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2006/06/30

3億円事件の時代背景と、映画「初恋」

060630_21393億円事件の実行犯は女子高生だった、という意外な設定による映画「初恋」を見てきた。

平日の午後というのに、客席はほぼ満員で、最前列の左右両端すら埋まっているほどの活況だ。

映画批評などで、「設定に無理がある」というような批評もあったので、僕もそのあたりは覚悟して見に行った。

この映画の前半は、新宿のジャズ喫茶にたむろする若者たちの鬱屈した退屈そうな様子が延々と描かれる。

その中に入っていく宮崎あおいも、暗く不安定で投げやりな雰囲気で、これがどうやって3億円事件と結びついていくのか、と最初は不思議だった。

だが、宮崎がその中の一人の東大生に恋をして、彼から3億円事件の実行犯を頼まれるあたりから、映画の流れが一変していく。

前半のけだるい暗さがあって初めて、宮崎が実行犯を引き受ける必然性が生きてくる。

犯行の下見をするあたりから、宮崎の表情が生き生きとしてきて、だんだんきれいになっていく。

こうして見ていくと、設定の無理はそれほど感じずに、むしろ宮崎あおいのような少女なら、実行犯をやったかも知れないという気になってくる。

僕は、3億円事件そのものが、もともと設定に無理があるのに実現した奇跡のような事件であり、事件それ自体が荒唐無稽なあり得ないプロットだったのだと思う。

しかし現実に、3億円事件は起きたし、犯人像すらつかめないまま時効となって、しかも今日に至るまで奪われた現金は1枚も使われていない。

あり得ないような事件が成功し、迷宮入りしたのはなぜか。

当時、この事件は、警察当局が東京・多摩地区の新左翼活動家たちをしらみつぶしにチェックするローラー作戦のために、権力によって仕組まれたものだ、という説が根強く流れていた。

警察関係者が関わっているのか、逆に反体制あるいはカウンター・カルチャーが影を落としているのか、いずれの見方も成り立ちうる事件である。

事件が起きた1968年という年はいろいろな意味で20世紀の転換点だった。

僕の表サイト「21世紀の歩き方大研究」の中の「2001年宇宙の旅フォーラム・全記録」では、1968年に製作された「2001年宇宙の旅」の時代背景について、突っ込んだ議論が交わされているくだりがある。

一部を引用してみると‥

この年は、いろいろな意味で、シンボリックな年だった。アラン・ケイがパソコンを構想した年であり、マクナマラが国防長官になった年であり、アメリカが北爆をあきらめた年だった。パリでは、カルチェラタンに火がついて5月革命が起こり、日本では東大の安田講堂封鎖が始まった年だった。カウンター・カルチャー、カウンター・パワーが一気に噴き出した年だった。それに呼応するかのように、翌年、アポロ11号が月面に着陸した。半導体、シリコンチップについての議論が出始め、LSIが発表された年でもあり、コンピューターの歴史によってのターニングポイントの年だった。(松岡正剛氏)

1968年は、20世紀後半の思想、文化、芸術を語る上で、大きな転換となった、極めて重要な年だった。スチューデント・パワーが噴出し始め、学園闘争が始まった年だった。自由と平等、産業化という近代に対しての、20世紀のカウンター・パラダイムが出て来たと言っていい。アメリカ、フランス、イタリア、西ドイツ、ユーゴ、日本と、各地でスチューデント・パワーが爆発した。今、世界は同時につながっていると言われるが、この年は、こうした運動がネットワークとして自然発生した面白い年だった。 「2001年」の映画は、こうしたカウンター・カルチャーの中でとらえると、神とか人類の進化、人類の意識の拡大、ボーマン船長の体験は、メディア感覚の変容が迫られていることの先取りではないのか。古代のセム的な神、東洋の神、チベット密教、イスラムの神、これらの超越的な体験をドラッグでやろうとした年だった。近代に対するカルチャー・パラダイムが出始めた1968年という年が、「2001年」の映画を支えている。(合庭惇氏)


3億円事件もまた1968年を象徴する事件であり、実行犯が予想外の誰であっても驚くことはない事件だったのだいえる。

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2006/06/25

ブログ開設2年、今後は随時・不定期更新へ

このブログ「裏・21世紀の歩き方大研究」を開設してから、今日で2年を迎えた。

遙けくも来つるものなり、という感がある。

連日更新をめざしてスタートし、これまでに更新出来なかった日は2日ほどで、ほぼ毎日更新を続けてきた。

しかし、満2年を迎えたところで、連日更新はここまでとし、明日以降は随時・不定期の更新にしていきたい。

連日更新の自縛を解いてしまうと、はたしてどれくらいの頻度で更新をするようになるのか、僕にも見当がつかない。

書いておきたい出来事があった日や、書きたい話がある日などに、無理を感じないペースでゆっくりとブログを継続していく。

1週間に2、3回程度は書けるかどうか、今後のことは成り行きまかせである。

千曲川旅情の歌の書き出しが頭に浮かぶ。藤村の言っている意味とは違うのかも知れないが、なんとなく、このような心境である。

昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
この命なにをあくせく 明日をのみ思ひわづらふ

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2006/06/24

奈良放火殺人の長男は父親と面会したのか

奈良県田原本町の放火殺人で逮捕された私立高校1年生は、なぜ父の不在を知った上で、継母とその2人の子どもを殺害したのか。

僕の想像に過ぎないが、父親に対する怨恨を晴らすためには、父は殺さないで生き地獄の苦しみを味わわせたい、と思ったのではないか。

逮捕されてから、長男は父と面会をしたのだろうか。

こういう事件の場合は、父子であってもその関係がまさに犯行の動機に直結しているので、そう簡単には金網越しの面会は認められないのかも知れない。

面会の場は、どんな具合になるだろうか。

どちらから先に話を切り出すのか。長男は父に何と言うのか。

犯行を謝るだろうか。僕は、謝りはしないような気がする。

父は長男に何と言うのか。「なんということをしたのだ」と叱り飛ばすのか、「お父さんが悪かった」と泣きくずれるのか。

普段から、父は長男の成績が上がらないと殴っていたというから、この父にしてこの長男あり、という感じがする。

テレビで誰かが説明していたのだが、最近は進学校に入った子どもに対して、深夜まで付きっ切りで尻を叩いて受験勉強を強いる親が増えていて、殴ることも日常的に行なわれているのが実情だという。

