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2006/04/30

4月も今日で終わって、明日から5月

1年の3分の1が終わって、明日から5月だ。

気候がよくなると、歩きたくなる。

今が歩くには一番いい時期なのだろう。

もうちょっと暑くなると、また歩くのは汗だくで面倒になる。

というわけで、陽気に誘われて、あてどもなく歩いてみる。

日ごろ通っている道をはずれて、どんどん歩いていくと、幹線通り沿いにも裏通りにも、高いマンションが増えていることに驚く。

建設中の高層マンションも多く、建築現場の周辺には、「高層マンション絶対反対」の赤いノボリ旗が林立している。

24階建て、33階建てと、あちこちに相当高いマンションの建築が進められている。

周辺住民による絶対反対の旗や、住環境破壊を訴える看板などをよそに、土台の工事が着々と始まっているものや、すでに10階くらいまで鉄骨が組みあがっているものもある。

目の前に高いマンションを建てられる住民たちの気持ちはいかばかりかと察するが、こういうものはいったん着工してしまったら、もはや手遅れではないのか、と思ったりする。

着工の前に、どれだけ地元民が結束して、行政を巻き込んで業者との話し合いが出来るかが、勝負の分かれ目であろう。

裏通りを歩いていると、ふとデジャ・ヴュのような感覚に襲われる光景に出くわしたりする。

夢の中によく出てくる街の光景であったりする。

GW中の日曜日ということもあってか、子どもたちの姿がほとんどないのが気にかかる。

ところどころに小さな公園があって、幼児を遊ばせている親たちはいるが、小学生くらいの子どもたちがいない。

少子高齢化というのは、まずは子どもの姿が見当らなくなることなのか、と納得したりする。

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2006/04/29

記録媒体としてのDVDは便利だが、時にエラーも

パソコンで作成したファイルやネットからダウンロードしたファイルの保存先は、どれが適当か。

Win95のころはフロッピーディスクに入れていたが、Win98に変えてからはほとんどCD-Rに入れるようにした。

現在使っているWinXPには、記録媒体としてDVD-Rが使えるので、最近はほとんどCD-Rを使わず、データ用のDVD-Rに保存するようにしている。

DVD-Rは書き換えは出来ないが、空き容量があればさまざまなファイルをどんどん追記していくことが出来るので、1枚に4.7ギガ分のファイルを収めることが出来る。

4.7ギガも入るため記録媒体としては便利なのだが、僕のパソコンに装備されているDVD書き込みドライブは、非常に繊細でデリケートでちょっとしたことで原因不明のエラーになって、DVD-R1枚をパーにしてしまうことがある。

去年から、昔の8ミリビデオに写したさまざまなアナログ映像をパソコンに取り込み、ビデオ編集ソフトを使って動画用DVDにデジタル映像で保存する作業を少しずつ進めてきた。

それが一段落したことから、これらの作業の過程でパソコンにたまったさまざまな動画ファイルなどを、今日、整理することにした。

作業の途中段階で発生したさまざまなファイルはデリートし、パソコンに取り込んだアナログの生映像と完成したデジタル映像だけを、データ用DVD-Rにバックアップ保存しておくことにした。

動画のDVDが完成しているのだから、ファイルのバックアップはしなくても当面は困らないのだが、いつかまた必要にならないとも限らない。

今回、バックアップすることにしたファイルは約50ファイル、全部で約4ギガの分量になった。

4.7ギガのデータ用DVD-Rにちょうど入るデータ量である。

さきほど、全部を一括して書き込みを試みた。

これだけの分量だと、さすがに時間がかかり、進行状況を表示する横棒のグラフが、20%を超えるのに15分もかかり、さらに延々と待つこと30分。

ようやく80%くらいまで進んで、あともう少し、というところで、突然、エラーの表示が出た。

「DVDドライブにエラーが発生しました」

そして、容赦なくDVDディスクが自動的に出てきた。

何がどうなったためにエラーになったのか、どういうエラーなのかは一切分からない。

かすかな望みをつないで、出てきたDVD-Rの中身を見てみたが、何も保存されていない上に空き容量ゼロの表示になっていて、もはや2度と使うことも出来ない。

こうなると、上書きの出来ないDVD-Rは捨てるしかないのだ。1時間以上費やした時間もそっくり無駄になった。

再度、新しいDVD-Rを使って最初からやり直す。

何をどう変えたわけでもないのだが、こんどは80%から先も順調に進んで、すべてのファイルがきれいに保存された。

僕の感じでは、DVDドライブによる書き込みは、データ量が多い場合は10回に1回くらいの確率で、今回のようなエラーになって、ディスクを1枚無駄にしてしまう。

気まぐれなエラー発生はデジタルの宿命なのだと、僕はなかばあきらめているのだが。

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2006/04/28

1カ月500円で毎日食べられる「うどん定期券」

060427_17501街をあるいていたら、「うどん定期券」の看板を見かけた。

1カ月500円で、毎日、その店のうどんが食べられる、と書いてある。

ほんまかいな。500円で毎日食べられるなら、極貧の生活をしている人々には朗報ではないか、と思って看板をよく読んでみる。

この定期券を買えば、1日1回、その店のすべてのうどんや定食などが、105円引きになる。

うどんにもいろいろな種類があるが、かけうどんの小は105円なのだ。

これを食べるなら、定期券によって105円引きとなって、追加料金はゼロですむ。

1カ月間、かけうどんの小を食べ続けるならば、500円の定期券1枚で事足りる。

ただし、この定期券は発売期間がGW中だけで、更新も出来ないと書いてある。

ほかの具の入ったうどんを注文する時は、105円との差額を払う必要があるのだが、うどん好きの人ならば買うに値するかどうか。

残念ながら、僕はラーメンや日本そばなら食べるが、うどんは子どものころから苦手。

食べ物についての定期券という発想はいいが、もっと別なもので定期券を作ってほしいなあ。

ステーキ定期券とか、うな丼定期券とか。1カ月で3000円程度なら買ってもいいが、店の側は採算が取れず、やはり無理か。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「あれほど待ちわびたGWも、いざ明日からとなると‥」をアップロード)

