「要するに」を多発した小学時代の村上容疑者
今日はニュースがやたらと多い。
こういう日のブログは、何を書いたらいいのか分からなくなる。
盗作疑惑の画家への芸術選奨取り消し。文化庁の文化度が世界の物笑いに。
秋田の豪憲君殺害に関連して、水死した彩香ちゃんの母親逮捕。彩香ちゃんの死への疑惑もさらに深まる。
東京・港区のマンションでエレベーターに挟まれて死亡した高校生の通夜。責任はどこに。
そして、本日ナンバーワンのニュースは、村上ファンドの村上世彰代表逮捕だろう。
これについては、ニュースでいろいろな人がさんざん感想を述べている。
村上容疑者は、小学生のころに父親から100万円を渡されて、これを増やすように言われたという。
小学時代の村上少年を知る友人が、テレビで語っていた内容が印象的だった。
彼は小学生なのに、「要するに」を多発する子どもだった、というのだ。
この「要するに」こそ、村上容疑者の正体であり、村上ファンド事件の本質なのだ、と僕は感じる。
要するに株主価値こそが大切であり、要するに利益を上げることに尽きるのだ。
要するに、お金儲けはいいことなのであり、要するに自分はホリエモンたちから日本放送株の話を「聞いちゃった」だけなのに、東京地検によってインサイダー取引にされちゃったのだ。
この「要するに」は、すべての途中経過を不問にして、利益がどれだけ上がったかですべての価値を決める。
儲ければ、勝ち。儲けをうらやみ、ねたみ、指をくわえながら悪口を言う有象無象は、すべて負け。
世の中は、それがすべてである。要するに、世の中とは、その程度のものなのだ。
これが、村上哲学なのだろう。
「要するに」によって、はみ出された部分。「要するに」によって、省かれ、はしょられた部分。「要するに」で括れない部分。
それらは、世の中にとって無価値であり、不要であり、邪魔であり、目に入れるのも煩わしい。
いま東京拘置所の中で、村上容疑者は「要するに」と、今回の事態について、考えをめぐらせているに違いない。
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