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2006/03/31

20年に渡るパソコン通信に今日限りで幕

3月とともに、さまざまなものが終わっていく。

今日31日は、旧年度の最後の日であり、ある意味では大晦日と並ぶ区切りの日であるといえよう。

「表」の「時間の岸辺」にも書いたのだが、今日の午後11時59分59秒をもって、日本で唯一、サービスを続けていたニフティのパソコン通信が終了し、19年間続いたパソ通の灯が消える。

僕の場合は、ニフティが商用のパソコン通信サービスを始める1年前に、ASAHIネットの前身の社内実験ネットに手をつけていて、それから数えると20年間のパソ通の歴史が幕を下ろすことになる。

パソコン通信とは何だったのか。それは決して、インターネットにいたるまでの代役ではなく、わずか20年ではあったが、独自のカルチャーとコミュニケーションを形勢した稀有のメディアだったのではないか。

通信機能付きのワープロによって、さまざまな会議室に不特定多数の人たちがメッセージやレスを書き込んでいくパソコン通信は、マココミでもミニコミでもない新鮮なメディアとして、当時の多くの人々をひきつけた。

パソコン通信は、モノクロのテキストだけのやり取りで、画像も音もなかったが、それでも十分に書き込みの応酬は白熱し、狂乱怒涛のワールドが繰り広げられることもしばしばだった。

歳月は移り、いまやインターネットもweb2.0のステージに入り、ホームページからブログやSNSの時代、さらにはパソコンからケータイがユビキタスの前面に踊り出ようとしている時代となった。

明日からケータイでのワンセグが始まるのと入れ替わりに、パソ通が姿を消すのも、時代の必然的な流れなのかも知れない。

さよならパソコン通信。

ありがとうパソコン通信。

惜別と感謝を込めて‥‥

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「ニフティのパソコン通信が今日で終了」をアップロード)

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2006/03/30

新宿の路上に不思議な大根星人?

060330_1214なんだ、これは?

新宿駅東南口の大きな階段を下りた道路上に、こんなキャラクターが‥‥。右手に、小さなコップのようなものを持っている。

路面にテープで「ドーモ!」なんて書いてある。

見たところ、まるで大根星人といった感じだが、なぜここにいるのだろうか。

このあたりは、さまざまなチラシ配りや新製品のキャンペーンなどがよく行なわれているので、何かのプロモーションかと思って回りをみたが、よく分からない。

何かをPRしているらしいのだが、それが何なのかはっきり分からないあやふやなところがいい。

ケータイで撮影していたら、「この子、かわいいでしょ」と近くにいたおねえさんが言った。

何のキャンペーンですか、と聞いてみようと思ったが、聞くのはやめた。

人通りの多い路上に、こんなものがいるということだけで、十分なのだ。

これが東口や西口なら、交番も目の前にあるし、すぐに撤去されてしまうに違いない。

かつての新宿フォークゲリラの伝統が、わずかながら息づき続けている数少ない空間が、ここ東南口の大階段下である。

明日になったら、このあたり一帯が、大根星人たちで埋め尽くされていたら面白いのに、なんて思ってしまう。

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2006/03/29

モブログの投稿通知が来なくなったのは

ココログは、ケータイからモブログで投稿すると、数秒後には「投稿しました。ありがとうございました」という投稿通知のメールがココログ事務局から届く。

これによって、パソコンにアクセスしなくても、モブログが正常に投稿されてブログが更新されたことを知ることが出来る。

昨日、上野公園から満開の桜の写真をケータイで撮ってモブログしたところ、この投稿通知がいつまでたっても来ない。

さては投稿に失敗したか、あるいはメンテの最中でモブログサービスが出来ないのかと思いながら、家に帰ってパソコンでココログを見るとちゃんとモブログは投稿出来ている。

投稿通知が来なかったののは、昨日だけのことなのだろうかと不思議に思い、今日、あらためて写真付きでモブログのテスト投稿をしてみた。

パソコンで見ると、モブログは正常に投稿されてブログが更新されたにもかかわらず、やはり投稿通知は来ない。

ニフティのサイトで、モブログの仕組みが変わったのだろうかと、いろいろ見てみるが、とくに何かが変わったというようなお知らせも掲載されていないようだ。

そこで、僕は推理してみる。ココログ事務局からの投稿通知の発信元アドレスが、このところの一連のシステムリニューアルの過程で、変わっている可能性はないだろうか、と。

僕のケータイは、スパムメールを防ぐため、受信を許可する発信元アドレスを絞り込んでいて、許可リストにないアドレスからのメールはシャットアウトしてしまい、その痕跡さえも残らないようにしている。

ココログがいつの間にか、投稿通知の発信元アドレスを変更しているのだとしたら、そのメールアドレスを受信許可リストに加えなければならないが、新しいアドレスを知るにはどうすればいいか。

パソコンからニフティに問い合わせのメールを出しても、返事が来るまでに1日か2日かかるのが普通なので、もっと手っ取り早く知りたい。

そこで、僕のケータイのメール受信許可リストを一時的にキャンセルして、すべてのメールを受信出来る状態にして、再度、モブログをテスト投稿してみた。

こんどは、投稿通知のメールが送られてきた。案の定、これまで許可リストに加えていたのとは違うアドレスからになっている。

新しいアドレスを許可リストに入れて、再びケータイのメール受信が許可リストだけになるよう設定し、再度、モブログのテスト投稿をする。

これでようやく、許可リストのみのメール受信で、投稿通知が届くようになった。

ココログ側が、投稿通知の発信元アドレスを変更したのは、いつからなのだろうか。このように重大な変更は、ちゃんとユーザーに周知徹底されたのだろうか。

ケータイの受信を、許可リストのみに絞っているユーザーは少なくないと思うので、この変更ははっきりと分かる形で当分の間、掲載し続けておくべきだと思うのだが、いったいどうなっているのだろうか。

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2006/03/28

上野公園の満開の桜の下から

上野公園の満開の桜の下から


暖かい陽気に誘われて上野公園に来ている。

桜は満開でまさに今日が最高の見ごろだ。

平日の午後ではあるが、どんどん人出は膨らんでいく。

宴席のスペースは8割ほどが埋まっていて、早くも宴たけなわの団体もあちこちに。

しかし、まだ2割ほどのスペースは空いていて、カップルや少人数のグループなどがお弁当を食べたりしている。

週末は桜吹雪であろう。

BANYUU

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2006/03/27

東京の桜は明日にも満開、どこへ見にいこうかな

東京の桜は早ければ明日28日にも満開を迎えそうだという。

僕は今年はまだ、電車の車窓から沿線の民家庭先の桜をぽつぽつと見ただけで、どこにもお花見に行ってない。

今週末の4月1日か2日くらいに、上野公園や新宿御苑をぶらぶらと散策しようと思っていたのだが、そのころでは桜吹雪も終わろうという時期か。

明日の夕方以降と明後日は雨の予報なので、気温はぐっと低くなるとしても30日の木曜日あたりが見ごろであろう。

寒さをがまんしてそのころに行くか、それとも明日の雨が降り出す前に行ったほうがいいか、迷うところだ。

今日たまたま、昔撮影した8ミリビデオの映像を整理しながら見ていたら、4月7日の日付の入った映像に、東京の満開の桜がバックに映っていた。

あまり問題にもなっていないが、ここ20年ほどの間に、桜の咲き始めも満開も1週間から10日ほど早くなっているのではないだろうか。

入学式の時にはすでに葉桜になっているというのは、新年度の風景としてはなんとも惜しい気がする。

温暖化の影響は、知らず知らずのうちにジワジワときいてきているようだ。

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2006/03/26

街頭で地上デジタルとアナログを比較展示

06-03-26_12-02新宿駅東口近くのモア4番街通りで26日、地上デジタル放送の大掛かりなキャンペーン展示が行なわれていた。

総務省と地上デジタル放送推進協会によるもので、アナログ放送は2011年7月までに終了することの徹底をはかり、地上デジタルについての理解を深めてもらおう、というねらいのようだ。