恐ろしい時代になったものだ。

このようにして難関大学に進んだ「秀才」たちは、大人になってどんな社会をつくっていくのだろうか。

世も末じゃのう。

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2006/06/23

21世紀が開幕して今日で2000日目

今日は何の日だろうか。

沖縄慰霊の日。正解である。

が、どこにも書いてないことだが、実は今日は21世紀が開幕してから、ちょうど2000日目にあたるのだ。

2001年1月1日に、21世紀の1日目を踏み出して以来、僕たちはようやく5年半かかって2000日目までたどり着いた。

僕たちが、20世紀の終わりころに夢見ていた21世紀は、こんなはずではなかった。

何かがどこかで大きく道筋を間違えて、もはや取り戻すことも、引き返すことも出来ない、暗澹たる荒野に世界は踏み入れてしまった。

21世紀は、20世紀を超克し、20世紀の負の遺産を清算して、叡智と共生をベースにしたまったく新しいパラダイムの構築が始まるはずだった。

僕たちはみな甘かったのだ。現実は、もはや僕が書き連ねるのもおこがましいほどの愚劣と破廉恥、腐臭と殺戮の無法地帯が果てしなく広がっていて、それが我が21世紀の姿にほかならない。

21世紀は計算上は、あと93年と6カ月ほどあり、日数にすると明日から34524日ある。

だが、21世紀はもはやそんなに長く続くことはなさそうだ。

21世紀は2050年まではとても持つまい。よくて2030年が限界ではないか。

22世紀は来ないであろう。少なくとも、今のような世界と社会において、人類が22世紀を迎えることは、たぶんないであろう。

2030年から先は、恐ろしい勢いで崩壊する地球環境との闘いであり、市場原理主義やアメリカ流グローバリズムを放置したままでは、大破局を逃れることはほぼ絶望だ。

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2006/06/22

東京地検は、疑惑の福井日銀総裁を逮捕せよ

今の世の中、世界も日本もあまりにも不合理や不条理が多い。

最近のニュースの中でも、最も腹立たしいのは、福井日銀総裁が村上ファンドに1000万円を投資して、去年末までに1473万円もの利益を上げていたことだ。

しかも福井総裁は、日銀が量的緩和政策を解除する直前に資金を引き上げており、これが究極のインサイダー取引にあたらなくて何であろうか。

去年の初め、福井総裁が国会答弁したところによると、家計の受け取り利子は、93年の水準と比べて、それからの10年間で累計して154兆円も減少した。

政府・日銀による超低金利政策は、家計部門のみを直撃してきたのである。

また別のデータによると、92年当時の利子率が続いたとした場合に比べ、その後の11年間で家計部門が失った利子所得は218兆円にのぼり、一方で企業部門は140兆円、政府部門は125兆円の恩恵を受けている。

額に汗水流して働く国民が、ようやく貯めたお金を2年や3年の定期預金に入れても、その利息の少なさは、わずか1回の振替手数料でいとも簡単に消し飛んでしまうくらいなのだ。

福井総裁が安心して村上ファンドに投資できたのは、この超低金利の現実を当事者のトップとして知り尽くしており、さらに超低金利をいつまで続けるかについては、まさに自分の胸の内にあるからにほかならない。

今年2月に資金を引き上げたのも、量的緩和政策をいつ解除するかが自分の胸三寸であったからこそ出来た芸当であろう。

小泉首相や安部官房長官が、これほど国民の批判が噴出している中で、なお福井総裁をかばい続けているのには、それなりの、のっぴきならない理由があるものと考えるのが自然だ。

福井総裁の村上ファンド投資は、ほんの氷山の一角で、これには多くの政官財の重要人物がからんではいないのか。

公的立場にありながら、村上ファンドに投資して、庶民の涙をよそに大もうけしていたのは、ほかに誰と誰がいるのか。

政府や監督官庁、さらには財務省、金融庁、政党役員、国会議員はどうなのか。表面化していないだけで、ぞろぞろと、うじゃうじゃと、大勢の金儲け上手たちがいるのではないか。

ホリエモンや村上代表を逮捕した東京地検が、福井日銀総裁に対してはインサイダー疑惑で事情を聞いたりしていない様子なのは解せない。

政官財を巻き込んだ大スキャンダルに発展するのか、このまま福井総裁が政府に守られて逃げ切るのか。

国民は注視している。東京地検はいまこそ、法の公平な適用のために、福井総裁から事情を聴取し、インサイダーの疑いがあるのなら、証拠隠滅される前に、速やかに福井総裁を逮捕すべきであろう。

