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2006/03/06

とっておき号外に見るあの時(7)-樺美智子さんの死

06-03-02_22-321960年。西田佐知子のけだるい歌声が、時代の気分を象徴していた。

「アカシヤの雨にうたれて このまま死んでしまいたい‥」

時代もまた冷たい雨に打たれ、時代も咽び泣いていた。

60年安保闘争の最大のヤマ場となった6月15日夜。国会周辺は血みどろの修羅場となっていた。

現場の状況は、ラジオ関東の島碩弥アナウンサーによって、ラジオの生放送で全国に流された。

「警官隊が追っています。だれかれの見境なく、突撃しています。今、首をつかまれました。今、放送中でありますが、警官隊が私の顔を殴りました」

隣にいたアナウンサーがマイクを代わる。「いま、島アナウンサーが、ものすごい勢いで警官隊に首ったまをつかまれました。このときの警官隊の形相。まったく人間とは思えない、そういった激しい表情にみちみちていました。ただ、あるのは動物としての憎悪だけ。そこまで極言しても、おそらく過言ではないと思います」

警官の腕をふりきった島アナウンサーが、再びマイクに向かう。

「暴力です。警官隊のすごい暴力です。これが現場の状況、これが日本の現在の情勢です…」

06-03-02_22-38この未曾有の事態の中で、デモに参加していた東大生の樺美智子さんが死亡した。

このニュースはたちまちのうちに、日本全国に衝撃波となって伝わった。

僕の手元には、6月16日付けの朝日新聞の号外が保存されている。

この号外はどうやって手に入れたのかは、まったく覚えていない。

街頭配布されたものをとっておいたのか、後日にだれかから譲り受けたのか、それも分からない。

06-03-02_22-36当時の号外としては、格別に丁寧に作られた号外で、1面はさまざまな関連記事や談話で埋め尽くされており、裏の2面には「死者を出した六・一五デモ」の見出しによる写真特集。

さらに裏面の左下には、「倒れた上にドロぐつ 樺さん あっという間に死ぬ」の見出しで、樺さんの隣でスクラムを組んでいた明治大学文学部学生(23)の話が、つぎのように書かれている。

「夜7時すぎ、南門から入った私たちは構内でスクラムを組みなおした。おびただしい数の警官が国会のビルの影に並んでいた。私たちはその群れに向かって前進した。警官たちも、こちらへ歩き出した。歌もシュプレヒコールも起こらない。恐怖の一瞬だった。二つの群れが正面からぶつかった。やがて警官たちは警棒を振るい始めた。隣の女子学生(樺さんのこと)は、髪を乱しながら頭を下げた。男の学生たちも首を縮めた。足もとはドロの海。隣の女子学生がつまづいた。ほかの学生たちも何人かころんだ。倒れた女子学生の上を学生のドログツが踏みにじり、そのあと巻き返しに出た警官たちがまた乗り越えた。そのとき「女が死んでいる」とだれかが叫んだが、手のほどこしようがなかった」

再び日本が戦争に突き進む道を許してはならないという信念を、命をかけて貫き通した女子学生がいたという事実は、いつまでも僕の心に重くのしかかった。

僕たちは、樺さんが死をもって訴えたことがらに、きちんと応えているのだろうか。6.15がめぐってくるたびに僕は自問してみる。


【このブログの、この後の関連記事】
60年安保の6・15から半世紀、樺美智子さん忘るまじ(2010年6月12日)

6.15と樺美智子さん 1960年-2014年(2014年6月15日)


【このブログの、過去の関連記事】
45年目の6.15、樺美智子さんの2枚の写真(2005年6月15日)
とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成
とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争
とっておき号外に見るあの時(4)-毛沢東の死
とっておき号外に見るあの時(5)-ロッキード事件
とっておき号外に見るあの時(6)-空の大惨事

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