あれから10年、光陰は一瞬のごとく
そう、あれは確か、10年前の今頃だった。
97年1月26日。
僕が会社を辞める日まで、あと残り数日という時期だった。
早く完全に辞める日が来てほしいとともに、後ろ髪を引かれるような思いもあった。
「えーっ? 藤沢周平が亡くなったんだって? えーっ?」と、ニュースで知った職場の女性が叫んだ。
僕は藤沢周平とはどんな作家なのかも知らず、作品のひとつも読んだことがない。
だから、藤沢周平の死を知って、こんなに驚く若い女性がいることに、僕は目を見張った。
よほどのファンで、たくさんの作品を愛読してきたのだろうな、と想像した。
1月の勤務の最後の日。僕にとっては、20代の前半から勤めてきた会社での最後の日だった。
職場の女性たちが、2月4日に送別会を開いてくれるという。
「みんなで記念品を贈りたいと思います。何かご希望のものはありますか」と、幹事役の女性から尋ねられた。
藤沢周平の死に驚きの声をあげた、その女性だった。
僕はとっさに、「では、もしあったらで結構ですが、砂時計を」とリクエストした。
なぜ砂時計だったのか、はっきりした理由があったわけではない。
しかし、会社を辞めて、その後のあてもなく、フリーで生きていこうという僕にとって、なんとなく砂時計がふさわしいように思ったのだ。
送別会での挨拶の中で、僕は「夢のまた夢」という秀吉の辞世を引用した記憶がある。
その時に贈られたのが、写真の砂時計である。
砂時計を逆さにして、さらさらと砂が落ちていく様子を見ているのが僕は好きだった。
あれから10年。歳月はビデオの早送りのように、驚異的なスピードで過ぎて行った。
すべては過ぎてみれば一瞬の光陰でしかない。
夢のまた夢、である。
砂時計だけは、あの時のまま、止まった時間がさらさらと流れている。
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