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2007/07/29

ロシアより愛をこめて送る24

ロシアより愛をこめて送る24
ほぼ半月に渡った僕のロシア一人旅も、間もなく終わりだ。

旅の締めくくりに、モスクワ中心部からやや離れたところにある、昔の修道院を訪ねた。

かつて、スパソ・アンドロニコフ修道院だったところで、ここのスパースキー聖堂は15世紀初めに建てられ、現存するモスクワ最古の建物だという。

敷地内には、ここの修道院で青年期を過ごした天才イコン画家、アンドレイ・ルブリョフを記念して建てられた、イコン専門美術館がある。

僕はキリスト教信者でもなく、あいにくと宗教心も持ち合わせていないが、ロシア正教と密接に結ぶついているイコン画には、心を洗われる思いがして敬謙な気持ちにさせられる。

僕には詳しいことは何も分からないが、西ヨーロッパの宗教美術に多い磔刑の場面が、イコン画には少ない気がする。僕には、磔刑を描いた作品は、どうも心に入ってこない。

ということで、このアンドレイ・ルブリョフ記念イコン美術館では、磔刑のほとんどないイコン画を、心行くまで鑑賞した。

今回のロシア一人旅はこれで終わって、明日のアエロフロート機で日本に帰る。

僕の拙いロシア語を懸命に聞き取ろうと努めて、さまざまな場面で親切にしてくれた、たくさんのロシアの人々に、心から感謝してお礼を言いたい。

ロシアには、また遠くないうちにきっと訪れたい。日本からの直行便のないペテルブルクは機会がないかも知れないが、モスクワにはぜひ再訪するつもりでいる。

モブログで続けてきたロシアより愛をこめて送るシリーズは、ひとまずこれでお休みとしたい。

次回にロシアに来れる日まで、ダ・スヴィダーニャ!

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る23

ロシアより愛をこめて送る23
ボリシャヤ・ニキーツカヤ通りを進んでいくと、一目でスターリン・クラシック様式と分かる壮大な建築物が見えてくる。

これが文化人アパートで、映画「モスクワは涙を信じない」にも登場している。官庁や大学の建物ではなく、一般の人たちが住むアパートというから凄い。

モスクワには、スターリン・クラシック様式の建物が7、8棟ほどあり、僕は昨日のモスクワ大学を含めて、これで5棟を見たことになる。

スターリン・クラシック様式は、ニューヨークの摩天楼にコンプレックスを抱いていたスターリンが、それに負けないビルを建てようと、モスクワ800年を記念して1950年代に建築した。

この様式の建物に対しては、モスクワ市民の間でも、評価や好き嫌いが分かれているという。

スターリン時代をよく知らない外国人の僕は、偉容を誇るこれらの建物を見ると、圧倒される思いでシビレてしまう。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る22

ロシアより愛をこめて送る22
モスクワに来て7日目になる。僕のロシア一人旅も、そろそろ終わりに近づいてきた。

いまごろになって、ようやく街歩きにも心の余裕が出てきて、建物や街行く人々の様子などを、じっくりと観察することが出来るようになった。

今日は、まだ歩いていないボリシャヤ・ニキーツカヤ通りへ行ってみる。トゥヴェルスカヤ通りほどの幹線道路ではなく、アルバート通りほど華やかな歩行者天国でもなく、しっとりと文化的な香りのする通りだ。

ゆっくりと散策しているうちに、通りに面してチャイコフスキーの像が見えてくる。チャイコフスキー記念モスクワ音楽院だ。(写真)