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2006/04/27

釈然としないホリエモン保釈、一審は無罪の流れか

ホリエモンが東京拘置所から3カ月ぶりに釈放されて、シャバに姿を現した。

小切手で3億円の保釈金を払ったというが、なんとも釈然としない。

容疑を認めているなら、このような段階で保釈されることはあり得るが、容疑を全面的に否認し、調書への署名もほとんど拒んでいるのに、なぜ保釈したのだろうか。

保釈に反対する検察側の準抗告を退けて、東京地裁が保釈を決定したということは、はやくも裁判の流れを示唆しているかのような印象を受ける。

東京地裁で行なわれる1審では、ホリエモンが無罪となるのではないか、といういやな予感がする。

1審の無罪を受けて検察側が上告し、高裁でどうなるかが見ものだ。

いずれにしても、この裁判は最高裁まで争われることは確実だろう。

保釈されたホリエモンは、明日からどうするのだろうか。

ライブドア本社に行くことは可能なのだろうか、それとも禁止されているのだろうか。

また保釈中にテレビに生出演して、自分の無実を主張したりすることは出来るのだろうか。

新聞や週刊誌などによる単独インタビューや手記の掲載などは、どうなのだろうか。

今夜の東京拘置所前のすさまじい数の報道陣を見ていると、ホリエモンがいわれなき罪を着せられた改革者のような、そんな英雄扱いが早くも感じられる。

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2006/04/26

寝耳に水、在日米軍再編の日本負担は3兆円!

今日のビッグニュースは、姉歯元建築士ら8人の一斉逮捕ではない。

ましてや保釈金3億円でホリエモンの保釈を東京地裁が認めたことでもない。

最大の衝撃的ニュースは、在日米軍再編にかかる費用の日本側負担が、なんと3兆円というとてつもない額であることが、米国防副次官の会見で初めて明らかになったことだ。

この超財政危機の中、福祉から教育、文化振興まであらゆる予算を切り詰めて、なんとか支出を1銭でも少なくしようとしている中、3兆円という金額を聞いて、悪い夢を見ているような朦朧とした気分になる。

3兆円もの負担が日本にかかるということを、これまで日本政府のだれもが知らされていなかったとは、どういうことだろう。

小泉首相も額賀防衛庁長官も、本当に知らなかったのだろうか。

日本側の負担はグアム移転費だけで済んだと考えていたのだとしたら、日本政府はとんでもない大間抜けだったことになる。

これほど多額の国民の税金による負担が、政府関係者から国民への一言の説明もなく、国会への報告も審議も一切ないまま、アメリカの一方的なソロバン勘定だけで決められるということ自体、重大な憲法違反ではないか。

政府は、安保条約に基づく義務的支出であると説明したいところだろうが、かりにそうだとしても、事前の協議なども一切ないまま、目もくらむほどの巨額の負担が既成事実化されていくのは、安保条約にすら違反しているのではないだろうか。

どうも日本政府は、イラクへの突出した自衛隊派遣などでアメリカに尻尾を振りすぎ、すっかりなめられてしまった感がある。

ブッシュやラムズフェルドに、愛想笑いを浮かべて揉み手で擦り寄っていくようなだらしない姿勢が、今回の3兆円負担を招いてしまったのは明らかだ。

ポチはいやいやのふりをしても、結局は嬉々としてついてくるに違いない、という読みがアメリカにはある。

3兆円の負担を、日本政府が受け入れるならば、子羊のように従順で無抵抗な日本国民は、こんどこそ目をさます必要があるだろう。

このような日米同盟ならば、根本的な見直しも必要だ。

米国一辺倒ではなく、中国や韓国、そしてアジアの国々との友好同盟関係を模索し、ロシアやヨーロッパ諸国、アラブ・イスラム諸国、アフリカ諸国とも良好な関係を維持していく中で、独自の安全保障を確立していくことこそ、最善の道ではないのか。

3兆円問題と日本の安全保障のあり方については、これから最大の政治問題になっていくような気がする。

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2006/04/25

もうじきGWというのに、なぜこんなに寒い?

もうじきGWが始まり、4月もあと5日で終わって風薫る5月になるというのに、今日はとても寒い。

こんなに寒いのは気のせいだろうと思って、我慢していたが、やはり寒くて精神まで縮みあがってしまいそうになる。

そこで、この時期としては異例というか破格の措置だが、部屋の暖房を入れた。

GWを間近に控えたこの時期に、暖房を入れるはめになった記憶はあまりない。

4月の前半なら、花冷えのころに暖房を入れることはあったが、この寒さは昼間の雷雲の通過と関係があるのだろうか。

天気予報によると明日の東京も、今日と同じように寒気の影響で暖かくなりそうにないという。

今年は、春らしい暖かさを感じる日が少ないように思う。

寒い寒いといっているうちに、そのまま梅雨入りしてしまうような気がする。

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2006/04/24

JRの線路トラブルで新宿駅は大混乱

今日はJRの山手線などが長時間に渡って運休となったため、新宿駅は大混乱。

アナウンスの説明を聞いても、「新大久保-高田馬場間で線路点検を行なっております」と繰り返すだけで、何が起こっているのかさっぱりわからない。

南口では、払い戻しの乗客たちの列がくねくねと300メートルもの長さになり、自動改札を通れない客たちもまた、駅員のいる改札に長蛇の列。

JRのような複雑で巨大なシステムでは、すべてがうまくいくことを前提にして、何もかもが組み立てられているため、想定外のトラブルに対してはめっぽう弱く、対処の仕方がヘタだ。

線路が工事の影響で隆起することなど、まったく予想だにしなかった事態なのだろうが、トラブルというのは常に想定外のものだということを想定しておく必要がある。

危機管理とは、想定外のことが起きた時のことを想定することから始まるのだと思う。

この程度のトラブルで終日、右往左往を続けているJRを見ると、首都直下型地震でJRも私鉄も動かなくなって、タイミナル駅に数万人から10数万人の帰宅難民が溢れかえった時、はたしてパニックを防ぐ適切な誘導が可能なのだろうか、とマジで心配になってくる。

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2006/04/23

今日はブログの更新が出来なかった。

だからタイトルも入れていない。

映画「第三の男」でアンナを演じたアリダ・ヴァリさん死去。

並木道でのラストシーンはあまりにも有名だが、この映画はハリー(オーソン・ウェルズ)とアンナの共鳴と連帯について、いろいろと考えさせられることが多い。

そして二人の精神的な結びつきをついに理解出来なかったお人よしのアメリカ人、ホリー(ジョセフ・コットン)の「正義」についても、まさにアメリカという国と二重写しになる。

このあたりの解釈については、「第三の男」とその時代背景という考察がなかなか鋭い。

アリダ・ヴァリさんのご冥福をお祈りいたします。

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2006/04/22

プチプチ付き段ボールは、燃えるゴミか燃えないゴミか

押入れの収納を効率よくするためのパイプ棚とプラスチックケース4個が、3時過ぎに届いた。

包装を解いて、組み立て式のパイプ棚を作り上げ、押入れの中身を全部出して、収納し終えたらもう6時をまわってしまった。

後片付けをしながら気づいたのだが、プラスチックケースを包んできた包装材は、表がやわらかい段ボール、裏がプチプチになっていて、両者が貼り合わさって一体となっているものだ。

なるほど、これならプチプチで包んだものを段ボールで包む手間が省け、効率的で緩衝効果も大きく、なかなか考えた包装材だ、と感心する。

僕は、このように両者が接着剤で貼り合わさったような包装材を見たのは初めてだ。

さて、これを捨てる段になって、ハタと考えた。これは、燃えるゴミだろうか、燃えないゴミだろうか?