会場では、地上デジタル放送のすべての局の放送を、それぞれに大画面テレビで映しだしている。

面白いのは、NHK総合チャンネルについて、上に地上デジタル、下にアナログと、2台のテレビで同時に映し出しているコーナーだ。

地上デジタルの画像は、アナログに比べてこんなにきれいです、ということを知ってもらうための比較なのだが、皮肉なことに、このブログで22日23日に書いたデジタルの「2秒遅れ」問題を、あますところなく映し出している。

この写真は正午のニュースをケータイで撮ったものだが、上のデジタル放送が、すべて下のアナログ放送より2秒ずつ遅れて追いかけていく様子が、手に取るように分かる。

僕も、ラジオから流れるアナログテレビの音声と、デジタルを比較したことはあっても、こうして2台のテレビを並べて両者を比べて見るのは初めてだ。

見ていて驚いたのだが、同じ映像と音声が2秒ずつずれているにもかかわらず、正午の時報を示す時計の映像に限って、両者が一致していたことだ。

背景の映像が2秒ずれているのに、正午の瞬間の時計の映像だけが一致しているということは、何を意味しているか。

これは、正午の時計の映像だけを、アナログとデジタルで別々に送信して背景映像に重ねていて、デジタルの方は2秒遅れを計算に入れて2秒早めに時計映像を出すことで、結果として遅れのない「正午の瞬間」を実現させているのではないか、と僕は推理する。

正午でこれが出来るならばほかの時間帯でも、デジタルだけ2秒早く発信して時報サービスを実現できそうなものだが、技術的に大変な作業であったり、ほかの問題が発生するなどのために、出来ていないのかも知れない。

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2006/03/25

ルミネエストのロゴマーク、お披露目には早い?

06-03-25_17-34マイシティ新宿が4月1日からルミネエストと名前が変わるのに伴い、ビル壁面のロゴマークの付け替え工事が進められているという話を、ちょうど1週間前のこのブログで書いたが、どうやら完成したようだ。

昨日はほぼ仕上げの段階だったので、今日はピカピカのロゴマークが出来ているかと思ったら、白いカバーで覆われてしまい、お披露目はあと1週間お預けという感じだ。

マイシティがルミネエストに変わるということは、垂れ幕も出ているし館内のあちこちに告知の紙が張ってあるので、別に新しいロゴを隠さなくても、という気もしないでもない。

しかしそこはやはり、日本人らしいけじめというのか、3月31日まではマイシティなので、早々とルミネエストのロゴを出すのは先走りということなのだろう。

4月1日には、ルミネエストへの改名式のようなものをやるのだろうか。

それとも、白いカバーで覆っているロゴマークをさりげなくお披露目する程度なのか。

名前が変わっても、中身が急に変わるとも思えないが、南口のルミネ1、ルミネ2とともに、JR新宿駅を包み込むルミネ直角三角形が新宿の街に与える影響は、これからジワジワと広がっていきそうな気がする。

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2006/03/24

今世紀末に海面が数メートル上昇という衝撃の発表

念のために先に書いておくが、今日は4月1日ではない。

今日の新聞に載っているニュースの中に、驚愕と戦慄を禁じえない驚くべき報告があった。

それは、温暖化によって今世紀末に海面が上昇する高さが、これまで予測されていた数10センチどころではなく、数メートルの上昇になると予測される、というのだ(朝日新聞夕刊)。

米アリゾナ大学や米国立大気研究センター(NCAR)などのグループが、24日付けの米科学誌サイエンスに発表した。

予測によると、今世紀末にはグリーンランドなどの気温が約13万年前と同じまで上昇することが分かり、これによって海面が2メートルから3メートル上昇する。

この海面上昇が南極の氷床を不安定にして、さらなる海面上昇を招き、いまよりも4メートルから6メートルほど高くなって、約13万年前と同じ海面の高さになる、という。

一般に、海面が1ミリメートル上昇するごとに、海岸線は平均して1.5メートル後退すると計測されていて、海面が1メートル上昇すれば、世界各地の海岸線は平均して1500メートル後退することが分かっている。

日本について言えば、海面が50センチ上昇すれば、1412平方キロメートルの平野が海面下に沈み、人口の2.3%にあたる290万人が移住を余儀なくされる。

海面上昇が1メートルになった場合、日本では全国の砂丘の9割が消滅し、臨海部を中心として東京都の面積よりも広い2339平方キロメートルが水没し、410万人の居住者の移住が必要となる。また、ギリギリで水没は免れるものの満潮時には海面以下となる土地は、23万平方キロメートルにも及ぶ。こうした中で、堤防の増強や海岸線の改良工事にかかる費用は11兆5000億円に上ると見られている。(環境庁による予測と試算)

しかし、この試算でも海面の上昇は1メートルと見積もった場合のことだ。

今回、サイエンス誌に発表された新たな予測では、海面の上昇はその4倍から6倍という驚異的なものになる。

1ミリの海面上昇で海岸線が1.5メートル後退するという計算をあてはめると、4メートルの上昇で海岸線は平均6キロ後退し、6メートルの上昇ならば平均9キロも後退する。

日本に限って考えただけでも、首都圏や阪神地区から地方都市のほとんどを含めて、国土がほぼ丸ごと水没する壊滅的なカタストロフとなることが想像される。

世界各地でも、現在、人口が密集している都市部や平野部はほぼ水没して、人類の文明維持すら絶望的な状況になるのではないだろうか。

「経済活動をしばるから」として京都議定書をせせら笑っているアメリカでさえも、いま繁栄を謳歌している平野部の大部分がごっそり海中に沈む。

これが、何千年後の話ではなく、今世紀末のことであり、あと90年ほどで現実の話になるというのだから、人類は本気で滅び方を考える時期に来たと言えよう。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「永田議員の居座りで、民主支持は1日100万人減少」をアップロード)

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2006/03/23

続・地上デジタル放送の2秒遅れ問題

昨日に続いて、今日も地上デジタル放送が地上アナログ放送に比べて、ニュースを含むすべての映像・音声が2秒遅れで視聴者に届けられる問題を考えてみたい。

これまでラジオにしてもテレビにしても、放送局から流される内容が即、受信機から再生されるということは、社会全体の暗黙の了解であった。

何日前かに収録した番組であっても、放送局から発信されたコンテンツは間髪を入れることなく、どの家のテレビにも再生されることが大前提なのだ。

まして、生放送のスポーツ中継や国会中継、コンサート、討論会などは、まさにいま遠隔地で起きていることがそのまま、リアルタイムで映し出されることが、最大の生命線だったはずだ。

厳格に言えば、電波も伝わるまでに極めてわずかな時間がかかるのだが、1秒間に地球を7周り半するほどの速度なので、放送局から受信機までに電波が伝わる時間は、現実には無視出来る。

だからこそ、これまでラジオでもテレビでも時報サービスが、正確な時報として信頼を受け続けてきたのである。

地上デジタル放送がアナログ放送に比べて2秒遅れになるという問題は、単に両者の2秒の差という問題にとどまらず、地上デジタル放送は現実世界をリアルタイムで伝えることが出来ないという、極めて深刻な問題に到達する。

2秒くらい遅れても、ほぼリアルタイムに近いのだから、許容範囲だという見方もあるだろう。

これについては、どのくらいの遅れならば、リアルタイムとみなすことが出来るかを考えてみればいい。

僕は、夜7時のニュースを最初から見ることが出来ない場合は、とりあえずDVDに録画をかけておいて、録画を続けながら「追いかけ再生」で15分ほど遅れて、最初から見ていくことがある。

