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2006/12/11

天文年鑑からようやく神武紀元が消えた

061211_1540_1毎年、黄色くなったイチョウの葉が寒風に散って、歩道に散乱する時期になると、僕は新しい年の天文年鑑を買わなければ、と思い出す。

今年は、秋が暖かかったためにイチョウの黄葉がいつもより遅く、僕が天文年鑑のことを思い出したのは、12月も10日になってからだった。

新しく買ってきた2007年版の天文年鑑をパラパラとめくって見て、一つの重大な「異変」があることに気づいた。

それは‥

天文年鑑の冒頭には、「展望」と題するページがあって、新しい年が暦の上でどういう年であるかについての記述があり、その1年の間に起こる主な天体イベントなどを紹介している。

その展望の書き出しにはこれまで恒例のように、西暦年数と干支、平成の年数、日本紀元による年数、さらに明治・大正・昭和の年号を通算した数字が書かれていた。

例えば、21世紀最初の天文年鑑である2001年版では、「2001年の年の干支は、辛巳(かのとみ)であり、平成13年、日本紀元2661年、明治134年、大正90年、昭和76年にあたり、平年である」というぐあいだ。

ここで、物議をかもしてきたのが日本紀元を書くことの是非である。

科学書である天文年鑑が、神話上の存在である神武天皇の即位から始まる日本紀元を、毎年のように冒頭に表記することは、妥当なのだろうか、という疑問が当然出てくる。

こうした批判があることを編集側でも十分意識していたようで、2004年の天文年鑑では、この箇所に続けて、「ここで、神武紀元年数という反動的な文言を嫌う向きもあるが」として、現行のグレゴリオ暦の根拠となっているのは明治5年の詔勅であることを説明。日本紀元を書く必要があることを強調している。

2005年の天文年鑑も、前年と同じ釈明文が書かれているが、2006年版になると、「日本紀元」という遠慮がちな言い方をやめて、ストレートに「神武天皇即位紀元」と表記し、その理由については次のように強い調子で言い切っている。

「西暦2006年は平成18年で、明治139年、大正95年、昭和81年にあたる。神武天皇即位紀元では2666年になる。神武紀元という非科学的なものを科学書に載せることに批判の声もあるが、どの年が閏年になるかを定める勅令(明治31年勅令第90号)が神武天皇即位紀元数を基準にしているため、この年数が分からないと法的には今年が平年か閏年かを判断できないのである」

神武天皇即位紀元が分からなければ閏年かどうかが判断できない、という詭弁とも思える論法については、僕の去年11月26日のこのブログで書いているので、今回は詳しくは触れない。

2006年版のこの記述について、どのような反響が寄せられたのかは知るすべもないが、昨日買ってきた2007年版の「展望」では、創刊以来、半世紀以上に渡って書いていた「日本紀元」も2006年版の「神武天皇即位紀元」も、姿を消している。

それとともに、明治・大正・昭和からの通算元号もきれいさっぱり消えてしまって、このくだりは次のような超シンプルな記述になった。

「西暦2007年(平成19年)は平年で、年の干支は丁亥(ひのとい、ていがい)である」

これで十分ではないか。なぜ今まで1949年の創刊以来、神武紀元にこだわり続けてきたのか、むしろ不思議な気がする。

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コメント

BANYUU さん、こんにちは。

 いまの日本の暦、ですか。新暦という意味でしたら、それこそ明治31年の「詔勅第90号」だけで決まってるわけです。単純明快で、天文台の出る幕もないよね。

 旧暦でしたら、国立天文台も海洋保安庁海洋情報部(旧水路部)も関知してません。法的には、日本の公式な暦は新暦だけなので、国の機関は旧暦には関知できないのです。これに関知したら田母上氏と同様、国に逆らうことになる(^^;; 旧暦はあくまで民間で作られている。それまで国が規制することはできない、というスタンスなわけです。
 ただ、国立天文台は朔や節気などの日時を(前年2月の)官報で発表してます。ま、「節気」というよりも公式には「太陽黄経が何度」の日時かな?ともかく、多くの民間業者はこれを利用して、江戸時代の「天保暦」の規則をあてはめて旧暦を作ってるわけです。だからどこの旧暦も全く同じになる(たぶん)。