従来、段ボールとプチプチが別々に分かれている包装の場合は、段ボールは薄いものならば丸めて燃えるゴミ、厚いものならば折りたたんで資源ゴミとして出し、プチプチは燃えないゴミとして出してきた。

このように、くっついているものは、どういうゴミの扱いになるのだろうか。

プチプチと段ボールをはがそうとしたが、完全にははがすことは難しく、段ボールにプチプチがくっついたり、プチプチに段ボールがくっついたりしてしまい、どちらにしても中途半端になってしまう。

どうしたらいいものだろうか。プチプチ付き段ボールの山を前にして、思案は深まるばかりだ。

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2006/04/21

押入れの中を片付けるため、中仕切り棚など購入

僕は基本的にはこれ以上、室内に収納家具を増やさないことにしている。

棚や物入れを増やすと、一時的には片付いたように見えるが、やがて結局はまたモノがあふれて、前よりもかえって収拾がつかなくなるのだ。

しかし、このところの一連の探し物の過程で、押入れの中があまりにもゴチャゴチャと詰め込みすぎていることに気づき、なんとかせねば、と考えた。

そこで、これまで押入れの中に、どんどん積み上げたり、隙間に詰め込んだりしてきたモノたちを、整理棚とプラスチックケースを使って、効率的に収納しなおすことにした。

メジャーで寸法を正確に測り、うまく収まるサイズのものを東急ハンズで探して購入した。

整理棚とケースは明日届くので、これでなんとかうまく収まるといいが、と思っている。

いろいろと、いつか必要になるかも知れないモノをとっておくのもいいが、必要なときに取り出すことも出来なくては、捨てたのとほとんど変わりがない。

必要なときにすぐに取り出せてこそ収納しておく意味があるというものだろう。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「自分の死後も、ホームページやブログを維持したいか」をアップロード)

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2006/04/20

不要口座の残高179円、ATMで引き出すことも出来ず

060420_1736何年か前に、使っていない銀行口座をすっきりと整理しようと思い立ったことがある。

それらの口座のほとんどは、残高が1000円から2000円ていどの端数で、解約すると届出印やら解約届けやらで手続きが面倒なため、ATMで1円の端数まで全部引き出した。

こうしてゼロ口座にしておけば、何年も使わないでいると口座が消滅してしまう、と何かで読んだことがあるので、あとは野となれで放っておいている。

しかし1つだけ、ATMでは硬貨を引き出すことが出来ない銀行があった。普通預金の残高は179円である。

解約すれば179円は戻ってくるが、その手数が面倒だし、だいいち銀行印をどれにしていたのか覚えていない。

ATMで引き出せないとしても、窓口で引き出すことは可能だが、その場合でも銀行印が必要になる。

ということで、僕は何もしないまま、この口座を持っているのだが、律儀なことに毎月、「お取り引きレポート」というのが郵送されてくる。

今日も3月分のレポートが送られてきた。

「お取り引き明細」 2月末の繰越残高179円
            3月末の繰越残高179円

「お預かり資産」  合計179円

そうかそうか、僕は資産を預かってもらっているのか、とまんざらでもない気持ちになる。

この179円という残高は、超低金利が続いているため、3年も4年も経っているのに、全く同じ金額のままだ。

一生持ち続けたとしたら、いつか200円になることがあるだろうか、と考える。

1000円にならなければATMで引き出せないのだが、179円が1000円になるのに、何百年もかかるような気がする。

ひょっとすると数千年くらいかかるかも知れない。

ちょうど人類が滅亡するころである。それまで細々と預け続けていくのも、オツなものではないか。

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2006/04/19

探し回っていた探し物が見つかった!

