臨海副都心の3セク破綻と2016年東京五輪
今日のブログ記事は、表の「時間の岸辺から」と同文です。最初にブログ記事を書き、後になってこれは「表」にすべき内容だと気づきましたが、たまには表と裏で同文があってもいいか、と思いなおして、そのまま同じ文を「時間の岸辺から」にも掲載いたしました。表裏同文は初の試みとなります。
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そういうことだったのか、と化けの皮を見てしまった思いだ。
2016年の五輪誘致を石原知事が言いだしたとき、なにか唐突な感じがして、これには裏のたくらみがあるのではないか、という気がしていたのは僕だけではあるまい。
最初は、神宮外苑と代々木公園を一帯とする地域に、選手村やプレスセーターを置いて、この地域を中心として東京を生まれ変わらせる、という構想のように聞こえた。
それなら、面白いかも知れない、という気が僕にもしていた。
が、石原知事が先日明らかにした構想では、選手村もプレスセーターも、臨海副都心に設置して、この地域を一気に活性化させたい、といつの間にか変化した。
おいおい、それはないぞ、閑古鳥が鳴く臨海副都心を東京五輪の中心にするとは、誰が決めたのだ、と思っていたら、今日のニュースである。
臨海副都心開発の中核となってきた都の3つの第3セクターが、3300億円を超える負債を抱えて経営破たんした。
これらの3セクは民事再生法の適用を申請して会社を清算し、3社で合併して臨海副都心の事業の継続をはかる、という。
臨海副都心はバブル経済のさなかの80年代後半、東京都が440ヘクタールの埋め立て地に未来型の副都心をつくろうと開発を始めたが、企業の進出などが思うように進まず、都市博が中止となったこともあって、開発そのものが行き詰った形となっていた。
石原知事ら東京都のトップが、2016年五輪を東京に誘致して、臨海副都心の開発を一気に推し進めたいと考えたのは、こうした切羽詰まった台所事情があったのか、とうなづける。
と同時に、見通しの甘さと開発計画頓挫の尻拭いとして、東京五輪を誘致して開発促進の起爆剤にしようという発想そのものに、僕は大反対だ。
こうした裏事情が白日の下にさらされてしまった以上、東京は2016年五輪の候補地に立候補すべきではない。
僕は、福岡も無理して立候補する必要はないと思う。
96年アトランタ、00年シドニー、04年アテネ、08年北京、12年ロンドンという流れからすれば、2016年はアフリカ開催が最も望ましいと僕は考える。
少なくとも、夏の五輪をまだ一度も開催していない国の都市で開催できるように、これまで開催した国を含めた国際社会が足並みを揃えて配慮していくべきである。
(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」は、このブログ記事と同文をアップロード。全く同じ内容にしています)
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