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2006/06/21

食べたぞ三吉屋ラーメン

食べたぞ三吉屋ラーメン

昨日は定休日の札がかかっていて食べることが出来なかった新潟は三吉屋のラーメン。

今日は、満を持して午前11時の開店前に、店の前に行って待つ。すでに出張途中らしい男性たち数人が、やはり開店を待っている。

11時きっかりに店が開き、どどっと入り込んだ客たちが次々に注文。僕を含めてほとんどの客がチャーシューメンを頼む。

そうこうしているうちに、おばさんたちなど、次々に客が入ってきて、わずか22しかない席は、相席で満杯になる。

運ばれてきたチャーシューメンは、日本一の味。僕にとっては1年ぶりで、次に食べるのはまた1年後のことであろう。

昨日定休日だったのは、僕の勘違いというよりは、定休日の仕組みが変わって、第3週の例外がなくなり、定休日はすべて火曜日に統一されることになっていたのだ。

新潟の書店に並んでいる新潟うまいものガイドなどには、いまだに古い定休日を記載しているものもあるので、注意が必要だ。

三吉屋ラーメンを堪能したので、これで満足して新幹線で東京に帰ることとする。

BANYUU

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2006/06/20

新幹線で来たのに定休日!!

新幹線で来たのに定休日!!

新幹線に乗って新潟に来た。墓参かたがた、年に1度、三吉屋のラーメンを食べるためである。

この店の定休日は火曜日なのだが、第3週だけは日曜日が定休日となって、火曜日は営業する、と僕は覚えていた。

ところが店の前まできたら、なんと定休日の札がかかっているではないか。ガガ〜ン!

僕は明朝の新幹線で帰るつもりで、えきねっとで指定券も買ってある。

しかし年に1度しか機会がない三吉屋のラーメンを食べずして、おめおめと帰京出来ようか。

そこで街中にあるJTBの営業所に行って、えきねっとで買った指定券をここで乗車時間変更が出来るか確認し、出来るというので20分ほど並ぶ。

ところが順番が来てみたら、えきねっとで買った指定券の変更はJRの駅でしか出来ないという。出来ると言われて待ったのに、と苦情を言ったが、申し訳ありませんの一点張り。

仕方がないのでバスに乗って新潟駅まで行き、ようやく明日昼過ぎの新幹線に変更してもらう。

たかがラーメン一杯のことで、この大騒動を笑わば笑え。

美味いラーメンにありつくためには、艱難辛苦の道を乗り越えて行く必要があるのだ。

BANYUU

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2006/06/19

久しぶりにモブログのテスト

久しぶりにモブログのテス

そういえばしばらくモブログをやっていない。

前回はいつだったかというと4月1日で、桜が満開の新宿御苑からだった。その数日前に、上野公園からモブログをして、投稿完了の通知がニフティから来ないことに気付いた。

その原因は、投稿通知の発信元アドレスが、ユーザーへの周知なしに変わっていたため、僕のケータイで受信出来なくなっていたのだ。

こういうことがあるため、テストを兼ねて、時々、モブログをやってみる必要がある。

写真は、散歩の途中に咲いていたアジサイ。

BANYUU

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2006/06/18

北朝鮮のテポドン問題と自民総裁選

北朝鮮がテポドン発射を本気で行なうらしい。

麻生外相は、日本の陸地に着弾した場合は、日本への攻撃とみなす、と言明した。

日米の強硬な姿勢や、中国やロシアの「止め役」としての役割が期待できないことから、これはかなり危険な事態となる懸念がある。

早ければ今日18日にも発射という見方があり、また20日までに発射されなければ今回の発射はない可能性もあるという。

いまなぜこの時期に、テポドンなのだろうか。

国際的な孤立が深まる中で、テポドンを弄ぶことが取り返しのつかない事態になるかも知れないということを、北は分かっているのだろうか。

これまで往々にして、戦争の勃発はこのような火遊びによって始まった。

戦争になれば、基地を抱えているところは、真っ先にミサイルがぶち込まれるだろう。

東京の霞ヶ関、市谷の防衛庁なども標的となりやすい。

京浜工業地帯や成田空港などもあぶない。

このテポドンをめぐる動きは、始まったばかりの自民党総裁選に大きな影響を及ぼすことは必至だ。

北朝鮮の狙いが、対北朝鮮強硬論者である安部官房長官の総裁選出を妨害しようということならば、全くの逆効果であり、むしろこれで安部総理誕生はキマリといっていい。

少なくとも、中国やアジア各国との関係改善をうたう福田氏にとっては、出馬は非常に困難になったのではないか。

こんな中で戦争反対を叫んでも、何の力にもなるまい。

それどころか、20代、30代の若い人たちを中心に、北をやっつけてしまえ、という勇ましい愛国的熱狂が、集団ヒステリーのように日本中を包み込むかも知れない。

ひょっとして、テポドンを仕掛けているのは、日本の強硬派国家主義勢力なのではないか、という気さえしてくる。

戦争になったら、みなさんそれぞれにお達者で、なんとかして生き延びて下さい。

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2006/06/17

ああっ、せっかく書いたブログを誤消去!