その場合、僕が15分送れで見ている7時のニュースは、まだニュースの時間が続いているとしても、もはやリアルタイムでニュースを見ていると言えないことは当然だ。

では、5分遅れの「追いかけ再生」ならばどうか。差は5分であるが、やはりリアルタイムとは言えないだろう。

これをさらに短くして、2分遅れならどうか、1分遅れならどうか、と考えていくと、どんなに差が小さくても、ズレが生じているのならばリアルタイムではないのだ。

それでは10秒遅れならば、あなたはリアルタイムと認めるだろうか。認めないに違いない。

5秒遅れでも、ほとんどの人はリアルタイムでないと思うだろう。

では2秒遅れはリアルタイムといえるかどうか。

僕は、これは五十歩百歩の典型的なケースで、15分遅れも2秒遅れも、もはやリアルタイムとは言えないという点において、なんらの差異はないと思う。

2秒遅れの地上デジタル放送は、送り手側がどんなに生放送のつもりでも、もはや生放送とは呼ぶことは出来ない。

それは、「2秒遅れの追いかけ再生」であり、強いて生放送という言葉を使いたければ、昨日も書いたように「擬似生放送」としか言うことは出来ないのだ。

地上デジタル放送がスタートしてから、時報サービスが出来なくなっている問題は、地上デジタルが「擬似生放送」であることの直接の影響である。

これまではあまり問題にもならなかったが、大晦日のカウントダウン・コンサーなどは、今後どうやって中継するつもりだろうか。

「2、1、ゼロ‥」というカウントダウンの最後の掛け声を放送している時には、すでに世の中は新しい年が明けているのだ。

この2秒のズレには、ほかにもさまざまな問題が起こりうる。

例えば、生放送ならばストレートに放送されてしまう映像や発言について、事前チェックや事前検閲が可能になる。

「ジェンダー・フリー」という言葉を流したくなければ、2秒間の間にテジタルフィルターを通過させて自動的にこの言葉を消し、改変処理をした上で受信者に届けるくらいのことは、原理的には可能だろう。

文字通り1秒を争う緊急地震情報のような場合も深刻だ。

気象庁のシステムと連動して、「数秒後に、東京・神奈川を強い揺れが襲います」という警報を地上デジタルで流すような場合、2秒のロスはあまりにも大きいのではないか。

5年後、日本のテレビからアナログ放送が消えて、全部がデジタルになる前に、「2秒遅れ問題」は十分な国民的議論が必要であろう。

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2006/03/22

地上デジタル放送は、アナログより2秒遅れ?

今日は放送記念日。ということで、日ごろから気になっていたことを書いてみたい。

地上デジタル放送を受信できるテレビで、奇妙なことに気づいた。

同じチャンネルの同じ時間の同じ番組ならば、デジタル放送とアナログ放送は同じものだと普通は思う。

しかし厳密に言うと、地上デジタルの方が地上アナログよりもほんの僅かだけ、遅れて放送されているのだ。

どのくらい遅れているかというと、1秒強というか2秒弱くらいだ。

地上デジタルだけを見ていると、遅れていることには全く気づかない。

僕がこれに気づいたのは、NHKのテレビニュースをよくラジオで聴いているためだ。

携帯ラジオのFM帯では、NHKテレビの1チャンネルと3チャンネルの音声を聴くことが出来る。

これで1チャンネルの音声をつけて、テレビの地上アナログの1チャンネルも同時につけてみると、ラジオとテレビの音声は完全に一致していてズレはない。それは、あたりまえのことであろう。

ところが、ラジオで1チャンネルの音声をつけて、テレビの地上デジタルの1チャンネルも同時につけてみると、地上デジタルの音声がすべて僅かずつ遅れていることに驚く。

ということは、地上デジタルは地上アナログよりも僅かに遅れて視聴者に届けられているということになる。

同時であると思っていた定時のニュースでも、野球の実況中継でも、例外なしに地上デジタルのほうが僅かずつ遅れている。

僅かとは言え、例えばこんな場面では、決定的なズレとなる。

地上デジタルの1チャンネルで「ピッチャー投げました」と流れている時に、ラジオの1チャンネル(つまりアナログの1チャンネル)では、すでに「右中間を抜けた~っ!」と流れているのである。

このズレは、デジタル処理のために要する技術的なものなのか、それともほかに理由があるのかは分からない。

地上デジタルの生中継は、厳密に突き詰めていくと完全なリアルタイムとはいえない、ということになる。

それでは、定時の時報はどうなっているかと思うと、テレビからいつの間にか時報が消えてしまっているのだ。

僕が想像するには、時報を流してしまうと、否が応でも地上デジタルの遅れが白日の下にさらされるため、それを避けるためにいつの間にかテレビから時報が消えたのではないだろうか。

時報の代わりに、例えば7時のニュースであれば、画面の片隅にさりげなく「7時」の文字が出る。

どの瞬間が7時ちょうどなのかは、時報の音が入っていないからあいまいだ。

あと5年後には、地上アナログ放送は終了し、すべての地上波テレビがアナログに切り替わる。

その時点で、すべてのテレビの生放送は、現実よりも1秒強から2秒弱ほど遅れる「擬似生放送」になってしまうのだろうか。

この「遅れ」について、これまであまり問題にもされず、デジタル放送を推進する側からきちんと説明がされていないのは、なんとなく釈然としない。

追記:ここまで書いた後、電気店の店長が作っているサイトに、詳しいデータが報告されているのを見つけた。それによると、BSデジタルは地上アナログに比べて約1秒の遅れ、地上デジタルは地上アナログに比べて約2秒の遅れがある。
これについてのNHKの説明も載っていて、「デジタル放送は、従来の放送よりも高画質なため、従来の電波に乗せるためには、情報量が多すぎます。そのため、情報量を圧縮して、送信しています。また、 テレビ側では、受信した際、送られてきた圧縮された情報を、 元にもどす作業を行っています。その、圧縮するためにかかる時間と、元に戻す時間によって、映るまでに、遅れが生じます」というのだ。
やはり時報サービスは、この遅れのために出来なくなっている。いずれにしても、この問題はもっと多くのユーザーを巻き込んで議論すべき問題のように思う。

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2006/03/21

王ジャパン世界一、TV観戦後に号外ゲット

06-03-21_17-01王ジャパンが第1回の記念すべきWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、王者キューバを10-6で下して、夢の世界一に。

これ以上ないほどの最高のドラマを、テレビの生中継でたっぷりと観戦した。試合終了後もテレビはスタジオと現地を結んで、興奮のワイドショーが続く。

その中で、街では早くも号外が配布されているということで、配られたばかりの号外が番組内で紹介された。

僕は、いまならば駅頭に行けば号外配布の現場に出遭うことが出来るかも知れないと思い、すぐに電車に乗って新宿へ。

号外配布に遭遇するためには、早すぎても遅すぎてもダメで、ちょうど配っているその瞬間に、居合わせなければならない。

06-03-21_16-58新宿で配布している可能性は高いはずだが、東口か西口か、あるいは南口か。

今日は祝日で、東口方面の新宿通りが歩行者天国になっているので、号外を配布するなら東口の可能性が高い、とヤマを張ってすぐに東口へ。

号外を手にして駅コンコースを歩いている人たちが、ちらほらと目だってくる。

東口を出て、30メートルほどアルタの方に行った歩道で、日刊スポーツのお姉さんが声をはりあげて号外を配布中だ!