木立に囲まれた正面の建物は、工事中のようだ。奥には、1800人を収容出来る大ホールなど、3つのホールがある。

世界中からやって来た大勢の学生たちが、ここで日夜、厳しい授業を受けて腕を磨いている。チャイコフスキー国際コンクールも、ここで開催されている。

像の前にたたずんでいると、音楽院の奥のどこからともなく、たえなる調べが聞こえてくる。一つの音楽ではなく、いろいろな曲が重なって聞こえてきているようだ。

どこの国の、どんな学生たちが、いまレッスンに励んでいるのだろうか。

BANYUU

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2007/07/28

ロシアより愛をこめて送る21

ロシアより愛をこめて送る21
モスクワは、明け方まで降っていた雨もあがり、晴れ間がのぞいてようやく暖かくなる。今日は雀が丘を目指す。

パックツァーでは定番となっている観光名所で、だいたいは観光バスで訪れるところなのだが、僕は地下鉄で6駅ほど乗って、ヴァラビョーヴィ・ゴールイという駅で降りる。

駅はモスクワ川の真上に造られた、まだ新しい建物だ。改札を出て、案内標識を見上げながら、雀が丘にはどっちの方向に行けばいいのか探すが、分からない。

戸惑っていると、「どちらへ行かれるのですか」と若い女性がロシア語で声をかけてきた。20代の中頃くらいの、知的な感じで物腰の柔らかい、きれいなお姉さんだ。

「雀が丘へ行きたいんですけど」と言うと、お姉さんは「それは、こちら側じゃないわ。反対側の改札から出なきゃだめだったのよ」と言う。

モスクワの地下鉄は、エスカレーターが長いこともあって、改札口が一個所しかないところが多く、この駅も出口は一方向だと僕は思い込んでいた。

「反対側の改札に行くって、どうやって…」と僕はまごつく。切符を買い直して再入場すればいいのだろうか。

お姉さんは、困った旅行者ねえ、という顔をしていたが、「じゃあ、こっちへおいでなさい」と、僕を改札口の手前まで連れていく。

そしてお姉さんは、なんと自分の定期券をバッグから取り出して、さっと改札機の読み取り口に当てた。日本のスイカのようなものなのだろう。

改札のバーが自動的に開き、お姉さんは「早く通って」と合図する。僕を通すために、お姉さんがとっさの機転を働かせくれたのだ。モスクワの地下鉄は入る時の改札があるだけで、出る時はフリーパスだ。

「スパシーバ!」とお姉さんにお礼を言いながら、僕は改札口を通り、反対側の改札から出ることが出来た。

なんと親切で融通のきく、優しいお姉さんなのだろうか。捨てる神あれば拾う神あり。ロシアには、僕のケータイを魔術のように奪ったスリもいるが、このお姉さんのように僕を助けてくれた女神もいる。

お姉さんは、定期券を持っているところからして、もしかして、モスクワ大学の大学院生か研究者なのだろうか、と想像してみる。なんだかそんな雰囲気の女性だった。

ここ雀が丘は、モスクワ市街を一望出来る高台にあり、展望台の真後ろにはロシア随一の最高学府、モスクワ大学がそびえている(写真)。

近くまで行って見るモスクワ大学の学舎は、中央の建物が32階建てで高さ240メートルもあり、正面の幅は450メートルもある。ここの14学部に3万2000人の学生が学ぶ。

モスクワの随所にそびえ立っていて、その偉容で目を引くスターリン・クラシック様式の建物の中でも、最大の規模を誇るのが、モスクワ大学の建物だ。

雀が丘の丘陵をうねる道を、てくてく歩いて川べりに向かう。上って来る時もそうだったが、観光客どころか、人っ子一人いない静かな道で、怖い気もするが、ともかく川岸までたどり着く。

ちょうどいいタイミングで、キエフ駅付近から来たモスクワ川クルーズの遊覧船がやってきて、これに乗車する。遊覧船ではあるが、いくつもの船着き場に寄って、降りる人あり乗る人ありの公共交通機関でもある。

モスクワ川から眺めるクレムリンなど、さまざまな街の光景は、歩いて見るのとはまた異なった表情をしていて、格別の味がある。

BANYUU

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2007/07/27

ロシアより愛をこめて送る20

ロシアより愛をこめて送る20
今日もモスクワは、朝から雨が降ったり止んだりのぐずついた天気で、長袖の上着がなければ寒いくらいだ。

赤の広場は、モスクワに着いた初日に来て見たが、まだじっくりとは見ていない。

そこで今日は、赤の広場の中央にあるレーニン廟に行ってみる(写真)。廟の内部は一般の人達にも公開されていて、週のうち月曜と金曜を除く5日間の、朝10時から午後1時までのわずか3時間だけ中に入ることが出来る。

