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2006/08/23

「日本沈没」を見て、「テルーの唄」のCDを買う

33年ぶりに映画化された「日本沈没」を見てきた。

(以下、ネタバレあり。ご注意)

1973年末から翌年にかけて公開された「日本沈没」は、とても強烈な印象を受けたが、今回のリメイク版は期待したほどではなく、僕としては欲求不満が残った。

リメイク版なのだから、前作とは意識的に異なる作品にしようとするのは当然だが、それにしても基本的な点で首をかしげたくなるところがある。

まず、こういう映画を見に来る人たちは、何を最も期待しているか。それは地震や噴火による破壊シーンであり、群集のパニックシーンだろうと僕は思う。

阪神大震災という現実の大惨劇を経験した後で作られる映画であるからには、それをふまえた上で大都市が破壊され、大群衆が逃げまどう阿鼻叫喚の修羅場はゼヒモノだろう。

前作は、それなりに東京を襲う大地震とその被害の有様を克明に描いていたのだが、今回の作品は最も重要な首都への破壊シーンがさらりとしていて、とても物足りない。

銀座の和光ビルが破壊されたり、六本木ヒルズが倒れたりといったシーンはあるにはあるが、前作の首都パニックに比べると気が抜けたような感じがする。

どうせなら、数万人のエキストラを使って、膨れ上がる帰宅難民をさらに激震が襲うような、語り草になるパニックシーンを作って欲しかった。

僕が最も疑問に感じたのは、この地殻変動による日本沈没という事態を、草薙クン一人の犠牲的でヒロイックな行為によって、防ぎ止めるという決着の付け方だ。

なんとも安っぽいハリウッド映画の手法のようで、草薙クンはクールに好演しているのだが、この設定には非常に違和感を覚えた。

前作は、防ぎようのない日本沈没という事態をあるがままに受け入れ、世界の各地に散らばってしまった傷だらけの日本人の姿を、茫漠と描いてなんともいえない余韻に酔いしれたものだ。

というわけで、いま一つ、乗れない映画だったが、それよりも僕は、休憩時間に場内に流れている不思議な歌に強くひかれた。

僕は初めて聞いた歌だが、いま流行っている歌だろうか。誰が歌っている何という歌だろうか。

映画が終わって帰る前に、僕は映画館の従業員に、いま流れている歌はなんという歌なのか尋ねてみた。

これは「テルーの唄」で、隣の映画館で上映している「ゲド戦記」の挿入歌だという。

その足で僕は、新宿のCDショップに寄って、このCDを買ってきた。

歌っているのは、手嶌葵という19歳の歌手・声優。

なんと作曲者は、谷山浩子お姉さまではないか。

どうりで、しみじみほろりとするいい曲のはずだ。

「日本沈没」よりも、この歌を発見できたことが僕にとっての今日のシアワセだった。

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