役はブログである、と書いている。

なるほど、ブログはウェブ2.0なのか、と目からすこしだけウロコが落ちる。

僕が1997年から開設している表のサイト「21世紀の歩き方大研究」は、インターネット第1段階の状態に踏みとどまっていて、ウェブ2.0時代からははっきりと遅れてしまっている。

その裏バージョンとして作っているこのブログは、ウェブ2.0の末席につらなる可能性がある、あるいは内容によってはウェブ2.0的になりうる、ということなのだろうか。

発想や思考も、ウェブ2.0的により柔軟に、より斬新に切り替えていく必要があるのかも知れない。

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2006/02/12

今年もネットで確定申告書作成

06-02-12_17-31寒い寒いといっているうちに、確定申告の季節がやってきた。

早めに行かないと大変な混雑になって待たされるはめになるので、今日は源泉徴収票やら保険の証明書やらを整理して、確定申告の書類を整える。

一昨年までは、税務署に行ってから、あれこれ担当者に書き方を教えてもらいながら、やっとのことで提出書類を作っていたが、去年からは国税庁のホームページからダイレクトに作成出来ることを知って、それを利用している。

確定申告書作成コーナーの「所得税の確定申告書作成」のところから入って、生年月日や住所氏名を入力し、あとは画面の指示に従って源泉徴収票や証明書の数字を入力していくだけ。

控除額の算出や面倒な計算はすべて自動的にやってくれ、収める税金または還付される税金もたちどころに決定される。

やったあ。僕は今年も税金が返ってくることが分かった。

毎年、こうやって税金が返ってくるといいのだが、そうは甘くないか。

ともあれ、書類が出来あがると印刷画面になり、これで印刷するとすべての提出書類と控えの書類がきれいに出てくる。

あとは証明書などを裏に張って、持って行くか郵送すればいい。

僕は税務署まで近いので、来週の後半あたりに、散歩がてら持っていく予定だ。

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2006/02/11

とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争

06-02-11_14-361昭和から平成に変わって2年が経った1991年(平成3年)の正月、ペルシャ湾では前年後半から高まっていた軍事的緊張がピークに達していた。

90年8月にイラクがクウェートを侵攻・制圧したことに対し、アメリカを中心とした西側諸国は強く反発。イラク軍のクウェートからの撤退を要求して、ペルシャ湾に兵力を結集してしだいに圧力を強めていった。

これは「湾岸危機」と呼ばれ、西側の指導者は今のブッシュ大統領の父である父ブッシュであり、これに対するは後にイラク戦争で独裁者の座から引きずりおろされるサダム・フセインであった。

1月17日の未明。アメリカを中心とした多国籍軍は「砂漠の嵐」作戦と名づけて、バグダッド市内とクウェートのイラク軍に対する大規模な空爆を開始し、湾岸危機は湾岸戦争にエスカレートした。