僕が10時過ぎに行ってみたら、廟からずっと離れた場所がゲートになっていて、なんとすでに500人くらいの長い行列が出来ている。ツァーの団体観光客は皆無で、ほとんどがロシアの一般市民たちという感じだ。

ソ連が崩壊して以降もレーニン人気は全く衰えず、むしろ絶対的なシンボルとして神格化された重苦しさがなくなって、かえって気楽に訪れる人達が多くなっているのかも知れない。

1時間近くかかってようやくゲートまで列が進み、そこで荷物検査とボディーチェックを、一人ずつ受ける。

大きなバッグやカメラは持ち込み禁止で、チェックでひっかかったら、せっかく並んでいても荷物預かり所まで行って預けなければならない。

僕は、ケータイがカメラであると判断されないように、電源を切ってバッグの底に仕舞い込み、もし何か言われたら、今は電源をオフにしているので作動しない状態になっている、と説明するつもりで緊張してゲートをくぐった。

結局、バッグの中は覗かれたものの、何も言われることなく晴れて関門を通過。まるで安宅の関を通る気分だ。

そこから100メートルほど歩いて、警備がますます厳重になる中、いよいよレーニン廟の中に入る。

廟の中は、ほとんど真っ暗に近い状態で、通路が何箇所かで曲がって通っていて、しかも少しずつ下り階段があり、壁を手探りで触りながら慎重に歩かないと、躓いて転びそうで危ない。

ぱっといきなり広い空間に出て視界が開け、僕はそこで目にした光景に、思わず息が止まるような衝撃を受けた。

部屋の中央には、立派な寝具をかけた大きな寝台があり、そこには、あのレーニンその人が、亡くなった時と同じ姿で眠っていた。

顔と両手は、そこだけ照明が照らされていて、まるで本当に生きていて眠っているかのように血色がよく、とても遺体には見えない。

僕はそれまで、レーニン廟というのは遺体が中に安置されて蓋が閉じられている棺を外側から見るものだとばかり思っていた。

どのような遺体処理の技術を施して、この姿のまま永久保存出来ているのかは分からないが、生の遺体を国民や外国人観光客に公開しているロシアという国の、大きさ、深さをつくづくと思い知らされた。

レーニンは、自らが先頭に立って成し遂げた社会主義が崩壊し、市場経済が急速に進むロシアの変貌を、どんな思いで見つめているのだろうか。ロシア国民の選択に今なお信頼を置いて、安心して眠り続けているのだろうか。

ゆっくりと廟の中を回った後、僕はそのまま外に出るのは何だか礼を失するような気がした。日本だったら普通、手を合わせるだろう。しかしここで合掌も似合わない。

僕は、レーニンに向かって軽く頭を下げ、一礼をしてから出口に向かった。

BANYUU

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2007/07/26

ロシアより愛をこめて送る19

ロシアより愛をこめて送る19
モスクワは朝から冷たい雨が降りしきる。雨のモスクワ。モスクワの雨。そんなタイトルの歌か小説があったような気がしてくる。

こういう日は、街の散策ではなく、美術館にどっぷりと浸るに限る。モスクワの美術館といえば、何はさておきトレチャコフ美術館であろう。

この美術館は、赤の広場やクレムリンがある一帯からやや離れているので、雨になるべく濡れないためにも地下鉄を利用する。

建物の外観は意外なほど簡素でつつましく、古代から20世紀までのロシア美術10万点を収蔵しているようにはとても見えない。正面の庭には、この美術館の創設者であるパーヴェル・トレチャコフ氏の像がある(写真)。

展示されている作品の中には、荒波の中を小船に乗り込んで難破船から必死に離れようとしている人々と、うっすらとかかる虹を描いたアイヴァゾフスキーの「虹」や、画の中から月光が光を発しているように見えるクインジの「ドニエプルの月夜」など、日本でも公開されて大人気を博した傑作が、ずらりと勢揃いしている。

ここは写真撮影が一切禁止と厳しいが、かえって作品の鑑賞に集中出来てよかったかも知れない。朝から見始めて途中、カフェでの昼食を挟んで夕方まで、たっぷりと楽しむことが出来た。

ロシア美術を集大成した美術館としては、ペテルブルクのロシア美術館と双璧をなす。どちらが良かったかということになると、もう甲乙付け難く、どちらももう一度、見て回りたいとしか言いようがない。