やった。こんなにピッタリと読みが当たるとは、王采配のおこぼれか、と嬉しくなる。

まずは1部をゲットして、続いて配布しているお姉さんの姿をケータイで撮る。

試合終了からまだ1時間ほどしか経っていないというのに、1面には「松坂-俊介-藤田-大塚リレー 9回イチロー、福留適時打でキューバを10-6」のカット見出しも入っている。

裏面は、「誤審、熱闘‥日本が燃えた8試合」の見出しのもとに、写真特集と各試合の詳細な経過とテーブル。

いったんは息の根をとめられたかに見えた日本が、世界の頂点に立つことが出来たのは、野球という1つのスポーツのワクを超えて、日本人に多くの勇気を与えてくれる。

直接の勝因ではないにしても、審判の誤審が日本中を沸き立たせ、これが選手たちの闘志をかきたてた側面も無視出来ない。

土壇場でアメリカの準決勝進出を断ち切り、日本に希望をつないでくれたメキシコの健闘も大きい。

そしてイチローの強烈な存在感には、これまでのイメージからは想像も出来ない凄みと迫力があった。

王ジャパンの世界一は、荒川静香選手の金メダルに続いて、末永く語り継がれる歴史的なビッグニュースとなっていくことだろう。

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2006/03/20

4月からワンセグにネットTV、時間争奪戦争へ

4月1日から、ワンセグが始まるらしい。

ケータイ向けの地上デジタル放送のことらしいが、僕の機種は対応していないようなので関心はない。

それほどまでして、ケータイでテレビを見る必要があるのかと、僕などは不思議に思う。

ケータイでワンセグを見たいという人もいると思うが、結局のところ、ワンセグを視聴すればその分だけ、何かの時間を削らなければならないのではないか。

そんなことを思っていたところ、今日、ASAHIネットからお知らせのメールが来て、4月1日から有料のASAHIネットTVを始めるという。

これはセットトップボックスというのを光ファイバーの回線につなぎ、そのボックスをテレビにつなぐことで、3500本のビデオと31のチャンネルを視ることが出来るのだという。

有料のネットTVは、どれほどの需要があるのだろうか。

かりに、かなりの需要があって申し込む人が結構いるとしても、ネットTVを視る人たちは、その分だけ、何かの時間を削らなければならないのは、ワンセグの場合と同じだ。

ワンセグやネットTVのほかにも、パソコンで動画を見ることが出来るブロードバンドサービスは、すでにヤフーやニュース系サイトなどあちこちで始まっている。

これも、最近は1本30分くらいの番組が配信されていて、画質もいいので視ていると結構時間が経つ。

こうした新しい動画サービスとは別に、テレビは地上アナログ、地上デジタル、BSデジタル、CSデジタル、110度CSと、もう数えきれないほど多くのチャンネルがひしめき合っている。

ラジオも加えると、AMからFM、短波とこれまた数多くの放送局がそれぞれの番組を流している。

人間は、こうしたテレビやラジオ、ネット動画ばかりを視たり聴いたりしているわけにはいかない。

1人の人間に与えられている時間は、だれでも平等に24時間で(高橋尚子選手がこんなようなことを言っていたが)、その限られた時間の中で、さまざまなことをやっているのだ。

あれもこれもと、次から次へと新しいコンテンツサービスが出てくるにつけ、個人の限られた時間をめぐる争奪戦争は、熾烈を極めることになるものと想像する。

新しいことに時間を割く人たちは、どの時間を削ることになるだろうか。読書や新聞か、映画や観劇、コンサート、スポーツか。はたまた散歩や睡眠か。

時間争奪戦争は、勝者なき消耗戦になりそうな気がする。

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2006/03/19

映画「THE有頂天ホテル」など‥

今日は気がつけば、もう午後11時を回っていて、ブログの更新は無理か‥

しかし、備忘録としてメモ程度でも書いておかねば。

お昼はタカシマヤタイムズスクエア14階の三田屋本店やすらぎの郷で、ひさびさにステーキ。

ピアノの生演奏で、なぜか「戦場のメリークリスマス」をやっていた。

午後、映画「THE有頂天ホテル」を観る。

とても面白い映画で、いろいろと感想を書きたいが、時間切れ。

今宵は、これにて失礼をば。

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2006/03/18

マイシティからルミネエストへ、壁面のロゴ付け替え

06-03-18_16-01マイシティ新宿が4月1日からルミネエストと名前が変わるのに伴い、ビル壁面のロゴマークの付け替え工事が進められている。

防護ネット越しには、早くも新しいロゴが姿を現しつつある。

この駅ビルは、東京オリンピックの年、1964年5月に新宿ステーションビルとして完成した。

当時の所有者は国鉄で、株式会社新宿ステーションビルディングには、伊勢丹、高島屋、セゾングループ、丸正、鉄道弘済会など地元資本6社が6分の1ずつ株を持ち合う形でスタートした。

その後、このビルは国鉄の民営化によってJRに経営の主体が移り、名前もマイシティになった。

1989年、西武新宿駅がありながら新宿への足がかりをつかめなかったセゾングループが突如、地元資本の株を買い取ってマイシティの乗っ取りに動き出すという波乱があった。

これに対して、JR東日本は、伊勢丹と高島屋を味方に引き込んで第三者割当増資を行ない、セゾングループの乗っ取りを防ぐことに成功した。

現在の株主構成は、JR東日本が80.8%、伊勢丹と高島屋がそれぞれ8.2%などとなっている。

今回、マイシティを吸収合併するルミネは、もともとJRグループで、JRは今後、伊勢丹や高島屋などから株を譲渡してもらって、100%の株を所有したい考えとみられている。

このJRの狙いについては、いずれこのビルを超高層ビルに建て替える布石と見る向きもあり、また新宿にとっての最大の懸案となっている東西自由連絡通路の建設構想にも大きな影響を与えそうだ。

僕としては、そんな先の話はともかくとして、ルミネエストになったなら、7階、8階のレストラン街を、南口のルミネ1、ルミネ2と同様に、ランチタイムを例外なしの完全禁煙にしてほしいと思っている。

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2006/03/17

DVDデッキで音楽CDを聴けるとは知らなかった

06-03-17_16-47僕は昔買ったLPレコードはいろいろ持っているが、音楽CDは20枚くらいしか持っていない。

音楽CDを聴く時には、コロムビアの「音聴箱」というオールインワンの再生機にかけて聴いていた。

これは、LPレコードからカセットテープまでなんでも聴くことが出来る便利なもので、レトロな電蓄風のデザインになっている。

便利ではあるが、残念なことに音質があまり良くない。

僕は音楽CDを聴くために、専用のコンポのようなものを買おうかとも思い、量販店に見に行ってみた。

コンポもピンからキリまであるが、どこに置くかという問題もあって、なかなか買う決断には至らなかった。

昨日たまたま、DVDデッキのマニュアルを読んでいたら、このデッキで再生出来るメディアの中に、音楽CDと書かれているではないか。

どうやって音楽CDを聴くことが出来るのだろうかと、半信半疑でまずはテレビのスイッチを入れて、DVDの再生モードにしてみる。

その状態で、おそるおそるDVDデッキに音楽CDを挿入して、リモコンの再生ボタンを押す。

するとテレビの画面に、音楽CDの再生であることが表示されて、テレビのスピーカーからCDの音楽がクリアな音質で流れてきた。

テレビ画面には、演奏中のトラックの収録時間と経過時間が表示されている。

なーるほど、こういう使い方があるとは、今まで思ってもみなかった。

これなら、わざわざCDのためにコンポなどを買う必要もなく、くっきりとした迫力のある音で楽しむことが出来る。

今まで宝の持ち腐れだったわけだが、こうした使い方があることはみんな知っていることなのだろうか。

DVDデッキだからDVDのみ、と勝手に思い込んでいたが、最近のデジタル機器は予想以上にさまざまな機能があることに、あらためて目を見張ったしだいだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「裁判員に選ばれ拒否も出来なければ、この原則で臨む」をアップロード)

