朝日新聞のジャーナリスト宣言に違和感
今日から駅の構内や電車の中に、朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」のポスターが貼られている。
書かれているコピー文は同じで、バックの写真はいろいろなバリエーションがある。
これは先月25日の127周年創刊記念日から開始したキャンペーンということだが、この「ジャーナリスト宣言」という言葉自体、僕は違和感を禁じえない。
人間宣言ではないが、改めて宣言するということは、いままでジャーナリストじゃなかった、ってことか。いやジャーリストのはずだったのが、ジャーリストの道を踏み外してしまった関係者が多くなって、恥ずかしながらこうしたキャンペーンをせざるを得なくなった、ということかと勘ぐりたくもなる。
宣言という響きも、何かお役所的・官僚的かつ権威主義的なにおいがする。
桜開花宣言、梅雨明け宣言、景気回復宣言、オリンピック開会宣言、ポツダム宣言‥。
宣言すりゃそれで何かが実現するわけではなく、問題はその中身なのだと思う。
もしかして、このキャンペーンは社内向けに主眼が置かれているのか? それならば宣言することも必要かも知れないが。
さらに僕は、このコピー文に疑問がある。
言葉のチカラを信じる、というが、現代の新聞にとって言葉以上に重要な要素となっている写真の立場はどうなるのだ。
百万語をついやすよりも、たった1枚の写真が出来事の本質を何よりも的確に伝え、多くの読者の心を動かすケースは枚挙にいとまがない。
ここは、言葉のチカラなどという時代錯誤の言い方ではなく、情報の力、とすべきだろう。チカラはカタカナでない方がいい。
それに、コピー文の前半は、はっきり言って広告代理店によるクサイ作文のようで、不必要だ。
僕ならば前半をバッサリとカットして、いきなり後半だけを次のようにする。
「それでも 私たちは信じている、情報の力を」
これだけで、言いたいことは十分に伝わる。「それでも」の意味は、受け取る人それぞれによって違っていい。
| 固定リンク
コメント
言葉の力を信じることの重要性は、多くの人が認めているのに、信じるに足る言葉にはなかなかお目にかかれない、ということではないでしょうか。
政官財のリーダーたちが発する言葉も、新聞やテレビが発信する言葉も、このところますます、空疎で白々しいものになっているような気がしてなりません。
投稿: BANYUU | 2006/03/24 14:24
なるほどー。
でも、俺は結構それでも言葉の力を信じるってとこは重要だと思いました。
写真の力も重要だけど、コピー一つで写真の意味は変わる。
もちろん逆も言えると思います。
コンセプトじゃなくて、広告であるならば気をひくことも重要なのかなと。
ただ、言葉の力というわりには言葉の力が弱く感じる。匿名だし、朝日は。他の広告の言葉に勝てる言葉を見つけたならばわかるけど。
投稿: 通りがかりのはねすけ | 2006/03/24 03:43