BANYUU

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2007/07/25

ロシアより愛をこめて送る18

ロシアより愛をこめて送る18
モスクワには、さまざまな繁華街があって、それぞれに固有の雰囲気と個性がある。中でも、終日歩行者天国となっているアルバート通りは、幅がほどよい感じでもっとも歩きやすい(写真)。

かつては貴族の家が立ち並んでいた通りで、ソ連が崩壊する前のペレストロイカの時代には、ここで盛んに演説が繰り広げられて、情報発信の基地となった。

その通りは今、さまざまなレストランやカフェ、ブティックなどが並んでいて、ストリート・ミュージシャンが音楽を奏で、西欧の目抜き通りとはまたひと味違った、落ち着きのある華やかさに満ちている。

通りの中央には、さまざまな土産物を売る店が出ている。鎚と鎌の旧国旗などソ連時代のグッズが結構な人気を呼んでいるのには、びっくりする。

この通りをのんびりと散策していると、時間を忘れてしまう。手頃な値段で充実したロシア料理を食べられる店もたくさんある。

散策している日本人にはほとんど出合わない。ていうか、そもそも東洋人の姿からしてあまり見掛けない。時たま、韓国人らしいグループとすれ違うくらいのものだ。

僕が歩いていると、お土産売りのロシア人店員から、よくニーハオと声をかけられて困ってしまう。

僕は、ズドラーストゥヴィチェ、と返しているのだが、相手は僕のことをどこの国の者だと思っているだろうか。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る17

ロシアより愛をこめて送る17
モスクワの地下鉄は怖い、とよく言われるが、何ごともチャレンジして見なければ、いつまで経ってもお上りさんのままだ。ということで、度胸と勇気を持って、地下鉄に挑戦する。

まずもって切符を買う。モスクワ中心部の大きな駅でも自動販売機がないのは、さすがに今なお労働者の国だなあ、と感心する。

そこで窓口のおばちゃんから買うことになるのだが、どこの窓口のおばちゃんも、ガイドブックに書いてある通りに、一様に無愛想で不機嫌そうな顔をしている。

薄暗い地下の狭い場所に閉じこもって、一日中切符を売っていれば、愛想良くも機嫌良くもしていられないよね、おばちゃん。

切符売り場のおばちゃんはやはり、こうでなくちゃ。その無愛想さと不機嫌そうな表情が、いかにもロシアらしくてグッとくる。

地下鉄のエスカレーターは、日本の地下鉄の10倍から20倍もあろうかと思うほどの長さで、その高低差は20階建てから40階建てくらいのビルに相当するような実感を受ける。

これくらい深いところを通っているのを目の当たりにすると、核戦争が勃発した場合にシェルターになるように造られている、と冷戦時代に西側から言われていたのも、まあ納得出来ないこともない。

昼間の駅構内は、それほど物騒な感じはなく、行先や乗り換えの案内表示も、ロシア語が少し読めれば大丈夫だ。今日は乗り方に慣れるため、短い区間を4回くらい乗ってみた。

「地球の歩き方」の2007年版には、モスクワの地下鉄の1回券は15ルーブルと書いてあるが、17ルーブルになっている。

ロシアも市場経済の発展とともに、物価が上がっているのだろうか。

地下鉄のホームはどこも、美術館のようなゴージャスな造りだが、写真撮影は禁止のようなので、無理はしないでエスカレーターの写真にとどめておいた。

BANYUU

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2007/07/24

ロシアより愛をこめて送る16

ロシアより愛をこめて送る16
クレムリンの観光ゾーンと同じ敷地の中に、ロシアの政治の中心としてのクレムリンが隣接して広がっているのが面白い。

観光客がぞれぞろと入場してくる通りの右手には、かつてはソ連共産党大会などの会場にもなっていたクレムリン大会宮殿があり、左手にはロシア連邦大統領府、さらに奥は大統領官邸がある(写真)。

大統領官邸には、大統領がいる時には、ロシアの国旗が掲げられているのだそうだ。

今日はロシア国旗が見える。プーチンさんが、ここにいるのだと思うと、なんとはなしにドキドキしてくる。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る15