この日の号外は、夕刊の1面と特設面をそっくり4ページの号外に仕立てたもので、信託銀行や予備校の広告などもそのまま掲載されている。

見開きには、ドキュメントなどさまざまな関連記事が載っていて、左面には「戦火の衝撃 世界を走る」、右面には「ブッシュ政権 危険なかけ」の大見出しが踊る。

見出しだけを見れば、後のイラク戦争の号外かと思うほどで、同じサダムを相手にブッシュ父子のやることはまさに父子鷹である。

4面には、湾岸地域の軍事力の比較が、イラストと表で掲載されている。

湾岸戦争の号外については、僕にとって忘れられない後日談がある。

空爆開始から1月余りたった2月24日、多国籍軍は空からの攻撃から一転して、地上からイラク領内に突入した。

その日は日曜日で、家に待機していた僕は、「多国籍軍、地上戦に突入」の号外配布のため、池袋駅前に行くよう電話で指示された。

号外を積んだ車から箱を受け取り、もう1人とペアで通行人に号外を配る。

左腕に数十枚の号外を乗せて、右手でさばいていくのだが、次から次へと通行人の手が伸びてきて、さばく速度が追いつかないほどだ。

「ください」「私にも」などと声をかけてもらっていく人もいれば、黙って受け取る人、「いくらですか」とたずねる人などさまざまだ。

僕にとって号外配布の経験は、後にも先にもこれ1回限りの貴重な体験だった。

すべてを配り終えて、気がついてみれば、自分の分はもはや1枚も残っていなかった。

とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成

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2006/02/10

寿命が尽きた洗濯機の、最後の奇跡

06-02-10_15-2415年前に購入した洗濯機が、昨日、スイッチを入れても動かなくなった。

水道のホースを調整したり、スイッチをいろいろと操作してみたりしても、全く何の反応もない。

何か接触が悪いのかも知れないと思い、ガタガタと揺らしてみたり、たたいてみたりしたのだが、もはやウンともスンとも動かない。

この洗濯機は4年ほど前に、やはりこのような状態で動かなくなり、その時点で購入から11年経っていたため、買い替えを決意したことがある。

しかし、量販店に行って次の機種を決めて、明日には購入しようと思っていた矢先に、洗濯機は突如として息を吹き返し、その後は何事もなかったかのように、昨日まで動き続けてきた。

そういう経緯もあって、今回もまた動き出すのではないか、という微かな期待があったのだが、なにしろ購入から15年も経っているのだ。

メーカーによる修理部品の保存期間は生産終了から6年となっており、家電製品の寿命は長くても10年といわれているので、これが限界であろう。

僕は昨日、家電量販店に行って、新しい洗濯機を決めて即購入した。乾燥機は数年前に買ったものが順調に作動しているので、洗濯と簡易乾燥のみのシンプルなタイプで39800円。

配送と据付は、最も早くて3日後の日曜日になるという。

さて、新しい洗濯機が来るまでの3日間、洗濯をどうするかという問題が生じる。

コインランドリーに行けばいいのだが、この寒さの中はそれもおっくうだ。

僕は、もはや寿命が尽きた洗濯機のスイッチを空しくオンにして、心の中で洗濯機に話かけてみた。

「なんとか、あと3日間だけでいいから、動いてくれ」

すると、洗濯機が応えたような気がした。「本当に3日間だけでいいのか。動いたらまた延々と使うつもりなのだろう」

僕は洗濯機に言う。「次の洗濯機はもう買ったので、3日間だけでいい。約束する」

洗濯機が、「よし、分かった」と言ったような気がした。

そのとたん、あれほど頑として動かなかった洗濯機から、うそのように洗濯開始の水が曹内に流れ始めたのである。

僕は信じられない思いで、その水流を見つめた。これは洗濯機が最後の力を振り絞って、僕の願いを聞いてくれたに違いない。

そして、この奇跡が消滅しないうちに、あわてて洗濯物と洗剤を入れ、無事に洗濯は終了した。

今日再び動くのかどうかは分からない。もしかするとまた当分の間は動くのかも知れない。

そうなれば、新しい洗濯機をキャンセルするという手もないわけではない。

しかし僕は、3日間だけ、と洗濯機に約束して動いてもらったのだ。

僕は、洗濯機との約束を破るわけにはいかない。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ネットにおける燃え尽き症候群にならないためには」をアップロード)

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2006/02/09

「ゴジラ」音楽の伊福部昭さん死去

06-02-09-1映画「ゴジラ」の音楽で知られる伊福部昭さんが8日夜、91歳で死去した。

伊福部さんは、土俗的なエネルギーにあふれる作風で、国際的にも高い評価を得ている作曲家で、東京芸大の前身である東京音楽学校で教鞭を取り、芥川也寸志、黛敏郎ら多くの作曲家を育てた。

その伊福部さんが、「ゴジラ」の映画音楽を依頼された時、周囲の人たちは「怪獣映画の音楽なんて」と反対したという。

しかし、水爆の権化としてのゴジラが、B29による大空襲の再現のように、あるいはヒロシマ、ナガサキの惨状さながらに、東京を破壊していくという構想を聞いた伊福部さんは、二度とあのような悲劇を繰り返させてはならい、という強いメッセージ性に共鳴して音楽を引き受けた。