末期的症状というのは、こういうことを言うのだろう。

今日は、気力を振り絞って、ブログの記事をようやくまとめ上げたのに、ちょっとしたタッチミスで画面をクローズしてしまい、書いた文章を一気に消去してしまった。

ココログはこれまでも、ちょっとしたミスタッチで、一瞬のうちに書きかけの文章が吹き飛んでしまうので、ある程度書いた段階で、下書きモードにしていったん保存しておき、その状態でさらに書き続けるということを習慣にしていたつもりだった。

失敗が起きる時というのはこういうものだが、今日はタッチミスに気をつけているので大丈夫と思いつつ、下書きモードに切り替えて保存することを怠っていた。

消えてみて、おおあわてでどこかに残っていないか探してみても、保存しないで閉じてしまったブログは救う手立てがない。

せめて、ミスタッチで画面を閉じる前に、「書きかけですが、保存しないで終了しますか?」とメッセージが出てくれたらいいのに、とつい恨み節も出る。

しかも今日はかなりの長文をやっと書き上げていたところだったので、改めて最初から書き直すパワーは僕にはない。

せめて、この文章も消えないようにと、いまさらながら下書きモードにして保存してみたが、もう遅いのだ。

ということで、今日はこれまで。誤消去恐るべし。

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2006/06/16

サイトやブログの更新における慣性の法則

ホームページやサイトを定期的に更新し続けるには、自分に何がしかの目標を課すのは、効果が大きい。

僕の場合、表のサイト「21世紀の歩き方大研究」のエッセイのページは、かつては3日ごとの更新を目指してきたが、去年からはこのペースが重荷になってきて、7日ごとの更新にペースダウンした。

ところが、このところ7日ごとの更新も負担感が大きくなって、今日からは7日ごとという「しばり」を解くことにした。

何日ごとに更新ではなく、書くことがあった時、あるいは書きたいことがあった時に更新する。

いったんこの方針を決めてしまうと、表のサイトは楽になったが、問題はこのブログだ。

僕は、1昨年6月にスタートしてから連日更新を目指してきて、実際にやむを得ずに更新を中断したのは、2日ほどだった。

最近は、書くことがなくて困る日が多いのだが、ともかく開設2周年までは連日更新をしようと思っている。

開設2年になるのは今月25日である。

それまでなんとか持つかどうか。今はこれまでの慣性によって、かろうじて続いている。

慣性≒惰性であろう。

ネット更新における慣性の法則というのがあって、慣性がしだいに弱まってきた時には、それまで通りの更新が出来なくなるのは、法則なのだと感じる。

裏のブログも、不定期更新になるのは時間の問題といっていい。

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2006/06/15

パソコンがフリーズ、CPU使用率100%の表示が

どうもパソコンの調子がおかしい。

ここ数日、有線でつないでいるLANの親機が、何の操作もしていないはずなのに、送信および受信を示すランプが激しく点滅を続けて止まらない。

いったんLANの電源をはずして接続し直し、パソコンを再起動させると点滅は収まるが、これまでこのようなことはなかったことだ。

ネットに接続しているわけでもなく、ウィルス対策ソフトが自動更新中でもなく、またWinXPの更新プログラムを受信中でもないのに、この激しい点滅は何なのだろう。

もしかして、スパイウェアのようなものが、僕のパソコンの中身を、どこかに送り続けているのではないか。

あるいは、僕の知らない間に、どこかからパソコンの中身が覗かれているのではないか、などと不安になってくる。

そんなことがある中、今日はネットで検索中に、パソコンが完全にフリーズしてしまった。

いつもなら、CtrlとAlt、Deleteを同時に押せば、強制的にプログラムを終了させることが出来るのだが、それをやっても何も出来ない。

ハードディスクの作動音が一段と高まって、ほとんど暴走といった感じになり、そのうちにタスクバーにこれまで見たこともない四角いマークが現れた。

そのマークにマウスポインターをあてると、「CPU使用率100%」というメッセージが出た。

このパソコンを買って4年近くになるが、このようなマークやメッセージが出たのは初めてだ。

「CPU使用率100%」ということは、もう中央演算処理装置がフル作動していて、これ以上のコマンドは一切受け付ける余地はない、ということか。

画面はフリーズしたままで処置なしである。

そこで、強制的に手動で電源を切る。

で立ち上げなおして、いまようやくこの状態になったのだが、LANの親機の送信・受信ランプの激しい点滅状態と、このフリーズは関係があるような気もするが分からない。

当分は、だましだまし様子を見るしかない。

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2006/06/14

巨人、ご愁傷さまの8連敗

どうも気のせいか、大きな国際スポーツイベントで、国民の目がそっちに向いている時は、たいてい巨人がめっちゃめちゃ負け続けているような気がする。

今日で巨人は8連敗。巨人ファンはもう見限ってしまって、気持ちがサッカーにいってしまっているから、ヤキモキもしていないのか。

阪神は楽天にやっとのことで勝ったが、中日が西武と引き分けて、奪首はわずかな厘差でおあずけ。

昔は、巨人・大鵬・玉子焼きというのが、おこちゃまの大好きなものの代表だった。

いまのおこちゃまは、何だろうか。

やはり巨人は変わらずで、玉子焼きの代わりにハンバーグあたりか。

大鵬に代わるものが分からない。いまのおこちゃまは相撲など関心なさそうだしな。

巨人・プレステ・ハンバーグ、あるいは、巨人・ハリポタ・ハンバーグ? どっちもいまいちな感じだ。

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2006/06/13

ビール1日17本で、前立腺がん予防効果?