見つからない探し物が増えてきた、という話を13日のブログに書いたが、その中でも最も重要な探し物が‥‥

この探し物については、紛失したでは済まされない大切なもので、もちろんお金で買えるようなものではない。

家の中のあらゆる棚や引き出し、収納だなや押入れの奥など、この2週間ほど探しに探し回ってきたが、どうしても見つからない。

昨日はふっと気づいて、脚立を使ってまだ見ていない狭い収納だなを開けたところ、さまざまな段ボール箱や紙袋が保管されているのを見つけた。

こんなところに、さまざまなものを置いていた記憶はまったくないのだが、部屋のリフォームなどをした時に、とっさに仕舞いこんだらしい。

それらの箱や紙袋をたんねんに開けていくと、ずっと以前に探してはいたが、見つからないのであきらめていたものたちが、いろいろと出てきた。

僕が探している最も重要なものも、ここから出てくるに違いないと、一時は期待に胸が躍った。

だが、がっかりしたことには、古い探し物がぞろぞろと見つかったのに、本命の探し物は含まれていなかったのだ。

ここでも見つからないということは、過去に何度か不用品を大量に処分した時に、それらにまぎれて捨ててしまったのだろうか、と思ったりする。

今日は、いちおう数日前に見てみた押入れの中を、こんどはすべて出してみて、一つ一つ点検してみた。

もう10年くらい開けてもみなかった大切なものがあることを確認できたが、やはり本命は出てこない。

探し疲れて体はぐったりし、しばし横になって目を閉じる。

うとうとしたのかどうか知らないが、気を取り直して、こんどはすでに何度も探してみた収納ダンスの引き出しを、再度徹底的に探すことにする。

こんどは、中のものを全部出して調べる。ここを探してもなければ、もう永遠に見つからないのでは、と思う。

ごちゃごちゃと入っている中身を全部出していき、ズボンの裾直しの時にもらった不要な端切れの山を取り出す。

と、あった! 夢ではないか! 端切れの山に埋もれて、まさしく探していた最も重要なものが見つかった。

見つかった小さなケースの中に、ちゃんと3点が無事に入っている。

あまりの嬉しさに、しばし虚脱状態となり、恍惚となって見つかったものを愛でる。

こんどはなくならないように、きちんと確認して保管する。

本命の探し物が見つかったので、これで探し物は一段落だ。まだ見つかっていないものが何点かあるが、それらは見つからなくてもそれほど困るものでもない。

今回の教訓としては、紛失すると困るものは、あまり奥に保管せずに、いつもすぐに所在を確認できるような場所に保管すべき、ということだ。

ま、ともかく今回の探し物をする過程で、記憶の隅からも消えていたいろいろなものが出てきたし、最後に本命の探し物も見つかって、いろいろと有意義であった。

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2006/04/18

ランチの熱い鉄板に火傷防止の注意シール

060418_1635レストランで料理が運ばれてきた時に、「鉄板熱いのでお気をつけ下さい」と言われることがある。

高級レストランではこのようなことはあまりなさそうだが、料理を鉄板ごと火にかけて、そのまま木の台に乗せて客に出す大衆レストランに、よくあることだ。

2カ月ほど前のことだが、某レストランで従業員が黙ってテーブルに置いていった鉄板に、僕がうっかり手を触れたところ、指がジュッと音を立てるくらい熱くて飛び上がり、食事するどころではない火傷を負ったことがある。

鉄板で火傷をする客は少なくないと見えて、すぐに従業員が火傷用の軟膏を指に塗ってくれたが、ヒリヒリとした痛みは1週間も続いた。

熱い鉄板を運んできた時には、従業員が「鉄板熱いので‥」と一声かけるのは常識だが、それでも店内が混雑している時など、従業員が無言で置いていくこともあって大変危険だ。

また声をかけても、外人の客には意味が伝わるかどうか、という問題がある。

今日行ったお店では、運ばれてきたランチの鉄板に、「熱い!」と書かれた赤いシールが挟んであり、「お熱いのでお気をつけくださいませ」と書かれている。

さらに、言葉が通じない外人にも分かるように、手をふれるなという意味のマークも書かれている。

このシールは食事をしている間中、目の前にあるので、客は否が応でも鉄板に触れないよう注意を払うことになる。

なかなかグッドアイデアだと感心する一方で、鉄板による火傷がよほど頻繁に起きているのだろうなと思ったりする。

このシールがあっても、小さな子ども連れはとても危険だ。子どもはなんでもすぐに手をのばして触りたがるので、大火傷につながりかねない。

ちなみに今日のランチは、牛肉、豚肉、鶏肉、ホタテ、エビの5種類全部と野菜を焼いて鉄板に盛り合わせたグリルで、これにライスとフリードリンク(味噌汁、スープ、ジュース、コーヒーなど)が付いて880円。ボリュームたっぷりで、なかなかのお値打ちであった。

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2006/04/17

コンパスを標準装備しているショルダーを買った

060417_1727僕はいつもショルダーバッグに、方位を指し示す小さなコンパス(磁気羅針盤)をつけて出歩いているという話を、3月12日のブログに書いたが、今日、新宿のバッグショップで、コンパスをアクセサリーとして「標準装備」しているショルダーを見つけて、思わず衝動買いをした。

野外用でもキャンプ用でもない、普通の街歩き用のショルダーなのだが、ちょうどいい具合に、お洒落なコンパスが付いている。

ジッパー付きの内ポケット、外ポケットもたくさんあって、さらにペットボトルやケータイを入れるスペースもあり、税込み3990円。060417_1722

これまで使っていたショルダーもポケットが多くて使い勝手が良かったが、ようやく春めいた暖かさになってきたので、このあたりで新しいショルダーに変えて気分一新といきたい。

ショルダーのアクセサリーとしては、実用性・利便性・ファッション性のいずれの面からも、コンパスに勝るものはないと僕は思う。

色違いの同じショルダーもあったので、そっちも買いたいくらいだ。

同じメーカーから、コンパス付きのトートバッグも発売されていて、それもなかなかカッコいいのだが、トートは大きくて、男の僕が使いこなすのは難しい気がする。

コンパス標準装備の新しいショルダーを幼稚園児風たすきがけにして、どこか見知らぬ遠い街をあてもなく歩いてみたくなった。

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2006/04/16

一車線規制区間で交通整理をする人形

060416_1026両側一車線ずつしかない交通量の多い通りで、電気工事が行なわれていて、片側の一車線を使って交互に車を流している。

規制にあたる係員は、左手を横に伸ばし、右手でひっきりなしに赤いバトンを振って、車を流している。

これも大変な役だなあと思って近づいてみると、この係員、実は人間ではなくロボットでもなく、なんと精巧に作られた人形なのだ。

ヘルメットをかぶっている上に、交通整理用の柵のようなものに中に入っているため、ちょっと見ただけでは人間と変わりない。

この工事区間の反対側はどうなっているのか確かめなかったが、おそらくもう1体の交通整理人形がいて、お互いが連動して一定時間ずつ交互に車を流しているものと思われる。

人形を使えば人件費の節約になるし、休憩時間の必要もなく延々と作業を続けてくれるので、工事をする側にとっては有り難い存在かと推察する。

よく国道わきなどに、スピード違反の監視にあたっているように見える警察官の人形が置いてあることがあるが、あれはいかにも人形っぽい。

今回の交通整理の人形は、手が人間のような動きをする上に、服装やヘルメットが人間の作業員と同じなので、近づいてまじまじと見るまでは人間と見まごう出来栄えだ。

いわば人形とロボットの中間のような存在だが、与えられた役目は十分にこなすことが出来ている。

こういうのは、なにか呼び名があるのだろうか。

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2006/04/15

切り替え工事で新宿駅の中央線快速ホーム閉鎖

060415_162815日の土曜日、JR新宿駅は甲州街道にかかる跨線橋架け替えに伴う線路の切り替えとホーム変更工事のため、始発から終電まで大幅な運転変更が行なわれた。

中央線の快速・特快はすべて運休となって、中央線快速ホームは閉鎖(写真)。

代わりに、中央線は御茶ノ水-三鷹間を各駅停車で運行したが、ホームは総武・中央線各駅停車が使っているホームを使った。

埼京線、成田エクスプレス、スーパーあずさ、スーパービュー踊り子など、さまざまな路線のさまざまな電車が始発駅変更などをして、この日は新宿をパス。

JRでは混雑を回避するため、山手線の運転本数を大幅に増やして対応していた。

跨線橋架け替えを含めて、新宿駅南口基盤整備事業がすべて終わるのは、10年後の2016年というから、ずいぶんと気の遠くなるような話だ。

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2006/04/14

個人情報をめぐる店と客の攻防戦

ポイントがたまるというので、某デパートのカードを出して買い物をしたところ、お釣りを渡されるときに、「○○さま、お待たせいたしました」と大勢の客の前で名前を呼ばれて、驚いたことがある。