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2006/03/16

ホリエモンの保釈申請却下とは、なんと喜ばしい

昨日飲んだ鼻炎カプセルの副作用なのか、今日はなんとなく頭が重く、ブログのネタもなく、どうしようかと思っていたところへ、好ニュースだ。

東京地裁がホリエモンの保釈申請を却下した、というのだ。なんとなく嬉しくなって、頭が重かったのも吹き飛んで、思わず鼻歌も出てくる。

宮内亮治被告は5000万円で、中村長也被告は2000万円で、岡本文人被告は1000万円の保釈金で、保釈が認められた一方で、ホリエモンと熊谷史人被告については認められなかった。

(宮内被告と中村被告については、いったん保釈が認められたものの、検察側からの異議が出て地裁が再検討中という)

僕は詳しいことは分からないが、ホリエモンは保釈金として1億くらいを積むつもりだったのではないか。いや2億くらい積むつもりだったのかも知れない。

なにせ、人の心はカネで買うことが出来ると豪語していただけに、却下されてどんな気持ちでいるのだろうか。

ホリエモンの弁護人はこれを不服として準抗告する方針というが、準抗告も却下して、このままホリエモンは拘置所につないでおいた方がいい。

保釈されてシャバに出てきても、どうせロクなことはやらずに、公判に向けて証拠を徹底的に消し去ったり、関係者との口裏あわせに奔走するのだろう。

あるいは、保釈中に可能なのかどうかは知らないが、テレビに生出演したりブログを更新したりして、自分の潔白を世間に訴えようとすることは、極めてありそうなことだ。

そもそも容疑を一貫して否認し続けている主犯格のホリエモンは、保釈されなくて当然だ。

六本木ヒルズが恋しいだろうが、もはやライブドアには幹部として戻れるはずもなく、ヒルズにホリエモンの席はないといっていい。

悪あがきはやめて、このまま拘置所暮らしを続けながら公判に臨み、判決確定後の長い長いムショ暮らしに備えて体操でもして体力をつけておいた方がいい。

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2006/03/15

今年の花粉はおかしい、今日になって突然発症

今年の花粉は、いつもの年と比べてどこかヘンな気がする。

スギ花粉の予報を見ていると、3月に入ってから連日のように「非常に多い」が続いていたが、不思議なことに僕は昨日までなんの症状も出なかった。

僕は15年くらい前から花粉症なので、もちろん外出にあたってマスクは着用しているが、例年はそれだけでは防ぎきれずに、鼻炎カプセルが手放せなかった。

今年は、昨日まで鼻炎カプセルを使うこともなく、もしかして長年の花粉症が治ったのか、と思っていたほどだ。

しかし、そんな甘いはずはないのだ。今日になって、突然、くしゃみ、鼻水がとまらなくなり、ついに鼻炎カプセルを服用するはめに。

昨日までなんともなかったのに、今日になって突然発症したのはなぜだろう。明日からまた毎日、症状が出て、鼻炎カプセルのお世話になり続けるのだろうか。

素人診断になるが、僕の花粉症はスギ花粉からヒノキ花粉の方に重点が移ってきていて、スギだけではかなりの花粉を浴びても発症しなくなっているのかも知れない。

たぶん、今日あたりからはスギ花粉がピークを過ぎるのと入れ替わりに、ヒノキ花粉の大量飛散が始まったのだろう。

スギは今月いっぱいで終息するが、ヒノキはむしろこれからしだいに多くなっていって、ピークは4月上旬ころになり、GWのころまで続く。

スギ派の人たちにとっては、つらい時期はそろそろ終わりだが、僕のようなヒノキ派にとって花粉の季節はこれから本番ということのようだ。

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2006/03/14

老朽化した避難ハッチを新品に取替え

06-03-14_15-51ベランダにある避難ハッチが老朽化して腐食がひどいため、今日、新しいハッチに取り替える工事が行われた。

全戸一斉ではなく、痛みのひどいところから順次、取り替えていくのだという。

さびついた古いハッチを取り除く作業は、電動カッターで切断していく。

あたり一面に、火花が飛び散る。

この火花をケータイで写真に撮ろうと、何枚もシャッターを切る。

火花はなかなかタイミングが難しく、パッと飛び散った時にシャッターを押しても何も写っていない。

飛び散る直前にシャツターを押してキャッチしたのが右の写真だ。

1時間ほどかかって、新品のピカピカハッチに取り替えられた。

作業員がまだいるうちにと、ハッチを開けてみようとしたが、これがなかなか難しい。

「ロックがかかっているから、それをまず、はずして下さい。簡単にはずれますよ」と作業員が言う。

が、このロックの位置が手探りなので、なかなか外し方が分からない。

四苦八苦してようやくロックを外しハッチを開くことが出来たが、実際に火の手がそばまで迫ってきている時に、落ち着いてロックを外すのは至難の業かも知れない。

このロックは、下の階のベランダからは外せない構造になっているのだという。

下のベランダから、泥棒などの不心得者がハッチを伝って上のベランダに上がって来るのを防ぐためという。

なるほど、と一瞬感心するが、裏を返せば、上のベランダから泥棒がハッチを伝って下のベランダに降りることは可能だということだ。

ともかく、避難ハッチが開けられるような事態は、どんなケースであっても起きてほしくないものだ。

ピッカピカの避難ハッチが、無用の長物のままで再び何十年後かに老朽化を迎えることを願うばかりだ。

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2006/03/13

録画ビデオの最も大事な部分を誤消去!!

これまで録りためた録画番組の中でも、最も大切なお宝シーンを、よりによって誤操作で消去してしまう者がいたら、そいつはよっぽどの大間抜けであろう。

僕はここ20年ほどの間に、さまざまなクラシック音楽の番組をVHSテープに録りため、最近ではDVDに録りためている。

その700~800本にのぼる録画番組の中でも、僕が最も気に入っているのは、2001年9月に放映された「ルネ・フレミング魅惑の歌」という特集だ。

東京フィルハーモニーの演奏をバックに、歌姫ルネ・フレミングがさまざまなオペラの中の名曲アリアを歌っている。

この中でも、しびれるほどに素晴らしいのは、ドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」の「月に寄せる歌」で、僕が記憶している限りはテレビで放映されたのは、この番組だけだった。

昨夜もこのビデオを堪能した後、この次はすぐに「月に寄せる歌」を再生できるように、この歌の冒頭のところまで巻き戻し、ビデオデッキの「取り出し」ボタンを押した。

ところが、画面の様子がおかしい。

テープが出てくるどころか、画面にはテープのルベルアップがどうのこうの、という文字が出ている。

ハッと見たら、なんとデッキの「録画」ランプが赤く点灯しているではないか!

一瞬、頭が真っ白になった。僕が押したのは、「取り出し」ボタンではなく、「録画」ボタンだったのか!?