伊福部さんが渾身の力を注いで生まれたのが、ゴジラが現れるシーンに流れる、あの重々しいリズムに乗った名高いテーマ曲だった。

ゴジラの映画の中では、このゴジラのテーマ曲があまりにも有名になっているが、実は同じゴジラ第1作の中で、伊福部さんが作った全く対照的な音楽が流れるシーンがある。

品川から上陸したゴジラによって、東京は火の海となり、焦土と化した瓦礫の街は、けが人で溢れかえる。

06-02-09-2この惨状を伝えるテレビが、制服の乙女たちによる「平和への祈り」の合唱を中継する。

 やすらぎよ ひかりよ
 とくかえれかし
 いのちこめて
 いのるわれらの
 このひとふしの
 あわれにめでて

この映画の中で最も感銘深く印象的なシーンで、観る者の心を強く揺さぶるばかりか、ストーリーにとっても決定的な意味を持つ。

それまで、自分が発明した破壊兵器をゴジラに対して使うことをこばんできた芹沢博士が、テレビで流れる「平和への祈り」を聴いて激しく動揺し、葛藤の中で破壊兵器の使用を決意する。

「平和への祈り」は、伊福部さん自身が平和への祈りを込めて、このシーンのために作曲したもので、しみじみとした美しい旋律は圧巻といっていい。

映画「ゴジラ」が反核・反戦の強烈なメッセージに貫かれた不朽の名作として、高い評価を得続けているのは、伊福部さんが平和への願いを込めた音楽によるところが大きい。

伊福部さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

追記:9年前にNHKテレビで放映されたETV特集「作曲家 伊福部昭・蘇った幻のピアノ協奏曲」という番組のビデオを、いま改めて見て驚いた。林務官だった伊福部さんは昭和20年、軍部の秘密の実験にかり出され、木材に放射能を照射する実験を続けたために、放射線障害をわずらい、指から血が出るなどの深刻な症状が出た。自ら放射能を被爆した体験があったことが、水爆の権化となって放射線を撒き散らすゴジラに強い関心を持ち、周囲の反対にもかかわらず映画音楽を引き受けようという動機につながった、と当時83歳の伊福部さんは番組の中で語っている。

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2006/02/08

あて先の書いてない冊子小包

06-02-08松下電器が、20年前から14年前にかけて製造販売したFF式石油暖房機が重大事故につながるおそれがあるとして、購入者を探している。

いろいろと新聞紙上などで型番や写真を示すなどして呼びかけているが、なかなか購入者の特定が進まない。

そこで、全世帯に手紙を出して、該当する石油暖房機を所有している人を探すことにした、という。

全世帯にどのようにして手紙を出すのだろか、住所や世帯主の名前はどうやって調べるのだろうか、などと思っていたら、僕のところにも手紙が送られてきた。

れっきとした「料金後納郵便」ではあるが、住所も宛名も書いてない。

これは「配達地域指定冊子小包」で、「地域にお住まいの全ての皆様にお届けする郵便物です」と説明が書かれている。

地域指定とはいうものの、指定する地域については何も書かれてなく、これが全国の全世帯に郵送されたのならば、指定地域は「日本国全域」ということか。

このような郵便の形があるとは知らなかった。今回のようなケースのほかに、どのような場合に使われているのだろうか。

日本中の全世帯に送るには、どれくらいの料金がかかるのか、と心配にもなる。

それにしても、これは目隠しシールが貼られたハガキで、シールを開くと見開きで対象製品や型番などが詳しく書かれているのだが、「冊子小包」というのは大げさ過ぎやしないか。

どうみても冊子にも小包にも見えないが、郵政省時代からのお役所仕事が尾を引いて、それ以外に該当する名称がないのかも知れない。

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2006/02/07

秋篠宮妃紀子さまご懐妊・秋に出産へ、男子ならば‥

06-02-07_19-44秋篠宮妃紀子さまがご懐妊されたというニュースには、びっくりした。

秋に出産の予定で、秋篠宮ご夫妻にとっては、1991年10月の長女眞子(まこ)さま、94年12月の二女佳子(かこ)さまに続く3人目となる。

こんどのお子さまが男子ならば、皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに続く第3位となるというから、さまざまな意味において注目度ナンバーワンのニュースだ。