米オレゴン州立大学の研究チームは、ビールを1日に17本以上飲めば、前立腺がんを予防する効果があることを発見したという。

僕は、1日17本という数字に、いまはとっくに他界しているある人物を思い出す。

彼は、アルコール依存症というよりも、ビール中毒患者といった方がいいくらい、ビールに溺れていた。

どれくらいひどいビール中毒かというと、まず彼は朝、出勤の途中でいつも、開店している軽食喫茶のようなところに寄って、ビールを3本くらい飲む。

彼は当時、さる記者クラブ詰めだったので、会社には行かずに、そのままクラブに直行していいことになっていた。

クラブに着くなり、彼はまだ昼前だというのに、記者クラブの世話をしている女性に、ビールを買ってくるように頼む。

官庁内の売店から買ってきたもらったビールを2、3本飲んだ彼は、もう昼ころには完全に出来上がっていて、さらにビールを3本、4本と買ってきてもらって飲む。

「もう、ビールはおよしなさいね」と女性がたしなめると、彼は怒り出す。

そうして、午後の記者会見のころには、ほとんど泥酔の状態になっていて、メモを取ることも、まして原稿を書くこともおぼつかない。

何の会見だったのかすら覚えていない彼に、他社の記者が見かねて、原稿書きを手伝ったこともあったようだ。

ともかく、この記者クラブは発表も少なく、ただいることに大きな意味があったので、彼のビール中毒は会社の上司たちの耳にも入っていたが、放置されていた。

彼が1日に飲んだビールの量は、それこそ17本に達していたのではないか。

前立腺がんの予防効果があったかどうかは知らないが、彼はまれに見るビール腹となり続け、苗字の後にデブを付けて、「××のデブ」と呼ばれていた。

彼は、その記者クラブに在籍のまま、ある日、ポックリと死んでしまった。

ビールを1日に17本も飲み続けると、「××のデブ」のようになるに違いない、と僕は確信している。

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2006/06/12

犬を散歩させている人は、通り魔になり得ない?

060612_1619盛夏になるとなかなか街歩きも出来ないので、梅雨の合間を見て、なるべく歩くようにしている。

車の多い表通りはにぎやかで面白いが、排気ガスを吸い込みながら歩くことになるのが辛い。

裏通りや川沿いの道は、排気ガスにまみれる心配はないが、その反面、人通りが少な過ぎて、物騒な感じがしないでもない。

しーんとした小道を歩いていて、前から来た他人とすれ違う時には、身構えてしまう。

また、後ろから早足で近づいてくる人も不気味な感じがして、僕はわざと歩みをゆっくりさせて、警戒しながら先に行かせてしまう。

だが、こうした静かな裏通りなどで、犬を散歩させている人に出会うと、ホッとする。

前から来る人であれ、後ろから近づいて来る人であれ、犬を連れている人は、安心していいように思うのだ。

なぜか。僕が思うには、犬を連れている人が、ひったくりや辻強盗、通り魔などの凶行におよんだ場合、まず犬が邪魔になって逃走に支障をきたすに違いない。

さらに、僕が抵抗してもみあいになったような場合には、犬が大きな声で騒いでしまい、そもそも犬連れでの犯行そのものが難しい。

しかし中には、犬を散歩させているようなふりをして油断をさせ、いきなり凶行におよぶ不心得者も皆無ではないかも知れない。

そうなったらどうするか。敵の弱点は、犬であろう。

カバンを奪われたら、こちらは相手から鎖を奪って、犬を人質ならぬ犬質にしてしまうというのはどうか。

そのカバンを返さないと、可愛いお犬ちゃんが痛い目にあうぞ、というわけだ。

罪のない犬にとってはまことに迷惑なことであろうが、相手が犬を見捨てて逃げるわけにもいかずにオタオタする間に、こちらは大声で助けを求める。

この作戦も、その犬が飼い主に忠実で、僕に激しく噛み付いたりして、主人の逃走を助け、自分も僕が鎖から手を離した隙に主人の後を追って全力で逃げていったら、お手上げとなる。

ま、犬連れの人は、悪いことにおよぶ可能性は、ゼロではないにしても、かなり少ない、ということは言えるように思うのだが、どんなものだろうか。

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2006/06/11

パラグアイのオウンゴールは気の毒だ

W杯サッカードイツ大会は、明日、日本がオーストラリアと対戦するというので、メディアは過熱しているが、僕はあまり関心がない。

それよりも、僕が興味を持ったのは、イングランド-パラグアイ戦のオウンゴールだ。

テレビではベッカムのフリーキックのシーンを、スロービデオで何度も放映していた。

パラグアイのガマラ主将はクリアするつもりが、頭をかすめたボールがゴールに飛び込んだという感じだ。

これをオウンゴールと言ったのでは、いささか気の毒な気がする。

野球で言えば、強烈な打球を内野手がはじいてしまったようなもので、エラーではなく、内野安打の扱いになるケースだ。

オウンゴールというのは、僕のイメージではゴール前の競り合いの時に、あわてて、あるいはミスで、自陣営のゴールに蹴り入れてしまうようなことだろうと思う。

かつては全くの勘違いで、自陣営のゴールに力いっぱい蹴り込んだ文字通りの自殺点も少なくなかった。

12年前、94年のW杯では、オウンゴールをやってしまったコロンビアのエスコバル選手が、帰国後に「自殺点をありがとう」という捨て台詞を浴びせられて射殺されるという事件も起きた。

たかがW杯、されどW杯。僕はなぜか気の毒な負け方をしたチームや選手の方に目がいってしまう。

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2006/06/10

ルミネ・エストのレストラン街、19日から昼は全席禁煙に

060610_14114月1日にマイ・シティからルミネ・エストと名前が変わった新宿駅ビルの、7階と8階のレストランフロアが、今月19日からランチタイムは全席禁煙となる。

新宿駅南口のルミネ1とルミネ2は、すでに何年か前からランチタイムの全席禁煙を実施していて、これで新宿のルミネは3つとも、昼は紫煙を気にすることなく、食事を楽しむことが出来る。

マイ・シティ時代のレストランフロアは、入りたい店があっても入り口に「当店は分煙をしておりません」という断り書きがあるところが少なくなく、僕はそれらの店にはタバコの煙を恐れて入ることが出来なかった。

ルミネ・エストと名前が変わって、タバコに対する方針にもルミネカラーが反映されるのではないか、と僕は期待していたのだが、ようやく2カ月半以上経って、ランチタイム全席禁煙の実現となった。

