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2006/02/02

とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉

shoowa1忘却のかなたへ忘れ去られていたものを発見した時は、驚きを通り越して、しばし立ちすくむ。

ホリエモン逮捕の号外について、秋葉OLさんが書いた「速達で号外?」というブログ記事の「落ち」に、かつてもらったいくつかの号外をひもといてみるくだりがある。

これを読んで、僕もかつてもらった号外をとっておいたような記憶が、ぼんやりと蘇ってきた。しかし、どこにとってあるのだろうか。

僕はにわかに、収納棚や押入れ、引き出しや紙袋の中などを、2日間かけて整理しながら、埋もれている昔の号外を徹底的に探してみた。

あったあった。それほど数は多くないが、こんな号外、あんな号外、まさかとっておいたとは思ってもみなかった号外が、いろいろなところから出てきた。

とても1回の記事で書ききれる枚数ではない。

そこで今回は趣向を変えて、「とっておき号外に見るあの時」と題し、見つかった古い号外にまつわる話を、何回かに分けて随時、シリーズで掲載していきたいと思う。

1回目は、「昭和の終焉」である。

****************

shoowa6昭和64年(1989年)が明けて間もない1月7日、その日は土曜日であった。

宿直室で仮眠していた僕は、「天皇が危篤らしい」という電話によって、ほかの当直者たちととともに飛び起きた。

未明の5時ころだろうか。まだ窓の外は真っ暗だ。

緊急時の呼び出しリストをもとに、手分けをして部員の家に電話をかけまくる。

編集局へ行ってみると騒然とした雰囲気で、みな興奮気味だ。

まもなく、最初の号外用の短い原稿が出稿される。

その段階では、「天皇陛下ご危篤」の号外であった(右上)。

呼び出しをかけた部員たちはもちろんのこと、多くの部員たちが自発的に駆けつけてきて、どんな大量の原稿が殺到してもさばける態勢が出来る。

午前7時55分。社会部のデスク席周辺に、編集局長や編集担当役員も含め、大勢が見守る中、テレビ中継で宮内庁の藤森昭一長官が、「天皇陛下におかせられましては、本日午前6時23分、吹上御所において、崩御あらせられました」と発表した。

フロア全体に、「うおーっ」という、どよめきの声が上がった。昭和が終焉した瞬間だった。

この段階で、「ご危篤」の号外は、「崩御」の号外に切り替えられた。

僕はこれまで、この日の号外について思い返してみたこともなかったが、崩御の号外は手元に2種類が見つかった。

1つは、表と裏だけの2ページの号外で、左上の欄外に号外(1)と小さく印字されている。

おそらく、号外(2)、号外(3)があって、時間とともにより詳しい内容の号外に変わっていったのだろう。

手元にあるもう1つは、号外(4)の印字があり、なんと8ページもある号外になっている(右がその全ページ)。

右の写真の上が、1面および「戦火はさみ波乱のご生涯」の8面。

その下が、2、3面の見開きによる写真特集。

さらにその下が、4、5面の見開きによる年表。

一番下が、6、7面で社会面風のつくりで「新年の皇居 悲しみの朝」などの見出しになっている。

8ページといえば、かつて長い間、全国紙の夕刊が8ページの時代が続いていた。

まさに夕刊1部と同じボリュームがある最大級の号外であり、これを超えるページ数の号外は後にも先にもなかったような気がする。

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コメント

早朝に号外をもらったのかと思いましたが、
作り手がわでもらっといたのですね。
あの日の朝刊ほど時差を感じたものはないです。

投稿: 秋葉OL | 2006/02/03 02:11

騒然とする社内の中で、その時たまたま技術系の部署にいたために、運良く確保できたのだと思います。
7日の朝刊は、どうにもなりませんでしたね。これが午前3時ころの発表だったら、朝刊を作り直していたかも知れません。

投稿: BANYUU | 2006/02/03 10:36

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