まず、今回のご懐妊によって、小泉首相が今国会で成立を目指している皇室典範改正をめぐる議論は、凍結される可能性が高い。

皇室典範改正が成立してしまったら、たとえ秋に紀子さまが男子を出産されても、皇位の継承順位は愛子さまが優先となることから、女性天皇・女系天皇の是非をめぐる議論は、当面見送られるのではないか。

今回の紀子さまご懐妊には、皇室をめぐる厳しい状況の中で、秋篠宮ご夫妻のなみなみならぬ決意のようなものを感じる。

皇太子妃雅子さまと皇太子へのさまざまな風当たりが強まり、皇室の将来への危機があからさまに語られる中で、秋篠宮と紀子さまがいまこそ使命を果たす時と、満を持して打って出た、という感じがある。

このところ、秋篠宮の存在感は日増しに大きくなっていて、国民の間での人気という点では、皇太子を凌駕するに至っている。

さらに、こういうことを書いていいかどうか分からないか、雅子さまに比べて紀子さまはずっと若く美しくて服装のセンスも良く、国民の中にはプリンセスとしても紀子さまの方に親しみを感じる人たちが少なくない。

雅子さま、42歳。紀子さま、39歳。

これは僕の推測だが、佳子さまを生んでから11年という歳月を置いてのご懐妊は、男女産み分けとまではいかなくても、男子誕生の可能性が高くなるような栄養学上あるいは医学上のなんらかの方策が講じられているような気もする。

紀子さまご懐妊の知らせを、雅子さまや皇太子はどのような気持ちで受け止めているのか、想像するだに気の毒になる。

しかし、もし紀子さまが男子を産むのであれば、雅子さまの重圧もふっきれて、それはそれで雅子さまの体調回復にとってもむしろ良いことかも知れない。

今年の秋というのは、いつごろのご出産になるのだろうか。

男子ならば、これは必ずや号外ものであろう。

と思っていたら‥‥今日のご懐妊で、朝日や毎日は号外を出したようだ。

毎日新聞のサイトではPDF号外(写真右上)を掲載している。裏表ともにカラーで、街頭で配布した号外と同じ内容のものらしい。

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2006/02/06

とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成

06-02-06_15-14前回は昭和64年(1989年)1月7日に、天皇陛下の「ご危篤」と「崩御」の2種類の号外が相次いで発行された話を書いたが、この日はさらに、もう1つの号外が発行された。

新しい元号が「平成」に決まり、明日1月8日午前零時から施行される、という号外だ。

前回書いたように、「崩御」の号外は2ページの号外(1)から8ページの号外(4)まで4つのバージョンが発行されたようだが、「平成」の号外はこの数字を受けて号外(5)と号外(6)の2つのバージョンが発行された。

号外(5)はとりあえずの速報という内容だが、号外(6)(写真右)には新元号の出典と意味についての説明が入っており、さらに「大喪の礼は来月24日」という新しいニュースが、見出しだけではあるが入っている。

号外の裏は、(5)(6)ともに「改元の歴史」として、大化から昭和までの全元号を一覧にして掲載し、平成が247番目の元号であるとしている。

また、これまで元号に使われた漢字を回数の多い順に並べていて、それを見ると最も多く使われているのは「永」で29回、ついで「天」と「元」がそれぞれ27回であることなどが分かる。

「平」は11回使われており、「成」は使われたことがない。

この平成決定の号外をあらためて見て思うことは、今回は発表の前にどこかの社がスクープする事態が起きなかったのだろうか、ということだ。

明治天皇が崩御した時に、朝日新聞の緒方竹虎が新元号の「大正」をスクープして号外で速報した武勇伝は、いまでも語り草になっている。

それよりももっと語り草になっているのは、大正天皇が崩御した時に、東京日日新聞(いまの毎日新聞)が、「新元号は光文」という「スクープ号外」を出したが、発表された新元号は「昭和」だった。