新宿は歌舞伎町が近いせいもあるのか、これまでせっかく昼の全席禁煙を決めておきながら、わずか半年足らずで「喫煙を希望する客の方が多いので」と、禁煙をやめてしまった店は一つや二つではない。

禁煙を貫くことが出来なかった店は、わりと小さな店が多く、「タバコぐらい吸わせろや」とすごまれると、従業員が拒むことは難しかったのだろうと察する。

健康増進法によって、飲食店などの公共の施設は受動喫煙を防ぐための措置を取ることが定められているのだから、飲食店の禁煙は国や自治体、商店街を挙げて強力に推し進めてほしいものだ。

禁煙を実施しない店には客が来なくなって、つぶれてしまうような時勢になってほしいものだ。

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2006/06/09

なぜか表サイトへの相互リンク依頼が急増して

僕の表サイト「21世紀の歩き方大研究」は開設して9年以上になるが、去年夏くらいまでは相互リンクの依頼はほとんど来なかった。

ところが去年の秋くらいから、どういうわけか相互リンク依頼のメールが来るようになり、今年になるとそれがドッと増えた。

最初のうちは、僕もていねいに相手のホームページを読んで、とくに問題がない個人ホームページであれば、それに応じてこちらからもリンクをしていた。

しかし、相互リンクをしたことがさらに新たな相互リンクの依頼を誘発する形で、このところ急激に依頼が増加して、とうとう僕の方の対応がパンクしてしまった。

なにも律儀に、相手のホームページをいちいち見てからリンクしなくても、依頼に応じて機械的にリンクを張っていけば簡単なのかも知れないが、こちらからリンクを張るからにはそれなりの責任が生じるような気がする。

つまり僕としては、明かに特定の商品や企業を宣伝するためのサイトにはリンクしたくないし、また特定の宗教や政治団体の主張につながるサイトにもリンクはしたくない。

そんなこんなで、そのサイトをていねいに見た上でリンクをしなければ、相手にも失礼だし、また僕のサイトのリンクページを見てクリックする人たちにも失礼ではないかと思うのだ。

依頼がどんどん増えて、こうした手順を踏むだけの余裕がなくなってきたため、先日からリンクページにはその旨を「おことわり」として書いて、新たな相互リンクは中止することを明記した。

ところが困ったことに、おことわりを書いて以降も、相互リンクの依頼が後を断たないのだ。

どうも、僕のリンクページには目を通すことなく、依頼をしてきているようだ。

僕が推測するには、相互リンクについて指南するサイトか雑誌記事などで、僕の表のサイトが、頼めば簡単に相互リンクOKのサイト、というようなリストに載っているのではないだろうか。

ともかく、せっかく相互リンクの依頼をしてくる人たちには申し訳ないのだが、ある人には相互リンクをして、ある人には相互リンクをしない、ということでも不公平になってしまうし、かといって、相互リンクできない事情を返信メールに書いて送るのも、かえってカドが立つようだし。

なすすべなく、とりあえず何もしてないのだが、どうしたらいいものかと悩むところだ。

僕のリンクページは、「リンク2001」という時代遅れのタイトルになっているし、もうリンクページそのものを廃止ないしは現状凍結してしまうのも、一つの解決方法かも知れないが。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「時間とは何かをつきつめると、実在=無という悟りに」をアップロード)

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2006/06/08

リスクの大海を泳ぎ続ける我ら人間

このところのニュースを見聞きしていると、現代の人間は、リスクの大海を泳ぎ続ける羊たちなのではないか、と思う。

羊が泳ぐことが出来るかどうかは知らないが、僕には荒海を必死でともかくも浮き沈みしながら泳ぎ続けている子羊たちを連想するのだ。

エレベーターは高校生を挟み殺す、防火シャッターは小学生を押し潰す。

いたいけな子どもたちは、日本全国の西でも東でも次々と殺される。

このところの事件・事故の異常な多さは、単なる偶然ではなく、僕たちのいる共同体の大きな枠組みを、まがりなりにもまとめてきたタガが、完全に外れてしまったような感じがする。

広がる格差、8年連続で3万人を超える自殺者。

これでは、とても結婚どころではなく、結婚したとしても子どもを産むどころできなく、頑張って子どもを作ったとしても1人が精一杯、というのは当然だ。

僕たち現代の人間は、リスクに満ち満ちた大海に、ボートも浮き輪もなしで放り出され、いつ果てるともない泳ぎを続けているのだ。

海には人食いザメの群れもいるし、ピラニアや海蛇もウヨウヨしている。

台風や大シケの時でも、ともかく泳ぐしかない。安息できる島などはどこにもなく、救助のヘリコプターは永遠に来ない。

大波に呑まれて力尽きる者、サメに食いちぎられる者。リスクは容赦なく、誰彼の見境なく、不意に襲いかかる。

泳ぎに自信がある者も、一寸先は闇である。

つくづくと、今日の一日を無事に生きたことだけでも、ありがたく思わなければならないのだと思う。

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2006/06/07

命を奪って居直るシンドラーのリフト

高2の命を一瞬にして奪ったシンドラー社のエレベーター。

シンドラー社は「捜査に影響する可能性がある」として、住民への説明会にも姿を見せていない。

それどころか、全国各地でシンドラー社のエレベーターによるトラブルが起きていることが次々に明らかになっているのに、全体の台数や設置場所について明らかにすることを「個人情報だ」として拒んでいる。

