4度目の「カラマーゾフの兄弟」に挑戦開始
新宿駅の南口を出たとたん、コンコースでなにやら派手なキャンペーンが繰り広げられている。
なんだろうと思ってみたら、なんと「ハリー・ポッター」の新しい巻の発売日なのだという。
僕はこの手のファンタジーは嫌いではないのだが、ベストセラーとしてマスコミあげて意図的なブームを仕掛けているようなものは、かえって読みたくなくなるのだ。
ひねくれている、といえば、そのとおりかも知れない。
だから、「ダ・ヴィンチ・コード」も興味をひかれながらも、結局は読みそびれてしまった。
「バカの壁」もそうだが、およそベストセラーになってしまった本は、僕はもう読む気が失せてしまう。
僕も何かそろそろ本を読もうかと思っていたところなのだが、書店に入ってみると、まずはベストセラーのオンパレードでたちまち怖気づく。
いろいろと手に取ってはみるものの、うーん、という感じで、いま一つ読もうという意欲が沸かない。
文庫本の売り場に来て、ふと、新潮社の「カラマーゾフの兄弟」が目にとまる。
僕は、この作品を少年時代から、何度か読んでいるのだが、人生の残り時間がそれほど多くあるわけではないこの年で、もう一度、この作品を読んでみようか、と思った。
さいわい、この新潮文庫は文字が大きくなっている版だ。思い切って、全3巻を買う(写真の下)。
家に帰ってから、僕がこれまでこの作品を読んだのはいつだったのか、調べたくなった。
日記などつけていないのだが、僕はこうした長編小説を読み終えた時点で、最後のページに読了した日付を鉛筆かボールペンで記入しているのだ。
幸いにして、僕が読んだ「カラマーゾフの兄弟」の古い本が捨てないでとってあった。
それらの最後のページをくくると、タイムマシンのように昔の僕が書いた文字がある。
最初に読んだのは、河出書房新社の世界文学全集(写真上の左)で、僕は高校1年だった16歳の9月20日に読了している。
それから10年後、社会人になって2年目の26歳、9月27日に、この同じ本について2度目の読了をしている。
次に読んだのは、河出書房新社から出たドストエフスキー全集の上下2巻(写真上の真ん中と右)で、社会人になって8年目、32歳の年の12月20日に読了している。
こう見てくると、僕は3回読んでいるはずなのだが、細部のストーリーや登場人物たちの会話の内容などは、ほとんど覚えていない。
これらの版の文字の小ささには愕然とする。いまはこんな小さな活字にはとてもついていけない。
今日から実に何10年ぶりかで、4度目のカラマーゾフに挑戦してみたい。
かつては若さのゆえに読み取れなかったくだりや、ぼんやりと読みとばしていた多くの箇所に、いろいろな新発見があるかも知れない。
4度目の読了の日付を、この文庫本に書き込むのは、いつになるだろうか。
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