何も悪いことをしているわけではないのだが、いきなり名前を呼ばれるとは思ってもみなかったので、恥ずかしい気がした。

このデパートのポイントは率が低い上に、うっかりしているとすぐに消滅してしまうので、以来、ポイントカードは使わないことにしている。

専門店でも、ちょっとした買い物をすると「お客様カード」に住所、氏名など詳細な個人データを書かせるところがある。

断りきれなくて書いたら、こんどは2週間に1回くらいの頻度で、その店の従業員から長い手書きの案内状が郵送されてきて、閉口したことがある。

昨日は、去年暮れにオープンしたというレストランに入ったら、会計をする前にカードとポールペンを渡された。

カードには、住所、氏名、年齢、電話番号、メールアドレス、勤務先など、個人情報をすべて書くようになっている。

たかがレストランなのに、といっては失礼だが、どうしてこんなに詳細な個人情報を求めるのだろうか。

僕は、何も書かずに白紙のままカードとボールペンを返し、この店にはもう来ないことにした。

店側が個人情報をほしがる気持ちは分からないでもないのだが、匿名を保ってひんぱんに利用したいと思っている客には、まったくの逆効果でしかない。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「デフレが続いているのに、戦後2番目の景気拡大局面とは」をアップロード)

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2006/04/13

見つからない探し物が増えてきて‥

今年になって、家の中でいろいろなものを探しまわることが多くなった。

これまでは、たいていのものは、すぐに見つからなくても、じっくりと推理を働かせて、めぼしい場所をさがせば見つかった。

しかし、今年になって探しているものは、ほとんどが見つからない。

僕の家の収納場所はそれほど何箇所もあるわけではなく、場所は限られているのだが、狭いスペースに奥から天井までびっしりと詰め込んでいるため、いったんしまい忘れると探すのに一苦労する。

一つの探し物が見つかっていないのに、さらに次の探し物も見つからず、こうして次々に見つからない探し物が増えていって、いまは5つのモノを探し中である。

そのうちの1つは、結構大きくてかさばるものなので、これだけ探して見つからないということは、捨ててしまったのだろうか、という気になってくる。

ほかの探し物は、いずれも小さなもので捨てることはあり得ないものばかりで、どこかにあるはずなのだが、どれも見つからない。

パソコンのファイルならば、どこにあるのか分からなくなったら、ファイル名で検索をすればたいてい見つかるが、アナログのモノたちは、検索することも出来ない。

なんでもそうだが、何かを大切に取って置くということは、必要な時にすぐに取り出すことが出来て初めて取って置く意味があるのだ。

すぐに取り出すことが出来ないだけでなく、そもそもどこに存在しているのかすら分からない状態では、取って置いた意味がないが、だからといって捨ててもいいようなものでもない。

今日も、かれこれ5時間以上も収納だなの中をかき回して探しているのだが、もう探しくたびれた。

 ♪ カバンの中も 机の中も 探したけれど 見つからないのに まだまだ探す気ですか‥

見つからなくったって、ものすごく困るというものでもないのだが、見つからないということ自体が、なんとも納得いかない。

探すのをやめて、夢の中へ行ってみたい気持ちになってきた。うふっふー、なんて言いながら。

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2006/04/12

NHK受信料は視聴時間分を払う従量制にせよ

NHK職員の相次ぐ不祥事がきっかけで不払いが急増しているNHK受信料について、総務省は受信料の支払いを法律で義務付ける方向で検討に入ったという。

僕ははっきりいって、法律による支払い義務付けには断固として反対する。

ではどうすればいいか。僕は、それぞれの世帯ごとに視聴した時間に応じて受信料を支払う従量制を導入することこそ、最も公平な方法だと思う。

そのためには、電気やガスのメーターのように、NHKを受信した時間が正確に記録されるメーターのようなものを、それぞれの家のテレビに取り付けることが必要だ。

さらに、従量制による受信契約を結ばない家のテレビでは、NHKが受信出来ないようにスクランブルをかけて放送する必要があるだろう。

各家のテレビで、その月にNHKをどれくらい視聴したかは、メーターから直接NHKにデータが行くようにして、いちいち検針員が見て回らなくても済むようにすることはもちろんのことである。

僕は元来、テレビがあまり好きではないので、ほとんど見ていない。

民放について言えば、まるっきり見ていないといってよく、年間を合計しても2時間くらいだろう。

NHKについていえば、僕はNHK総合テレビのニュースを、携帯ラジオで音声だけで聞いていることがほとんどで、それであまり不自由はない。

では、テレビでNHKの番組を全く見ないのかというと、正直いって、たまに見ることもある。

しかし、ここ数年間を通じての平均的なところでいうと、僕がNHKの番組をテレビで視聴(または録画)している時間は、1週間の合計で1時間弱くらいのもので、1カ月を合わせても3時間ほどしかない。

僕のように、1カ月合わせてもNHKテレビを3時間程度しか見ていない者と、朝から夜まで1日10時間も15時間もNHKテレビをつけっぱなしにしている者とを、同じ扱いにして一律の受信料を義務付けようということ自体、著しく不公平であり、根本的に間違っている。

従量制にすれば、僕などは月に100円も払わなくてもいいはずだし、NHKをつけっぱなしにしている人は月に1万円を超えるようになるかも知れない。

当然、これまでのような視聴率は崩壊するだろう。

災害時の緊急放送など、公共放送としての役目はどうなるのか、という議論も出るだろうが、こうした緊急時・非常時にはスクランブルを解除し、メーターの積算から除外することは可能だろう。

NHKを見たい人が見たい放送分だけをお金を払って見るという、極めてあたりまえのことが受信料改革の基本でなければならない。

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2006/04/11

穴場レストランがTVで紹介され、連日長蛇の列

新宿の、とあるところにひっそりと瀟洒なレストランがあった。

ランチタイムは、高からず安からずの料金で、とても丁寧な料理を出すところで、僕はたまに気が向いた時などふらりと入ることがあった。

このレストランは、パンはもちろんだが、コーヒーのお代わりが自由で、昼のピーク時でもそれほど混んでいなくて、ゆっくりと時間を過ごせるのが魅力だった。

それが、である。

1月ほど前から突然、この店の入り口に長蛇の列が出来るようになって、簡単には入ることもままならなくなった。

開店の11時前に客が並び始めて、開店後も20人、30人と長い列が途切れることない。

列が長くなり過ぎるとほかの店の迷惑になったり、ランチの時間内に入ることが出来なくなるため、連日、行列を誘導したり制限したりするために、2人の従業員が店の外でつきっきりの状態となった。