日本のメーカーならば、原因がどうであれ、まずは被害者の遺族や居住者たちの前に、社長をはじめとしてトップが顔を出し、頭を下げるのは当たり前だ。

それが通じないのは、まさにシンドラー社が外資だからなのだ。

よく言われることだが、欧米の人たちは交通事故を起こしても、決して現場でアイム・ソリーという言葉や、これに類する謝罪の言葉は口にしない。

「ごめんなさい」「すみません」と言ってしまったら、自分の非を認めたことになり、それが裁判の場で決定的な有罪の決め手となることを、彼らはよく知っているからだ。

シンドラー社は、住民への説明会に顔を出して頭を下げてしまったら、自社のエレベーターの非を認めてしまうことになると、ガチガチに身構えているかのようだ。

それこそが外資であり、欧米流の徹底した契約社会・訴訟社会では、これくらいでないと生きてゆけないのだ。

シンドラー社は今日、「事実が公表された時点で、シンドラーの名前が大きく報じられることはなくなると確信している。我々の製品及び保守が高い安全基準を満たしていると自負している」というケン・スミス社長のコメントを発表した、と報じられている。

まさに、シンドラー社には製品にも保守にも一切の落ち度はない、と居丈高に開き直り、事故の原因は死亡した高校生の側にあると言わんばかりのニュアンスだ。

命を奪って平然。それがシンドラーのリフトである。

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2006/06/06

今日は芒種、5日後の入梅との差異は

今日は二十四節気の一つ、芒種(ぼうしゅ)だ。

芒種というのは、あまりポピュラーではない二十四節気だが、辞書を引くと、稲・麦など芒(のぎ)をもつ穀物の種をまく時期、とされている。

芒とは何だろうと思って、引いてみると、稲や麦などイネ科植物の花の外側の穎(えい)の先端にある針状の突起とある。

つまりは稲のことを芒といっているのであり、芒種は稲作民族の日本人にとっては、とても大切な節目といえる。

科学的な定義では、春分の太陽の黄径を0度として、芒種は太陽の黄径が75度の日とされていて、それが今日である。

カレンダーを見てみると、5日後の6月11日が入梅とある。

この入梅は二十四節気には入ってなく、節分や彼岸などとともに雑節と呼ばれている。

雑節ではあるが、入梅は太陽の黄径が80度の日と定義されているから、れっきとした太陽の動きに基づいて決められている。

太陽の動きとはもちろん見かけ上のことで、実際には太陽の周りを公転する地球の動きである。

今日の芒種から11日の入梅までの間に、見かけ上の太陽は黄道上を5度移動し、太陽から見た地球の位置は、わずか5度の角度だけ移動する。

この5度という小さな角度の変化が、微妙な季節感の移ろいに繋がる。

暦の上の入梅と前後して、東京地方では今月8日ごろが平年の梅雨入りとなる。

そして、今月21日には芒種の次の二十四節気である夏至を迎える。

夏至は太陽の黄径が90度になる日であり、春分の時から比べると、地球は3カ月かかって太陽の周りを角度にして90度、ちょうど4分の1周する時点にさしかかることになる。

僕たちは、ほかのすべての生き物たちとともに、地球という巨大な箱舟に乗って、太陽の周りを365日かけて猛スピードで一周する宇宙旅行のさなかにいるのだ。

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2006/06/05

「要するに」を多発した小学時代の村上容疑者

今日はニュースがやたらと多い。

こういう日のブログは、何を書いたらいいのか分からなくなる。

盗作疑惑の画家への芸術選奨取り消し。文化庁の文化度が世界の物笑いに。

秋田の豪憲君殺害に関連して、水死した彩香ちゃんの母親逮捕。彩香ちゃんの死への疑惑もさらに深まる。

東京・港区のマンションでエレベーターに挟まれて死亡した高校生の通夜。責任はどこに。

そして、本日ナンバーワンのニュースは、村上ファンドの村上世彰代表逮捕だろう。

これについては、ニュースでいろいろな人がさんざん感想を述べている。

村上容疑者は、小学生のころに父親から100万円を渡されて、これを増やすように言われたという。

小学時代の村上少年を知る友人が、テレビで語っていた内容が印象的だった。

彼は小学生なのに、「要するに」を多発する子どもだった、というのだ。

この「要するに」こそ、村上容疑者の正体であり、村上ファンド事件の本質なのだ、と僕は感じる。

要するに株主価値こそが大切であり、要するに利益を上げることに尽きるのだ。

要するに、お金儲けはいいことなのであり、要するに自分はホリエモンたちから日本放送株の話を「聞いちゃった」だけなのに、東京地検によってインサイダー取引にされちゃったのだ。

この「要するに」は、すべての途中経過を不問にして、利益がどれだけ上がったかですべての価値を決める。

儲ければ、勝ち。儲けをうらやみ、ねたみ、指をくわえながら悪口を言う有象無象は、すべて負け。

世の中は、それがすべてである。要するに、世の中とは、その程度のものなのだ。

これが、村上哲学なのだろう。

「要するに」によって、はみ出された部分。「要するに」によって、省かれ、はしょられた部分。「要するに」で括れない部分。

それらは、世の中にとって無価値であり、不要であり、邪魔であり、目に入れるのも煩わしい。

いま東京拘置所の中で、村上容疑者は「要するに」と、今回の事態について、考えをめぐらせているに違いない。

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2006/06/04

表の地球カレンダーのデータが日テレ特番に

060604eco明日6月5日は、世界環境デーであり、環境週間のスタートでもある。

日本テレビでは今日夕方3時から1時間25分にわたって、エコスペシャル特番を組んだ。

「東儀秀樹・青木さやかeco宣言SP」

その中で僕の表のサイトにある地球カレンダーのデータが登場した。

番組の最初に、地球温暖化による環境破壊の実態が映像で綴られ、ついで環境キーワードの一つとして、「12月31日午後11時37分」という時刻が示される。

地球の歴史を1年のカレンダーにした場合に、人類が誕生したのはこの時刻になり、地球環境の破壊はすべて人類が誕生して以降のわずか23分の間に起きたことだ、ということがトークの中で強調される。

