昨日に続いて、今日も地上デジタル放送が地上アナログ放送に比べて、ニュースを含むすべての映像・音声が2秒遅れで視聴者に届けられる問題を考えてみたい。
これまでラジオにしてもテレビにしても、放送局から流される内容が即、受信機から再生されるということは、社会全体の暗黙の了解であった。
何日前かに収録した番組であっても、放送局から発信されたコンテンツは間髪を入れることなく、どの家のテレビにも再生されることが大前提なのだ。
まして、生放送のスポーツ中継や国会中継、コンサート、討論会などは、まさにいま遠隔地で起きていることがそのまま、リアルタイムで映し出されることが、最大の生命線だったはずだ。
厳格に言えば、電波も伝わるまでに極めてわずかな時間がかかるのだが、1秒間に地球を7周り半するほどの速度なので、放送局から受信機までに電波が伝わる時間は、現実には無視出来る。
だからこそ、これまでラジオでもテレビでも時報サービスが、正確な時報として信頼を受け続けてきたのである。
地上デジタル放送がアナログ放送に比べて2秒遅れになるという問題は、単に両者の2秒の差という問題にとどまらず、地上デジタル放送は現実世界をリアルタイムで伝えることが出来ないという、極めて深刻な問題に到達する。
2秒くらい遅れても、ほぼリアルタイムに近いのだから、許容範囲だという見方もあるだろう。
これについては、どのくらいの遅れならば、リアルタイムとみなすことが出来るかを考えてみればいい。
僕は、夜7時のニュースを最初から見ることが出来ない場合は、とりあえずDVDに録画をかけておいて、録画を続けながら「追いかけ再生」で15分ほど遅れて、最初から見ていくことがある。
その場合、僕が15分送れで見ている7時のニュースは、まだニュースの時間が続いているとしても、もはやリアルタイムでニュースを見ていると言えないことは当然だ。
では、5分遅れの「追いかけ再生」ならばどうか。差は5分であるが、やはりリアルタイムとは言えないだろう。
これをさらに短くして、2分遅れならどうか、1分遅れならどうか、と考えていくと、どんなに差が小さくても、ズレが生じているのならばリアルタイムではないのだ。
それでは10秒遅れならば、あなたはリアルタイムと認めるだろうか。認めないに違いない。
5秒遅れでも、ほとんどの人はリアルタイムでないと思うだろう。
では2秒遅れはリアルタイムといえるかどうか。
僕は、これは五十歩百歩の典型的なケースで、15分遅れも2秒遅れも、もはやリアルタイムとは言えないという点において、なんらの差異はないと思う。
2秒遅れの地上デジタル放送は、送り手側がどんなに生放送のつもりでも、もはや生放送とは呼ぶことは出来ない。
それは、「2秒遅れの追いかけ再生」であり、強いて生放送という言葉を使いたければ、昨日も書いたように「擬似生放送」としか言うことは出来ないのだ。
地上デジタル放送がスタートしてから、時報サービスが出来なくなっている問題は、地上デジタルが「擬似生放送」であることの直接の影響である。
これまではあまり問題にもならなかったが、大晦日のカウントダウン・コンサーなどは、今後どうやって中継するつもりだろうか。
「2、1、ゼロ‥」というカウントダウンの最後の掛け声を放送している時には、すでに世の中は新しい年が明けているのだ。
この2秒のズレには、ほかにもさまざまな問題が起こりうる。
例えば、生放送ならばストレートに放送されてしまう映像や発言について、事前チェックや事前検閲が可能になる。
「ジェンダー・フリー」という言葉を流したくなければ、2秒間の間にテジタルフィルターを通過させて自動的にこの言葉を消し、改変処理をした上で受信者に届けるくらいのことは、原理的には可能だろう。
文字通り1秒を争う緊急地震情報のような場合も深刻だ。
気象庁のシステムと連動して、「数秒後に、東京・神奈川を強い揺れが襲います」という警報を地上デジタルで流すような場合、2秒のロスはあまりにも大きいのではないか。
5年後、日本のテレビからアナログ放送が消えて、全部がデジタルになる前に、「2秒遅れ問題」は十分な国民的議論が必要であろう。
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