どうしてこんなに突然、行列が出来るようになったのか。

僕は不思議に思って、行列を誘導している従業人に尋ねてみた。

「先日、テレビで紹介されて‥それ以来、この状態なんですよ。申し訳ございません」だって。

なるほどねえ。世の中の人というのは、テレビで紹介されると、われもわれもと押しかけてきて、行列など苦とも思わずにそこで食べようとするのか。

静かなこの店のファンだった客たちは、入ろうにも入れない有様だ。

店の方は、それでもテレビで紹介されて行列が出来る店になることは、笑いがとまらないことなのだろうか。

おそるべきテレビの影響力。そしてテレビにやすやすと影響されるマスの怖さ。

去年の総選挙で、小泉自民党が圧勝したのも、こういうことだったのか。

フランス、イギリス、アメリカ、タイ‥世界のあちこちで大規模な市民デモがうねりを広げている中で、日本だけは聞き分けのいい子羊ちゃんたちの群れ。

子羊ちゃんたちは、テレビが大好きで大好きで、テレビの言うことならなんでも聞いちゃうのだな。

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2006/04/10

いまごろになって花粉症、ヒノキのピークとともに

僕は15年くらい前から花粉症だが、今年はほとんど症状が出なかった。

花粉症が治ったのか、それとも今年は花粉の飛散量が少なかったのか、などと思っていたら、ここ数日、鼻がムズムズして花粉症が発症している。

テレビや新聞の花粉情報では、東京では「少ない」が続いていて、ほぼ花粉の季節も終わりという状況なのに、僕の場合はようやく本格的な花粉シーズン到来という感じなのだ。

いろいろとネットで見てみると、確かにスギ花粉はほぼ終息に向かいつつあるが、ヒノキ花粉の方はいまがピークを迎えつつある。

先月15日にも書いたのだが、僕はスギ花粉に対する抵抗力がついてきた反面、ヒノキ花粉に対してはますます過敏になって、それでいまごろになって花粉症が出ているのではないか、という気がする。

2月や3月ならば、マスクをして外を歩いていても風邪を防ぐためという理由付けも出来て、不自然ではないが、4月も中旬というのにマスクをして歩くのはどうも抵抗がある。

政府や都は、遅まきながら花粉の少ないスギを植え替えるなどの花粉症対策に重い腰を上げようとしているが、僕からすればヒノキもなんとかしてほしいものだ。

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2006/04/09

誤消去した「月に寄せる歌」が放映された

先月13日のブログで、録画ビデオの最も大事な部分を誤消去した話を書いた。

誤消去したのは、ドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」の冒頭部分で、ルネ・フレミングが歌ったものだ。

この歌は、とても素晴らしい歌なのにテレビで流されることはめったになく、僕はテープのツメを折っていなかった自分の不注意に懲り懲りしたものだ。

もう当分、テレビで放映されることもあるまい、とあきらめていたのだが、なんとこの歌が昨日、放映されたのだ。

歌っているのは、アンナ・ネトレプコという歌手で、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでBBCフィルハーモニーの演奏をバックに歌ったものだ。

僕が、千載一遇のチャンスとばかりDVDに録画したことは言うまでもない。

災いを転じて福となす、というが、おかげで2人のソプラノ歌手による「月に寄せる歌」の聴き比べが出来ることになった。

ルネ・フレミングはアメリカ娘らしく、ハリのある強い声でまるでミュージカルのように明るく、そして楽天的な情感を込めて笑顔で歌っている。

今回のアンナ・ネトレプコは、キーロフ・オペラのヒロインから世界のオペラハウスに羽ばたいたという経歴を持ち、名前からするとロシア娘だろうか。

フレミングに比べて翳りのあるしっとりとした声で、同じ歌なのにネトレプコが歌うと、深い哀切と寂しさにしんみりとする。

誤消去から1月も経たないうちに、別の歌手によるものが放映されたことは、まことにラッキーとしかいいようがない。

こんどはDVDハードディスクだが、くれぐれも誤消去しないように慎重にDVDディスクに移さなければ。

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2006/04/08

世論調査の電話がかかってきて

出かけようとしていたところへ、電話がかかってきた。

女性の声で「こちら○○○○ですが、緊急世論調査でお電話しております」という。

○○○○というのは報道機関の名前だが、担当者は名前を言わない。

何についての世論調査でしょうか、と尋ねると、民主党の新代表についてです、という。

僕が答えればいいのかと思って、「ではどうぞ」と言う。

すると相手は、「あなたの家には、大人の方が何人おられますか」と、意外なことを尋ねてくる。

名前も言わない相手に、そのような個人情報を出していいのだろうか、と不安が頭をかすめる。

もしかして、世論調査の名目で、こちらの家族構成などのデータを聞き出そうとしているのかも知れぬ、と疑念が生じる。

女性の一人暮らしだったりした場合は、この質問に正直に回答することは、防犯上からも危険ではないか、と思う。

そこで僕は、○人です、とウソの人数を言う。

すると相手はすかさず、「その○人の中で、一番年齢が下の方を調査対象とさせていただきたいのですが、その方は男の方でしょうか、女の方でしょうか」と聞いてくる。

これは、いよいよあやしい、と僕は思う。

僕は、そのような個人情報については、お答えいたしかねます、と言う。

「では、その方はご在宅でしょうか」と相手は聞いてくる。

外出しています、と僕は言う。

「何時ごろにお帰りになりますか」と相手はたたみかけてくる。

僕はいよいよ警戒を強め、「さあ、何時ごろになるか分かりません」と、そっけなく答える。

「この調査は午後2時すぎまで行なっておりますので、では改めて電話させていただきます」と相手。

僕は、「2時までには帰らないと思いますが‥」という。

「では結構です。ありがとうございました」と相手は電話を切った。

いったい何だったのか。この電話は。

報道機関の名前を出しさえすれば、誰でもペラペラと家族構成でも何でも話すだろう、と思っているのだろうか。

かつては僕も世論調査にかかわったことが何度かあるが、面接して直接聞くことが鉄則だった。

調査員は、氏名が明記されていて社印が押された調査員証を携え、最初に相手に示すことが最小限のマナーだった。

いまは、電話による世論調査が主流のようだが、調査員が自分の名前も名乗らず、のっけからこちらの家族構成を聞き出すようなやり方では、たとえ本物の世論調査だったとしても、スムーズに回答を得られるはずがない。