このトークは3分間ほどだったが、字幕には僕の表のサイトのアドレスも、小さいながら映し出されていた。

人類が誕生した時から環境破壊が始まったというのは、その通りだが、現在問題となっているような急激かつ深刻な環境破壊は、厳密に言えば産業革命からではないか、と僕は思う。

地球カレンダーでいえば、人類の文明開始とされている農耕牧畜が始まったのは、12月31日午後11時58分52秒のことであり、産業革命となると午後11時59分58秒のことである。

365日にたとえた地球の歴史の中で、手に負えない環境破壊は最後の2秒の中で生じているのだ。

テレビ番組の中で、最後の2秒でこれだけの地球環境破壊が行なわれたといっても、かえって視聴者にはピンとこないかも知れない。

その意味では、ホモ・サピエンスの誕生した時点から環境破壊が始まったとして、最後の23分を強調した方が説得力があるのかも知れない。

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2006/06/03

つぎつぎと頭上を行く2つの飛行船

060603_1801今日は2つの飛行船をみかけた。

新宿の上空に、2つが浮かんでいたのが見えたが、あまりにも遠くてマメ粒のようなので、写真には撮れない。

しばらくすると、赤い飛行船だけがゆっくりと弧を描いて接近してきて、上空を横切っていった。これは、5月22日のブログで書いたニッセン・チョツピー号のようだ(写真上)。

それから2時間ほどすると、こんどは白くて巨大な飛行船が、新宿の超高層ビルのあたりからカーブを描きながら、真上に近づいてきた。

ケータイのカメラを向けるが、空が明るすぎてまぶしく、ケータイの画面でははたして捉えているのかどうか、見分けがつかないまま、とにかくシャッターを切る。

060603_1637頭上を行くのは、去年2月9日のブログで書いたツェッペリンNTのようだ(写真下)。

全長75メートルの巨体が頭上を音もなくすべって行くのは、神秘的な迫力がある。

夕刊を開いたら、所属会社の違うこの2つの飛行船は今日、都内の各地でランデブー飛行をしていたらしく、東京タワーをバックにした2つの飛行船の写真が載っている。

僕も、2つ一緒に浮かんでいるところを近くから撮りたかった。

またいつかランデブー飛行をやってほしいものだ。

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2006/06/02

表サイトの「地球カレンダー」が4日にTV放映へ

このブログの表サイトにある「地球カレンダー」のデータが、環境問題を考えるテレビ番組のトークの中で使われることになりました。

6月4日(日)午後3時-4時30分放映、日本テレビ「エコロジー特番」
『東儀秀樹・青木さやかのeco宣言スペシャル』


「地球カレンダー」のデータをもとにしたトークは、番組の最初の方で放映される予定です。

みなさま、ぜひ番組をお見逃しなきよう、東京地区の方は4chを、また他地区の方は日テレ系のチャンネルでご覧下さい。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「出生率1.25の衝撃、効率至上社会の変革を」をアップロード)

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2006/06/01

出生率最低の1.25と、自殺者3万人超

今日の夕刊には、衝撃的なニュースが2つ載っている。

一つは、日本の出生率が昨年、さらに低下してこれまでの最低の1.25となったことだ。

この数字に、厚生労働省も小泉首相も、冷静な受け止め方をしているようだが、ことの深刻さは並大抵ではない。

なにしろ、人口を一定に保つためには出生率が2.07ある必要があるのに、この数字は天と地ほどの開きがあり、さらに低下が進む可能性も指摘されている。

いまの出生率では、900年後には日本の人口がゼロになって日本が消滅する。

かりに、ここ数年の間に、出生率が上向きになって、1.3から1.4くらいにまでなったとしても、人口の縮小を止めるにはほど遠い。

もしも、何10年か先に、まさに奇跡的に出生率が2.07にまで回復したとしても、人口減少がストップして平衡状態になるのは、さらにその数10年先だ。

人口学者の間では、かりにこれから出生率が上向いていったとしても、今世紀中は人口減少が止まらない、とされている。

これを「人口減少のモメンタム(慣性または惰性)」という。

逆に言うと、少子化は30年前から生じていたのに、このモメンタムによって、一昨年までは人口が増加し続けてきた。

いまようやく遅れて、少子化が人口減という目に見える形で具現化した、ということなのだ。

今日の夕刊に載っているもう一つの見逃せないニュースは、日本の自殺者が8年連続して年間3万人を超えた、という内容だ。

出生率1.25と、年間3万人を超える自殺者。この2つのニュースは、無関係のことがらだろうか。

僕は、同じことがらが、出生率と自殺者という、異なるアラームとなって、鳴り響いているように感じられる。

それは、日本の社会で生きていく道がしだいに狭められていって、日本が極めて生きにくい社会になっている、という状況へのアラームだ。

競争を好む者のみが生きていくことが許され、競争に勝ったものたちが繁栄を謳歌する社会。

この日本の姿が、出生率をますます低下させ、競争社会からはじき出された者や競争を好まない者が、命を断ってゆく。

日本に明日はあるだろうか。明日というのは、20年後、30年後のことである。

僕は極めて悲観的だ。

50年後、100年後となると、明日は99%ない、と言い切っていいと思う。

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