あわてて、正しい「取り出し」ボタンを押すが、「録画」ランプは消えない。気づいてようやく「停止」ボタンを押す。

この間、約1分。万事休すだろうか。

取り乱した頭の中でも、なんとか録画モードになっていないことに、かすかな期待をかけたが、結果は無残だった。

僕が最も大切にしていた「月に寄せる歌」の冒頭の約1分は、狂乱のような乱れた画面に続いて、何も映っていない真っ白な画面になってしまった。

元に復元する手立てはなく、お手上げである。

かえすがえすも悔やまれることは、誤消去防止のためのテープのツメを折っていなかったことだ。

茫然自失、なすすべなく、後悔と自己嫌悪で、ぼーっとなる。

再放送の予定はないかと、月刊テレビ情報誌をめくってみるが、いま消去してしまった番組がすぐに再放送されると思うこと自体、大馬鹿ものだと自分でも思う。

あらためてデッキのボタンを見ると、左から録画、停止、取り出しの順に同じようなボタンが並んでいて、極めてキケンな配置になっている。

再生ボタンも押してないのに、録画ボタン1つを押しただけで、なんの歯止めもなく上書きで録画状態になってしまうことの恐ろしさ。

ボタンを押すときには、念には念を入れて確認した上で、指差し呼称が必要かも知れない。

「取り出し、よーし!」という具合に。

さらに保存用のテープは、必ずツメを折っておくということは鉄則中の鉄則だ。

消えてしまった「月に寄せる歌」は、さしずめ高価な授業料であり、馴れによって安易になっていた僕のビデオ操作に対して、神様が(神なんて普段は信じないのだが)警告を発してくれたものと、有り難く受け止める以外にないだろうと思っている。

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2006/03/12

時空の中での位置が分かるコンパスは必携品

06-03-12_16-33僕たちは、意識するとしないとにかかわらず、3次元時空の中を生きている。

人間はこのうちの時間軸に対しては非常に敏感で、自分がいる時間座標が分からないと生活を営むのに支障をきたしてしまう。

どの家にも時計があり、また外出する時に多くのひとが腕時計か、もしくはケータイの時計機能を頼りにしているのは、このためだろう。

しかし、こと空間軸に対しては、みな大雑把というかのんきに構えていて、どちらが北でどちらが東かというようなことは、普段はあまり気にとめていない。

僕はいつも外出する時には、ショルダーバッグにアクセサリー代わりに小さなコンパス(磁気羅針盤)をつけて歩いている。

いつも通っている道や普段見慣れた街を歩く時には、コンパスなどなくても平気なのだが、初めて歩く街や通りでは、これが結構役に立つ。

地図を片手に目的地を探し歩く時には、コンパスなしではとんでもない方向に行ってしまう。

海外で街歩きをする時には、ガイドブックの地図が北を上に描かれていることが多いので、コンパスと照合しながら歩くと、曲がりくねった道でも迷うことはない。

数日前、バッグにつけていたはずのコンパスがなくなっているのに気づいた。

ホルダーのチェーン部分がいつの間にか切れてしまったらしい。

コンパスがないと、腕時計を忘れたように、こころもとない気分になる。

時計の場合は、駅などの公共的な場所にあるが、東西南北の方向を記してある場所は意外と少ない。

小田急百貨店の各フロアには、エスカレーターの昇降口付近に東西南北がていねいに明示されていて分かりやすいが、こうした表示はもっといろいろな場所にあってもいいように思う。

ともあれコンパスなしでは格好がつかないので、東急ハンズに行って新しいのを買ってきた。

横にしても斜めにしても逆さにしても水平面を保持する立体タイプで、567円。

とても使いやすく、3次元時空を動くための必需品だと思っている。

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2006/03/11

個人的な備忘録としてのブログ

昨日は表の「時間の岸辺から」に書いたように、僕にとって毎年恒例となっている胃カメラの検査を受けてきた。

検査をしてくれる医師はもう長い間、同じ一人の医師なのだが、数年前からその医師の行動パターンが変わって、それに合わせて検査を受ける病院も変わった。

病院が変わっても同じ医師なので、お互いに顔はよく覚えていて、毎年挨拶を交わしているのだが、困ったのは前の病院では朝からの検査だったのが、こんどの病院では午後の検査になったことだ。

これだと、予約時間が午後3時半などになったら、実際の検査はさらに遅れて4時半くらいからになり、会計を済ませて病院を出るころには日が暮れている。それまで食事も抜きなのだ。

そこで今年の予約を取るにあたって、僕は慎重な作戦を練り、12月に予約の電話を入れるように言われていたのを、1カ月早く電話を入れて、午後1時からの予約を取り付けることに成功した。

実際には、病院の都合で昨日はこれがさらに早まって、午後からの半日をすっきりした気分で過ごすことが出来た。

そしてまた来年3月の予約を、今年12月に電話で予約するように言われたのだが、僕としては今年も早めの予約を心がけたい。

去年は11月の何日に予約を入れたのかを確かめようとしたが、カレンダーは捨てているし、手帳は使っていないしで、この記録がない。

病院に電話して聞くのもヘンかなあ、と思っていたところ、ハタと思い出した。

僕は、早めに胃カメラの予約をしたということを、ブログに書いていなかったか。書いたような気がする。

でもって、バックナンバーを調べてみたら、あったあった。

僕は11月7日に「来年3月の胃カメラ検査を予約」というタイトルで書いているではないか。

それを読むとこんなことを書いている。

検査までにはまだ4カ月以上もある。まあ、4カ月なんてあっという間に来るものだけど。

人間には来年のことは分からないが、検査の予約くらいは今から入れておいても鬼に笑われることはあるまい。

こうして見ると、ブログというのは意外と便利な備忘録になるものだと、改めて発見して感心する。

ウェブ・ログというからには、もともと記録機能・備忘録機能が基本なのかも知れない、と思ったりする。

日記もつけてなく、手帳も使わず、手帳代わりのメモ帳すら数年前から使わなくなった身にとっては、節目節目の行動記録を書いておくことも無意味ではないような気がしてきた。

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2006/03/10

ココログのシステム障害で連続更新ストップ!

昨日午前から、ココログの管理画面にアクセス出来ない状態が続いていた。

午後3時までの予定のメンテナンスという説明があったのが、しだいに終了予定時刻が延長され、さらに午後9時まで再延長となった。

ところが午後9時を過ぎても管理画面へのアクセスは出来ず、そのままの状態で日付が変わってしまった。

10日朝になってもいぜんとして異常は続いていて、午後になってココログ事務局は、これがメンテに続いて発生したシステムトラブルであることを、専用のブログで説明した。

これに対して利用者からは怒りのコメントが殺到していたが、さきほど夕方4時前になって、ようやく管理画面に入ることが出来た。

一昨年12月8日からおととい3月8日まで15カ月間、456日途切れることなく続けてきた僕のブログの連続更新は、ココログのシステムトラブルという無責任な事態によって、あっけなくストップすることになった。

いまやweb2.0時代の象徴ともいわれ、空気のようになくてはならないインフラとなっているブログが、このようにおそまつなトラブルで2日間もダウンするのでは、ブログサービスの会社としては失格であろう。

ココログはニフティ会員を対象としたブログに加えて、会員以外でも無料でブログを開設できるフリーコースを始めているが、どうもそのフリーコースを作ったあたりから、ココログのサービスが粗雑になり、アクセスが重くなった。

今後ともココログのままでいいのかどうかは、再検討しなければならないと思っている。

また、はからずも途切れてしまった連続更新については、再度また1からやり直す意気込みは、もはや僕にはない。

これからは無理をせずに、不定期に随時更新するスタイルにしていきたい。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「毎年恒例の胃カメラ検査を受けて、春を迎える」をアップロード)

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2006/03/08

オペラにおける時代や設定の読み替えの是非

06-03-08_22-38僕はオペラについてはまったくの素人で、とりわけモーツァルトのオペラはテレビですら見たことがない。

しかし、今年はモーツァルトイヤーだというので、1月に何回かに分けて特集で放映されたモーツァルトのオペラを録画しておいた。

今日、その録画したDVDの内容をチェックして驚いた。

「フィガロの結婚」にしても「コシ・ファン・トゥッテ」にしても、時代設定がモーツァルトの頃ではなく、なんと現代のある場所に置き換えられているのだ。

ワーグナーの歌劇や楽劇については、時代や設定の置き換えが行われるのが流行りだと聞いてはいたが、モーツァルトまでこんなに時代設定を変えているとは知らなかった。

「コシ・ファン・トゥッテ」はとくに現代を強調しているようで、背広にネクタイ姿の男たちと、真っ赤なミニスカートの女たちが、アメリカンミュージカルのような軽薄な雰囲気を作り出している(写真)。