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2006/04/07

キリストはユダの裏切りをなぜ防がなかったのか

僕は、キリスト教については何の知識も持ち合わせていないが、それでもイエスを裏切ったユダの話は、いつとはなしに耳に入っている。

ダ・ヴィンチはじめ多くの画家が描いている「最後の晩餐」では、キリストとユダの位置関係や仕草、表情が見所とされている。

この晩餐の席で、キリストは「あなたがたの一人が私を裏切ることになるだろう」と語り、ユダを含む12人の使徒たちの間に動揺が広がっていく。

僕は、全くの門外漢として言わせてもらうならば、この時、ユダが自分を売るであろうことをキリストが知っていたのに、なぜそれに対する適切な措置を講じることなく、ユダの裏切りを放置したのだろうか、と不思議に思う。

またユダも、キリストが裏切りに気づいていることを、この席で知ったはずなのに、なぜあえて、人類史上最も有名な裏切り者として、後々まで永遠に汚名を残すようなことをやったのだろうか。

裏切りの具体的な内容は、キリストの行方を追っていたローマの役人たちに、ユダが金貨と引き換えにキリストの居場所を知らせたとされており、これがキリストの磔刑を招く結果となった。

キリストはあえて、ユダに「いってなすべきことをなせ」などと、裏切りを暗に容認してそそのかすようなことを言っているが、このあたりも僕から言わせれば釈然としない。

本来ならば、ユダの行動を止めるべき立場ではなかったか。逮捕されて十字架の上で処刑されるよりも、生きてさらに教えを広める道をなぜ選ばなかったのか。

こうしてみていくと、ユダの裏切りにはナゾが多すぎる。

キリストがあえて、ユダを泳がせたままにして、わざわざ磔刑される道を選んだのだとすれば、これはユダ一人の裏切りというよりは、キリストの暗黙の了解による「逮捕幇助」のようなものといえないか。

今日の夕刊各紙に、「ユダは裏切り者じゃない?」という興味深い記事が載っている。

1700年前のものと推定される「ユダの福音書」の写本を、米国の科学教育団体の依頼で専門家たちが修復・鑑定を進めた結果、ユダの行為が実は、イエスの一番弟子として本人の依頼に従い、「救済」を完成させる役目を負った善行だった、と主張されているというのだ。

この主張が史実かどうかは、鑑定に携わった宗教学者の間でも議論が分かれているという。

キリストの磔刑という2000年も前の大事件の裏に、何があったのかは、いまとなっては真実を探り出すことは容易ではあるまい。

しかし、キリストがすべての人の罪を背負って磔刑に処せられたという「悲劇」が、これまで2000年にも渡ってキリスト教が多くの信仰を集めてきた拠り所になっていることを思うと、ユダの存在はキリスト教を広く流布させるための悪役として、極めて多大な貢献をしているように感じられてならない。

「救済」を完成させる役目を負った善行だった、というのは、そういう意味でなら納得できる気もするのだが‥‥

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「温暖化で海水が劇的に酸性化、生物の骨格溶解の恐れ」をアップロード)

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2006/04/06

9年前はまだモノクロ放送があった?

僕は、エクセルで作成した延べ1500曲のクラシック音楽録画データベースの中から、ふっと聴きたくなった曲があると、そのVHSかDVDを棚から取り出して再生する。

昨夜は、バルトーク弦楽四重奏団によるシューマンのピアノ五重奏曲のビデオを取り出して再生してみた。放送されたのは、NHKの教育テレビか衛星第2のどちらかのはずだ。

このビデオを見るのは初めてではないはずなのに、なんと演奏前のインタビューも演奏そのものも、全編モノクロだったのには驚いた。

ビデオのラベルを見ると1997年12月の放映となっていて、この演奏はその年に来日したバルトーク弦楽四重奏団の東京での演奏会を収録したものだ。

いまでも、「思い出の名演奏」というような番組では、1960年代や70年代に来日した演奏家の公演を、モノクロで放送することはたまにある。

しかしこれは、1997年に行なわれた公演の収録番組だ。

9年前にはまだモノクロの番組も当たり前のようにあった、ということだろうか?

僕はてっきり、そのころはすべての番組がカラー化されていたと思っていたのだが、これは錯覚でまだモノクロもあったのかも知れない。

久しぶりでモノクロの番組を見るのも、レトロな雰囲気で悪くはない。

僕の少年時代はもちろんのこと、社会人になってからもしばらくの間は、テレビといえばモノクロのものだった。

カラーテレビが出来てからも、カラー放送は全体の何割かしかなく、「この番組はカラーで放送しています」というテロップがわざわざ流されていた。

モノクロテレビでカラー放送の番組を見ているわれら下々の者が、このテロップが流れるたびに羨望と屈辱で歯ぎしりしたのも、いまとなっては懐かしい。

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2006/04/05

人体に含まれる微量の金には、どんな働きが

昨日のこのブログで、人体には微量の金が含まれていると書いたが、この金は体の中でどんな働きをするために必要なのか、気になっていた。

金とはおカネ(=マネー)のことではなく、原子番号79で元素記号Auのゴールドのことであり黄金のことだ。

この金が、すべての人間の体内に極めて微量ではあるが含まれている。

人体に含まれる微量金属元素については、最近になって見直しが 進められていて、鉄(Fe)、マンガン(Mn)、銅(Cu)、 コバルト(Co)、亜鉛(Zn)、モリブデン(Mo)、セレン(Se)、ニッケル(Ni)、バナジウム(V)、ケイ素(Si)、 リチウム(Li)、ゲルマニウム(Ge)などが、それぞれ重要な働きを担っていることが解明されている。

では、金はどのくらいの量が人体に含まれていて、体内でどんな作用をしているのか。

これが、ネットで調べてみても書いてない。そもそも人体に金が含まれていることについて記述しているサイトがなかなか見あたらないのだ。

いろいろと本などをめくって調べていったら、やっと分かった。

「私のからだは世界一すばらしい」(アンドレ・ジオルダン著、東京書籍)によると、一人の人間の体内には数マイクログラムの金が存在し、免疫防御機能に役だっている。

免疫防御機能に役だっているという点では、やはり数マイクログラムが体内にあるバナジウム(V)と同じで、これらの微量元素が存在しなければ、生命を維持することが出来ないのだという。