この大誤報によって、いったんは社長が辞職を表明したが、城戸元亮主幹の辞任で収拾となった。

なぜ世紀の大誤報が起きたのかは諸説があるが、光文に決まったものを号外ですっぱ抜かれたために、急遽、昭和に変更されたという説も根強い。

今回の「平成」については、一説には毎日新聞がいちはやく夕刊に「平成」の文字を入れたという話もあるが、朝日の夕刊最終版にも「平成あすから」と1面に4段で入っている。

翌8日の朝刊で朝日は、大正や昭和の元号スクープ合戦に触れて、「今回は事前に漏れることもなかった」と書いている。

このあたりの事情については分からないが、毎日が夕刊に入れたのがわずかに早く、地域によっては毎日だけしか入っていないところがあったものの、スクープと見るかどうかはビミョーだったのかも知れない。

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2006/02/05

春は名のみの寒さ、都庁わきの池にも氷張る

06-02-05_17-11立春寒波の襲来で、今日も凍てつくような寒さが続く。

西新宿の都庁わきに作られている小さな人工池は、午後の日差しを浴びても氷が張ったままだ。

春は名のみ。
この時期にぴったりなのが、「早春賦」の歌だ。


♪ 春は名のみの 風の寒さや
   谷の鶯 歌は思えど
   時にあらずと 声も立てず
♪ 春と聞かねば 知らでありしを
   聞けば急かるる 胸の思を
   いかにせよとの この頃か(吉丸一昌作詞 中田章作曲)

この歌を作曲した中田章さんは、日本のシューベルトといわれる中田喜直さんの父である。

中田喜直さんは、夏、秋、冬をテーマにした叙情歌の傑作で名高い。

「夏の思い出」「小さい秋見つけた」「雪の降る町を」である。

生前の中田喜直さんがテレビに出演した時に、司会のアナウンサーが「夏、秋、冬とあるのに、春は?」と尋ねたことがある。

その時、喜直さんははにかんで「春は、私の父が早春賦を作っておりますので、まあ父に遠慮したようなしだいです」と応えていた。

本物の春は、今月19日の雨水、3月6日の啓蟄を経て、やはりお彼岸になるまでは、おあずけなのかも知れない。

あと1カ月半の辛抱である。

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2006/02/04

ロッキード事件発覚から30年、児玉邸のゴルフボール

06-02-04_16-16戦後最大の疑獄事件となったロッキード事件が、アメリカの議会で発覚したのが、30年前の今日2月4日だった、と今朝の朝日新聞「天声人語」が書いている。