こうした時代や設定の置き換えは、熱心なオペラファンやマニアたちにとっては、こたえられないほど見ごたえのある面白いステージなのだろうと想像する。

しかし僕のように、まったく初めてそのオペラに接しようとしているものにとっては、思い描いていたモーツァルトオペラのイメージが粉々に打ち砕かれて、強いショックである。

時代設定を変えたら、当然のことながら歌詞の内容も変えなければならない箇所がたくさんあるのではないか、と思うのだが、そのあたりはどうなっているのだろうか。

ともかく、想定外の内容に恐れをなして、僕はすごすごとDVDの再生を停止し、見るのをやめた。

オーソドックスな、というか古典的な演出のフィガロやコシならば見てみたいと思うが、現代風のモーツァルトオペラには手が出ないという感じだ。

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2006/03/07

ヤフオクにマンションが出品されているとは

ヤフーのトップページを見ていたら、「ヤフオクでマンションを」という文字が目に入り、何かの冗談だろうかと思いながら見てみたら、本当にマンションが出品されているのには驚いた。

いつからマンションの出品が出来るようになったのだろうか。

渋谷のデザイナーズ・リフォーム済み2LDKマンションが、開始価格10,000,000 円でこれまでに17人が入札していて、現在の価格は11,001,000円になっている。

マンションだけではない。牛久市の耐震リフォーム一戸建て住宅も同じ開始価格で、こちらの方は25人も入札している。

ゼロの数を数えると一千万円を超える価格だが、相場からすれば安いということか。

不動産を購入する場合の鉄則は、現物を十分にチェックし、周囲の環境も休日と平日の両方に足を運んで自分で確かめることが必要、と住宅情報誌などに繰り返し書かれているが、オークションなんかで簡単に決められるものなのかと、不思議な気がする。

競って入札している人たちは、自分たちが住む家として買おうと思っている人もいるだろうが、投資用に確保して賃貸しようと考えている人や、あるいは不動産経営者らもいるのかも知れない。

購入後のトラブルや瑕疵などには、どのように対応してくれるのだろうか。

オークションでマンションなんて、とびっくりしている僕の方がユビキタス社会から遅れているのかも知れないが‥。

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2006/03/06

とっておき号外に見るあの時(7)-樺美智子さんの死

06-03-02_22-321960年。西田佐知子のけだるい歌声が、時代の気分を象徴していた。

「アカシヤの雨にうたれて このまま死んでしまいたい‥」

時代もまた冷たい雨に打たれ、時代も咽び泣いていた。

60年安保闘争の最大のヤマ場となった6月15日夜。国会周辺は血みどろの修羅場となっていた。

現場の状況は、ラジオ関東の島碩弥アナウンサーによって、ラジオの生放送で全国に流された。

「警官隊が追っています。だれかれの見境なく、突撃しています。今、首をつかまれました。今、放送中でありますが、警官隊が私の顔を殴りました」

隣にいたアナウンサーがマイクを代わる。「いま、島アナウンサーが、ものすごい勢いで警官隊に首ったまをつかまれました。このときの警官隊の形相。まったく人間とは思えない、そういった激しい表情にみちみちていました。ただ、あるのは動物としての憎悪だけ。そこまで極言しても、おそらく過言ではないと思います」

警官の腕をふりきった島アナウンサーが、再びマイクに向かう。

「暴力です。警官隊のすごい暴力です。これが現場の状況、これが日本の現在の情勢です…」

06-03-02_22-38この未曾有の事態の中で、デモに参加していた東大生の樺美智子さんが死亡した。

このニュースはたちまちのうちに、日本全国に衝撃波となって伝わった。

僕の手元には、6月16日付けの朝日新聞の号外が保存されている。

この号外はどうやって手に入れたのかは、まったく覚えていない。

街頭配布されたものをとっておいたのか、後日にだれかから譲り受けたのか、それも分からない。

06-03-02_22-36当時の号外としては、格別に丁寧に作られた号外で、1面はさまざまな関連記事や談話で埋め尽くされており、裏の2面には「死者を出した六・一五デモ」の見出しによる写真特集。

さらに裏面の左下には、「倒れた上にドロぐつ 樺さん あっという間に死ぬ」の見出しで、樺さんの隣でスクラムを組んでいた明治大学文学部学生(23)の話が、つぎのように書かれている。

「夜7時すぎ、南門から入った私たちは構内でスクラムを組みなおした。おびただしい数の警官が国会のビルの影に並んでいた。私たちはその群れに向かって前進した。警官たちも、こちらへ歩き出した。歌もシュプレヒコールも起こらない。恐怖の一瞬だった。二つの群れが正面からぶつかった。やがて警官たちは警棒を振るい始めた。隣の女子学生(樺さんのこと)は、髪を乱しながら頭を下げた。男の学生たちも首を縮めた。足もとはドロの海。隣の女子学生がつまづいた。ほかの学生たちも何人かころんだ。倒れた女子学生の上を学生のドログツが踏みにじり、そのあと巻き返しに出た警官たちがまた乗り越えた。そのとき「女が死んでいる」とだれかが叫んだが、手のほどこしようがなかった」

再び日本が戦争に突き進む道を許してはならないという信念を、命をかけて貫き通した女子学生がいたという事実は、いつまでも僕の心に重くのしかかった。

僕たちは、樺さんが死をもって訴えたことがらに、きちんと応えているのだろうか。6.15がめぐってくるたびに僕は自問してみる。


【このブログの、この後の関連記事】
60年安保の6・15から半世紀、樺美智子さん忘るまじ(2010年6月12日)

6.15と樺美智子さん 1960年-2014年(2014年6月15日)


【このブログの、過去の関連記事】
45年目の6.15、樺美智子さんの2枚の写真(2005年6月15日)
とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成
とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争
とっておき号外に見るあの時(4)-毛沢東の死
とっておき号外に見るあの時(5)-ロッキード事件
とっておき号外に見るあの時(6)-空の大惨事

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2006/03/05

東京のサクラ開花、気象庁は25日で民間は29日

今年のサクラの開花予報が、気象庁と民間気象予報会社で大きく食い違っていて、注目を集めている。

気象庁は今月1日、東京のサクラの開花は平年より3日早く、昨年より6日早い25日と予想した。

僕はこのニュースを聞いた時に、今年の冬は例年になく寒かったのに、なぜ、と不思議に思った。

説明によると、サクラは寒い冬の後で、2月と3月に暖かい日が続くと開花が早くなる傾向にあり、今年はそれにあてはまるのだという。

暖かい日なんて2月にはほとんどなかったのに、それでもこれから3月に暖かくなって開花が早まるのだろうか。

これに対して、民間気象会社の「ウェザーニューズ」は、東京のサクラの開花を平年並みの29日と発表している。

この食い違いは大きい。

サクラは開花から1週間で見ごろを迎えるとされていて、気象庁の予報なら4月1日(土)と2日(日)がお花見のピークになる。

一方、民間気象会社の予報なら、4月1日と2日はまだ2分咲き、3分咲きの状態で、見ごろは4月5日(水)ごろになり、その週末の8日(土)、9日(日)あたりの散り始めたころが、お花見のピークになるかも知れない。