荒川静香選手が獲得した金メダルの成分である金が、すべての人間の体内に微量ずつあって、免疫防御機能に役だっているとは、考えただけでワクワクしてくるではないか。

人間は、というよりも生命は、その進化の過程で、どうやってこれらの微量金属元素を取り込んで、生命維持に役立てることを学んでいったのだろうか。

そもそも、金鉱などがどこにでもあるわけではないのに、自然界にごくごくわずかに存在している金を、どうやって見つけて吸収しているのか、それを考えただけでも驚異といっていい。

金なんてオレは2個もあるぞ、というキミ、これはそういう低次元の話ではないのだ。

僕の体内にある微量の金のことを考えると、なんだかありがたすぎて、人生を粗末に出来ないような気がしてくる。

春の装いでさわやかに街を歩く女の子たちの体内にも、みなそれぞれに微量の金が存在しているのに、みんな知らないのではないだろうか。

「あなたの金、いい働きをしてますか?」なんて声をかけたい衝動にかられるが、痴漢か変質者と思われるくらいがオチなので、やめておく。

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2006/04/04

鉄の鎧をまとった巻貝、どうやって進化した?

このところ、僕が最も強くひかれたニュースは、鉄の鎧をまとった巻貝が江ノ島水族館で公開された、というものだ。

アメリカのチームが2001年に、モーリシャス沖のインド洋深海底で発見した貝で、スケーリーフットと名づけられた。

岩にへばり付く腹足の部分が、硫化鉄の鱗で覆われていて、カニなどの外敵から身を守っている。

この巻貝は、鉄の鱗を作れば、外敵から身を守れるということを、どのようにして知りえたのだろうか。

かりに、何らかの知恵が働いて、鉄で鱗を作れば、固い鎧となって生き延びるのに好都合だと判断することが出来たとしても、実際に硫化鉄で鱗を作るのは至難のワザであろう。

僕は進化論についてはあまりよく分からないが、突然変異と適者生存だけで、長い時間をかければ、巻貝が鉄の鎧を獲得するほどに進化が進むものなのだろうか。

鉄の鎧に至るまでの最初のステップはどのようなものだったのか。

まずは、突然変異によって腹足の表面の「皮膚」の部分に硫化鉄が混じりこむ? しかし、このような突然変異が自然の状態で起こるものだろうか。

かりに、最初の一歩が実現できたとしても、その程度では適者生存に役立つとは考えられず、同じ方向での突然変異を数多く重ねて、あるていどの硬さを持つ硫化鉄の鱗を持つようになる必要がある。

地球上の生命の進化については、僕たち人類はまだそのメカニズムとプロセスをほとんど知らないに等しい。

この巻貝が、鉄を利用するという知恵を持ったことは驚異であるが、よくよく考えてみればわれわれ人間を含めて多くの動物は、血液の中の酸素運搬役として、鉄を実に巧妙に利用している。

赤血球の中のヘモグロビンを構成する鉄が酸素と結合し、いわば錆びた形になって体内に流れ、酸素を供給し続けている。

血が赤いのは、突き詰めると鉄の色なのだ。

もっと驚くことがいろいろある。人体には、ごく微粒ながら金が使われている。

携帯電話に金が使われているからといって驚くことはない。僕の体内にも、あなたの体内にも、金は不可欠な微量貴金属として使われている。

あまりにも微量なために、火葬した後の骨や灰から金を回収することは、とてもじゃないが不可能なのだ。

鉄の鎧を獲得した巻貝に思いをはせると、人間のたかだか数千年の文明など、あまりにも小さいという気がする。

まして、ここ100年くらいの近代科学とテクノロジーなど、硫化鉄の鱗を獲得するに至った巻貝の知恵と工夫に比べれば、小手先の子どもだましでしかない。

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2006/04/03

300冊の手塚治虫漫画にお別れ

060403_1738春は別れと新生の季節。

今日は、何十年にも渡って保管してきた手塚治虫の古い漫画本を、25年ぶりに整理した。

家にあるのは、昭和30年代から40年代のものが中心で、最も新しいものでも昭和50年代前半までだ。

押入れや収納棚の奥深くに、プラスチックケースなどに入れて保管してきたものが多く、上の収納棚の奥にあるものは、脚立を使っても容易には取り出すことが出来ず、まさに悪戦苦闘だった。

これからも保存したいお気に入りの漫画を取り分け、それ以外のもの全部を一箇所にまとめてみた。

かなりの冊数を取り置いたのだが、それを別にしても300冊はある。

25年間1度もページを開くことなく眠っていたこの300冊とは、お別れである。

惜しいと思い出せばきりがない。年度が替わったこの時期、思い切ってサヨナラをしなければ、また10年も20年も、決別の機会を逸してしまうかも知れない。

さらば、手塚漫画の数々よ。春の嵐とともに、新たな活路を求めて散っていくがいい。

手塚コレクションに熱中し続けてきた僕の長い長い青春も、ようやくにして終わりである。

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2006/04/02

ライブドアが六本木ヒルズから撤退?

ほほう。これはおどろきだ。

ライブドアの平松庚三社長が毎日新聞のインタビューに応じて、六本木ヒルズから本社機能を移転する意向を明らかにしたという。

本社機能を移転するというのは、もって回った言い方だが、早い話が撤退するということか。

理由は、「入居費用の負担が重くなり始めているため」というから、ものの哀れを感じる。

栄枯盛衰は世の習いとはいえ、これは都落ちであろう。

新たな行き先はどこになるのだろうか。

なんなら、僕の家に使っていない部屋があるので、狭くてもよければライブドアの本社オフィスとして安い賃料で貸してやってもいいぞ。

六本木ヒルズからは回転ドアが撤去され、こんどはライブドアが撤退とはなあ。

前にも書いたが、六本木ヒルズにドアは鬼門のようだ。

ヒルズは勝ち組の搭であり、現代の格差の象徴である。

僕は一生、ヒルズのドアをくぐることもなく、ヒルズに近づくこともないだろう。

要するに、ヒルズは僕の住む世界とは価値観も生活様式も文明すらも異なる「あっちの世界」なのだ。

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2006/04/01

満開の新宿御苑からモブログ

満開の新宿御苑からモブログ


春爛漫。土曜日の昼下がりの新宿御苑は凄い人出だ。

ここ数日の寒さのおかげで、満開の桜はほとんど散ることなく、最高の見ごろとなっている。

明日の日曜日は天気が崩れる予報なので、今日が今年最後のお花見日和かも知れない。

年々歳々人同じからず。歳々年々花相似たり。

この次、ここの桜を見に来るのは、また1年後のことだろう。

BANYUU

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