もう30年前になるのか、という感慨とともに、天声人語にも書かれている「児玉番」の日々を思い出した。

ロッキード社から資金が渡ったとされた世田谷の児玉誉士夫邸前には、24時間態勢でマスコミが張り付き、出入りする人をつかまえては話を聞いた。

政財界の黒幕あるいはフィクサーといわれた児玉氏は、ロッキード事件のカギを握る最重要人物とみられていた。

児玉邸の前の張り込みは長期戦となり、まだ若かった僕は何回も児玉番のローテーションに組み入れられた。

マスコミの監視網の中で児玉邸を訪れる人は少なく、1日3交代で8時間見張っていても、ほとんど何も起こらない日々が延々と続いた。

最初は、車のエンジンがうるさい、煙草の吸殻や弁当の空き箱を散らかしっぱなし、と近所の人たちから苦情の絶えなかった見張り番だった。

やがてゴミは自分で持って帰るなどのルールが確立され、近所の人たちの中には、「寒い中をご苦労さんです」と熱いお茶を出してくれる人もいて、僕たちは感涙にむせんだ。

飲食店では、現場に出前もしてくれるようになった。

公衆電話から(そのころはケータイなどなかったのだ)、「児玉邸前の○○新聞です」といえば、社旗を目印に、麺類でも丼物でも届けてくれた。

そんなある日、児玉邸の庭から垣根を越えて、ゴルフボールがポーンと飛び出してきて、僕の目の前の道路にコロコロと転がった。

僕はゴルフボールを拾って、しげしげと眺めた。これを打ったのは、だれなのだろうか。

マスコミが周囲を取り巻く中、庭でゴルフボールを打つことが出来たのは、児玉誉士夫氏本人しかいないのではないか、と僕は想像した。

僕は、このボールに日付と場所を書き込んで、コートのポケットに入れた。

いつの日か、何年か後にでも、児玉誉士夫氏本人にもし話を聞く機会があったら、このゴルフボールを取り出して、マスコミ監視下にこのボールを打ったのはあなたでしたか、と聞いてみたかった。

児玉氏はやがて体調を崩して裁判にもほとんど出ることなく、1984年1月17日、72歳で世を去った。

手元のゴルフボールには、30年前の僕が書いたボールペンの文字が、消えずに残っている。

1976.2.22 児玉邸

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2006/02/03

神隠しに遭ったマフラー

06-02-03_15-49昨年の12月、真冬のような厳しい寒さの中で、前の冬が終わる時にしまっておいたマフラーを取り出そうとしたのだが、これが見つからない。

いったいどこにしまったのか。およそ考えられるさまざまな場所を、すみずみまでひっくり返してみたが、どこにもないのだ。

東急ハンズの売り場で、一目ぼれして買ったグレーに黒の横じま柄で、とても気に入っていたのに。

あきらめきれずに、押入れの上の棚からスーツケースの中まで、再三に渡って探し回ったが、神隠しに遭ったように、マフラーは忽然と消えてしまった。

仕方なしに、ハンズに行ったが、同じ柄のものがあるはずもなく、やむを得ず別なマフラーを買って、厳冬をしのいでいた。

ところが‥

♪ さがすのをやめたとき みつかることも よくある話で

きのう、クリーニング屋さんに行ったら、店のおばちゃんが言うのだ。

「ちょっとねえ、持ち主が分からなくて困っているのがあるのよ。心あたりない?」

おばちゃんが店の奥から出してきたのが、クリーニング済みのビニール袋に入ったマフラー。

おお、これだ。これこれ。ずーっと探していたんだよ。

「あら、よかった。じゃ持っていって。ごめんなさいね」と、おばちゃん。

去年の3月からずっと店にあったのだという。

なんでいまごろになって、と不思議な気もするが、ともかくも出てきたことで、よしとするしかない。

神隠しに遭ったマフラー。節分を前に、鬼がそっと出してくれたのかも知れない。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ヒューザーをコペルニクス的ばか者とは、卓越した表現」をアップロード)