気象庁はこのところ、今年の厳冬を暖冬と予想し誤るなど、大はずれが目立っていて、僕の感じでは25日の開花はあり得ないように思う。

結局のところ、29日開花という民間気象会社の予報の線に落ち着くのではないか、という気がしているが、さてどんなものだろう。

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2006/03/04

ボーダフォンがソフトバンクに買収されると

わがボーダフォンがソフトバンクに買収されるとは、寝耳に水の驚きだ。

ネットのさまざまなボーダ関連掲示板では、この話で持ちきりだ。

ボーダフォンが低迷していた理由は、まずは料金体系の分かり難さと、結局は高くなってしまう法外の料金だろう。

安いコースに申し込んでいるはずなのに、請求額を見るとなんだかんだと加算されて、目玉が飛び出るような料金になっている。

また、とんでもないところで圏外になってしまうなどの、落とし穴もときどきあった。

早い話が、新宿の伊勢丹会館の中は、ほかの人たちがケータイで話をしたりメールを見たりしているのに、ボーダだけは圏外だ。

掲示板の書き込みには、これで料金を含めたサービス改善が期待できるとして歓迎する意見もあるが、ソフトバンクというのがどうも、という意見が少なくない。

僕もソフトバンクには、なんとなくウサン臭さがつきまとっているような気がして、好きになれない。

ソフトバンクに買収されたら、どういう名前になるのだろうか。ソフトバンクフォンなんてのは、絶対イヤだなあ。

番号ポータビリティによって、電話番号はそのままだとしても、メールアドレスにはvodafoneの文字が入っているので、これは変わってしまうのかも知れない。

僕が一昨年の夏に、ドコモのケータイからボーダフォンに乗り換えた最大の理由は、海外ローミング対応機種がいろいろと揃っていることだった。

海外ローミングは今後どうなるのだろうか。ドコモやauも海外ローミングがあるにはあるが、機種も少なく、使える国や地域もまだ限られているようで、こころもとない。

とりあえずはソフトバンクによって、こうしたサービスがどうなっていくのかを見定めた上で、どうするかを考えるしかなさそうだ。

サービス改善もイマイチだったら、番号ポータビリティになるのだから、むしろ別なケータイに乗り換える機会かも知れない。

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2006/03/03

未来アートあふれる文化庁メディア芸術祭

06-03-03_22-38東京都写真美術館で開かれている文化庁メディア芸術祭に行ってきた。

ここ2年ほど行ってなかったので、久々にメディアアートの中にどっぷりと浸ってきた。

僕は去年の横浜トリエンナーレは、NHKの新日曜美術館を見ただけで行ってないが、時代の先端をいくアートという意味では、このメディア芸術祭の方が質量ともに最高水準ではないだろうか。

まばゆいほどの数々の作品の中で、今回、僕が最も面白いと思ったのは、アート部門の推薦作品となった東工大ロボット技術研究会の「バーチャル・ブラウニー」という作品だ。

テーブルの上に、一辺が10センチほどの立方体の形をした黒い箱が置いてあり、手前のモニター画面にはその箱が映し出されている。

モニター画面のほうには、3人のコビトたち(ブラウニーとあるので妖精であろう)が箱の周りを動き回っていて、力をあわせて黒い箱を動かそうとしている。

テーブル上の箱の周りには、コビトたちはいない。あくまで、モニター画面の中だけに見えるバーチャルなコビトたちなのだ。

ところが、モニター画面の中で、コビトたちが箱を押していくと、なんと不思議なことにテーブルに置かれた箱が実際に動いていくではないか!?

テーブルの上の箱は、見ている客が手でさわって勝手に動かすことが出来る。僕が箱を動かせば、僕の手もモニター画面に映る。

人間が箱を動かした時の、モニター画面の中のコビトたちの動きが傑作だ。

驚いて箱の周りから飛びのいたりして、大騒ぎをしている。

やがて、コビトたちはまた3人で箱を押していって、実際の箱もテーブルの上を動いていく。

あたかも見えないコビトたちが動かしているかのごとく。

ほかにも、テクノロジーとアートが融合した不思議で楽しい世界がいっぱいで、1日かかっても全部は見切れないくらいだ。

映像では、子どもたちが、とうていありえないようなマスゲームを繰り広げながら行進を続ける「OH HISSE」というCG映像が面白かった。

今年の文化庁メディア芸術祭は5日まで。入場無料。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「いくら探しても探しても、見つからない探し物」をアップロード)

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2006/03/02

勝浦市に嫁入りした雛人形に代わるミニ雛飾り

06-03-02_16-342我が家の雛人形たちは、4年前に勝浦市に嫁入りし、毎年「かつうらビッグひな祭り」の中のどこかに飾られて、新たな人生を歩んでいる。

この話は、1年前のこのブログで書いたが、それらの8段飾りの人形たちに代わって、僕の家でささやかに雛祭りのムードを演出しているのが、手のひらに乗るほどの小さなミニミニ雛飾りだ。

台の直径12センチ、高さ10センチ。本当にちょっとした風で吹き飛びそうな軽さで、いまはテレビの上に、ちょこんと乗っている。

もともとは台座の中に、雛あられが入っていたのだが、いまは棚の奥にしまわれていて、雛祭りの前だけ出して飾っている。

嫁入りして「かつうらビッグひな祭り」に出ている雛人形たちの、いわば分身である。

桃の節句というのに、今年は本当に寒い。

東京のサクラの開花予報が昨日発表になり、東京は平年より3日早い25日だという。

そんなはずはないように思う。これだけ寒い日が続いた冬の後は、サクラの開花が遅れるのが普通だ。

結局は平年並みか、それよりやや遅れるのではないか、という気がしている。

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2006/03/01

ビキニ水爆実験と第五福竜丸の被爆

今日3月1日は、三一ビキニデーである。この言葉は、もう死語になってしまったようで、新聞には1行の記事すら載っていない。

僕が学生のころには、この日は、核兵器廃絶を求めるなにがしかのデモや集会が各地で行われていた。

1954年3月1日、アメリカはビキニ環礁で15メガトンの巨大な水爆実験を行い、島3つを吹き飛ばした。

米政府が想定していた危険水域の外で操業していた焼津のマグロ延縄漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被爆した。

「船の位置を観測し終えたとき、光が天に昇ってきた。白い光が一斉に前からも後ろからも上がってくる。あまりにも突然で、天空を圧倒した。最後は炎となって大空を焦がした」と、漁労長は後に語った。

hibaku03013月14日、第五福竜丸は焼津に帰港した。被爆の惨状はまだだれにも知らされていなかった。

翌15日、出先の記者クラブにいた読売新聞焼津通信部の安部光恭記者のところに、下宿先のおばさんから電話がかかってきた。

「14日に入港したマグロ漁船の船員たちが妙なヤケドを負っているという話だよ。ビキニ環礁のそばで強い光を見て間もなく、空からふってきた白い灰をかぶったらしい」

安部記者は電話を切ると、他社の記者たちには「オヤジが急病になっちゃった」と言って飛び出した。

これが読売新聞の世紀の大スクープの発端だった。

翌16日の読売新聞朝刊1面は、「邦人漁夫 ビキニ原爆事件に遭遇」「23名が原子病」の見出しで、ヒロシマ・ナガサキにつぐ衝撃の3度目の被爆の全容を報じた。

半年後の9月23日、無線長の久保山愛吉さん(40歳)は、「身体の下に高圧線が通っている」「原爆被害者は私が最後にしてほしい」と言いながら死んだ。

安部光恭記者はこの大スクープで、第3回菊池寛賞を贈られた。

僕は中学の時に、学校の図書館で、この大事件スクープのいきさつを読んで非常な感銘を受けた覚えがある。

3月1日になると、僕はいつもこの話を思い出す。

「第五福竜丸」は、のちに新藤兼人監督によって映画にもなった。

この映画で久保山愛吉さんを演じたのが、「博士の愛した数式」で好演した寺尾聡の父、宇野重吉である。

もうひとつ、この事件から誕生した世界的な反核・反戦映画があった。それがこの年の秋に公開された「ゴジラ」である。

これについては、2月9日のブログ「ゴジラ音楽の伊福部昭さん死去」のほうに書いているので、そちらをご覧いただきたい。

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