オペラにおける時代や設定の読み替えの是非
僕はオペラについてはまったくの素人で、とりわけモーツァルトのオペラはテレビですら見たことがない。
しかし、今年はモーツァルトイヤーだというので、1月に何回かに分けて特集で放映されたモーツァルトのオペラを録画しておいた。
今日、その録画したDVDの内容をチェックして驚いた。
「フィガロの結婚」にしても「コシ・ファン・トゥッテ」にしても、時代設定がモーツァルトの頃ではなく、なんと現代のある場所に置き換えられているのだ。
ワーグナーの歌劇や楽劇については、時代や設定の置き換えが行われるのが流行りだと聞いてはいたが、モーツァルトまでこんなに時代設定を変えているとは知らなかった。
「コシ・ファン・トゥッテ」はとくに現代を強調しているようで、背広にネクタイ姿の男たちと、真っ赤なミニスカートの女たちが、アメリカンミュージカルのような軽薄な雰囲気を作り出している(写真)。
こうした時代や設定の置き換えは、熱心なオペラファンやマニアたちにとっては、こたえられないほど見ごたえのある面白いステージなのだろうと想像する。
しかし僕のように、まったく初めてそのオペラに接しようとしているものにとっては、思い描いていたモーツァルトオペラのイメージが粉々に打ち砕かれて、強いショックである。
時代設定を変えたら、当然のことながら歌詞の内容も変えなければならない箇所がたくさんあるのではないか、と思うのだが、そのあたりはどうなっているのだろうか。
ともかく、想定外の内容に恐れをなして、僕はすごすごとDVDの再生を停止し、見るのをやめた。
オーソドックスな、というか古典的な演出のフィガロやコシならば見てみたいと思うが、現代風のモーツァルトオペラには手が出ないという感じだ。
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