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2006/02/02

とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉

shoowa1忘却のかなたへ忘れ去られていたものを発見した時は、驚きを通り越して、しばし立ちすくむ。

ホリエモン逮捕の号外について、秋葉OLさんが書いた「速達で号外?」というブログ記事の「落ち」に、かつてもらったいくつかの号外をひもといてみるくだりがある。

これを読んで、僕もかつてもらった号外をとっておいたような記憶が、ぼんやりと蘇ってきた。しかし、どこにとってあるのだろうか。

僕はにわかに、収納棚や押入れ、引き出しや紙袋の中などを、2日間かけて整理しながら、埋もれている昔の号外を徹底的に探してみた。

あったあった。それほど数は多くないが、こんな号外、あんな号外、まさかとっておいたとは思ってもみなかった号外が、いろいろなところから出てきた。

とても1回の記事で書ききれる枚数ではない。

そこで今回は趣向を変えて、「とっておき号外に見るあの時」と題し、見つかった古い号外にまつわる話を、何回かに分けて随時、シリーズで掲載していきたいと思う。

1回目は、「昭和の終焉」である。

****************

shoowa6昭和64年(1989年)が明けて間もない1月7日、その日は土曜日であった。

宿直室で仮眠していた僕は、「天皇が危篤らしい」という電話によって、ほかの当直者たちととともに飛び起きた。

未明の5時ころだろうか。まだ窓の外は真っ暗だ。

緊急時の呼び出しリストをもとに、手分けをして部員の家に電話をかけまくる。

編集局へ行ってみると騒然とした雰囲気で、みな興奮気味だ。

まもなく、最初の号外用の短い原稿が出稿される。

その段階では、「天皇陛下ご危篤」の号外であった(右上)。

呼び出しをかけた部員たちはもちろんのこと、多くの部員たちが自発的に駆けつけてきて、どんな大量の原稿が殺到してもさばける態勢が出来る。

午前7時55分。社会部のデスク席周辺に、編集局長や編集担当役員も含め、大勢が見守る中、テレビ中継で宮内庁の藤森昭一長官が、「天皇陛下におかせられましては、本日午前6時23分、吹上御所において、崩御あらせられました」と発表した。

フロア全体に、「うおーっ」という、どよめきの声が上がった。昭和が終焉した瞬間だった。

この段階で、「ご危篤」の号外は、「崩御」の号外に切り替えられた。

僕はこれまで、この日の号外について思い返してみたこともなかったが、崩御の号外は手元に2種類が見つかった。

1つは、表と裏だけの2ページの号外で、左上の欄外に号外(1)と小さく印字されている。

おそらく、号外(2)、号外(3)があって、時間とともにより詳しい内容の号外に変わっていったのだろう。

手元にあるもう1つは、号外(4)の印字があり、なんと8ページもある号外になっている(右がその全ページ)。

右の写真の上が、1面および「戦火はさみ波乱のご生涯」の8面。

その下が、2、3面の見開きによる写真特集。

さらにその下が、4、5面の見開きによる年表。

一番下が、6、7面で社会面風のつくりで「新年の皇居 悲しみの朝」などの見出しになっている。

8ページといえば、かつて長い間、全国紙の夕刊が8ページの時代が続いていた。

まさに夕刊1部と同じボリュームがある最大級の号外であり、これを超えるページ数の号外は後にも先にもなかったような気がする。

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2006/02/01

朝日新聞のジャーナリスト宣言に違和感

06-02-01_15-55今日から駅の構内や電車の中に、朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」のポスターが貼られている。

書かれているコピー文は同じで、バックの写真はいろいろなバリエーションがある。

これは先月25日の127周年創刊記念日から開始したキャンペーンということだが、この「ジャーナリスト宣言」という言葉自体、僕は違和感を禁じえない。

人間宣言ではないが、改めて宣言するということは、いままでジャーナリストじゃなかった、ってことか。いやジャーリストのはずだったのが、ジャーリストの道を踏み外してしまった関係者が多くなって、恥ずかしながらこうしたキャンペーンをせざるを得なくなった、ということかと勘ぐりたくもなる。

宣言という響きも、何かお役所的・官僚的かつ権威主義的なにおいがする。

桜開花宣言、梅雨明け宣言、景気回復宣言、オリンピック開会宣言、ポツダム宣言‥。

宣言すりゃそれで何かが実現するわけではなく、問題はその中身なのだと思う。

もしかして、このキャンペーンは社内向けに主眼が置かれているのか? それならば宣言することも必要かも知れないが。

さらに僕は、このコピー文に疑問がある。

言葉のチカラを信じる、というが、現代の新聞にとって言葉以上に重要な要素となっている写真の立場はどうなるのだ。

百万語をついやすよりも、たった1枚の写真が出来事の本質を何よりも的確に伝え、多くの読者の心を動かすケースは枚挙にいとまがない。

ここは、言葉のチカラなどという時代錯誤の言い方ではなく、情報の力、とすべきだろう。チカラはカタカナでない方がいい。

それに、コピー文の前半は、はっきり言って広告代理店によるクサイ作文のようで、不必要だ。

僕ならば前半をバッサリとカットして、いきなり後半だけを次のようにする。

それでも 私たちは信じている、情報の力を

これだけで、言いたいことは十分に伝わる。「それでも」の意味は、受け取る人それぞれによって違っていい。

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