 でも、また面白いことが見つかりました。2009年の「天文年鑑」ですが、
  2月25日 15時13分 新月
  2月26日 10時35分 月が赤道を通過
となってますが、これ、時刻が逆です。「理科年表」なんかと比べてみればわかります。つまり、官報で通知されている朔(新月)の時刻を天文年鑑は間違ってるんです。理科年表をはじめ、「神宮館ナントカ暦」なんて本にまで正しい時刻が載ってるというのに。
 既に誠文堂新光社には知らせたんだけど、まだ正誤表に載ってません。皆既日食の上海の食分が1.021とか1.020とかというどーでもいーこと(どっちみち皆既やんか!)はさっさと訂正してるのに。日食で舞い上がってたるんでるんじゃないか?

 それから、海洋保安庁海洋情報部ですが、たしかに天測に関連する部門もあり、暦にも関連しているようです。
 かつての水路部で開発された、太陽黄経、月黄経の計算式が、長沢工「天体の位置計算 増補版」に載ってます。相当正確です。これを使えば旧暦も作れますね。

投稿: 石原幸男 | 2008/11/28 11:26

石原幸男さん、はじめまして。2005年版では「詔勅第90号」が明治5年と書かれていたとは気付きませんでした。
いまの日本の毎年の暦は、国立天文台に依拠して決めているのでしょうか。海上保安庁水路部という話を聞いたこともありますし、また「うるう秒」を入れるかどうか決めるのは別な機関だったようにも思いますし、暦の法的根拠について、そのうち調べてみたいと思います。
昨日、「天文年鑑2009」を買ってきました。

投稿: BANYUU | 2008/11/25 17:06

 天文年鑑は私も高校時代から40年ほど、中断はあるけど、付き合ってきました。でも、こんなとこはろくに読んだこともなかった。それで、古いのを引っ張り出してみました。
 たしかにありました。でも、面白いことが見つかった。2006年版で明治31年とされている「詔勅第90号」が2005年版では明治5年とされている。これは明治31年が正しい。
 つまり、明治5年の新暦への改暦の時には、閏年は4年に1度とだけ規定されていた。神武即位紀元とは何の関係もなかった。ところがこれでは1900年が閏年ではないというグレゴリオ暦と合わない。それで明治31(1898)年になってあわてて出されたのがくだんの「詔勅第90号」なわけです。この時になってやっと、閏年の法的根拠に神武即位紀元が用いられた。もっとも当時としてはキリスト教国でもない日本でキリスト教紀元(西暦)を使うわけにもいかなったという事情もあったろうと思います。また、今みたいに一般の日本人が西暦を知ってたかどうかも怪しいし。
 2006年版を執筆なさってるのは国立天文台の相馬充さん。国立天文台はあくまでお役所なわけです。だから法的根拠に拘る書き方になるんだろう。また「神武天皇即位紀元」という言い方も、法的に正式な呼び方ということであって、特に「強い調子」だとは私には思えませんけどね。むしろ2005年版の無記名記事のほうが、勅令の年数もデタラメだし、随分杜撰な論法だと思います。
 もっとも2007年以降はこんな記事消えてるんだから、今さら何を言っても無意味でしょうが。

 もっとも神武即位紀元自体は明治5年の改暦と相前後して制定されてます。そしてこれを日本の公式の紀元として世界に公表したもんだから、今でもアメリカの「天体暦」にはこれが載ってるそうです(内田正男「こよみと天文・今昔」)。天文年鑑なんかよりこちらのほうがよほど問題じゃないか?外国では今でも、「日本では神武紀元が使われてる」と思われてるとしたら・・

投稿: 石原幸男 | 2008/11/22 11:50

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