ロシアより愛をこめて送る15
今日はまず、クレムリンをめざして、朝からトロイツカヤ塔の入口近くにあるチケット売り場に並ぶ。

売り場はそれほどの行列でもなく、すぐにチケットを買えたが、入口は団体のツァー客も同じ一つの長い列に並んで、荷物のX線検査とボディーチェックを受けるので、入るまでにこれで30分ほどかかる。

クレムリンというと、ソ連時代も今のロシアも、国家権力の中枢を意味するニュアンスで受け止められることが多いが、ここはロシアの宗教と文化の中心でもあり、モスクワ最大の観光名所になっている(写真)。

一枚のチケットで、ウスペンスキー大聖堂など、ロシア正教の数個所の聖堂に入ることが出来、内部の数々のイコン画やフレスコ画、イコノスタス(聖障)などの見事な宗教美術には圧倒される。

どの聖堂にも入場するための長い行列が出来ていて、とりあえずは比較的空いていそうなところから見ていく。なんだか万博のパビリオン巡りのような気分だ。

僕は時間に制約されない一人旅の特権で、好きなだけ見ていることが出来るが、日程が詰まっている団体のツァー客は大変だ。各国のガイドさんや添乗員さんたちは、声を張り上げて説明と誘導に懸命で、さまざまな国の言葉が飛び交っている。

これだけの観光名所にもかかわらず、観光ゾーンにはカフェの一つもないのは、いわゆる観光施設ではないのだという、クレムリン側の毅然とした姿勢が感じられる。

BANYUU

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2007/07/23

ロシアより愛をこめて送る14

ロシアより愛をこめて送る14
ついに来たぞ、モスクワへ。「ロシア人なら誰でも、モスクワを母だと感じる」とトルストイが書いた、そのモスクワだ。

ペテルブルクからアエロフロートの国内線で、約1時間半。距離にして700キロほどを、ひとっ飛びだ。

ホテルにチェックインを済ませると、早速、赤の広場へ行ってみる。日曜の夕方とあってか、たくさんの家族連れや若い人達で賑わっている。

ここが、幾度となくテレビのニュースで見て来た、あの広場だ。ソ連時代の軍事パレードのイメージが強いが、新しいロシアになってからも、ここがモスクワの中心であり、ロシアを象徴する場所であることに変わりはない。

広場にたたずむと、右にクレムリン、左にグム百貨店、そして正面にはネギ坊主が異彩を放つ聖ワシリー聖堂が見える。(写真)

1812年、フランス軍を率いてモスクワに攻め込んだナポレオンが、真っ先に目にしたヨーロッパでもアジアでもない光景とは、おそらくこの広場の、この角度からの眺めだったのではないか、という気になってくる。

ロシアの一人旅は、いろいろと想定外のことが多くて、戸惑ったり緊張したりの連続だが、それもまた旅の味のうち。

明日からは、モスクワをこの目で見て回るぞ。

BANYUU

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2007/07/22

ロシアより愛をこめて送る13

ロシアより愛をこめて送る13
今日は、ペテルブルクに来てから最大のピンチに見舞われた。以下は、その顛末記である。

海外での一人旅にとって、奪われてはならない最も大事なものは何だろうか。もちろん命や体以外での話だが。

よくパスポートは命の次に大切だと言われる。現金やクレジットカードも奪われては大変だ。

僕は、その日使う以外の現金や航空チケットなどはホテルのセーフティボックスに預け、街を歩く時には胸ポケットにもズボンのポケットにも何も入れない。

パスポートと高額の紙幣はズボンのベルトにひもで結びつけた上で、服の内側にしまいこんで肌身に付けている。

財布や折りたたみ傘、ガイドブックなど、諸々のものを入れたショルダーバッグはタスキ掛けにして、その上から上着を着る。バッグがお腹の前になるようにして、手で押さえながら歩く。首からはストラップで吊したケータイを下げている。

朝10時前、そのいで立ちで、血の上の教会に向かった。教会の300メートルほどの手前で、ガイドブックを売る男たちが3人ほど近づいてくる。

ほかの観光客の姿はまばらで、危ないな、と感じた僕はバッグをしっかりと押さえながら早足で通り過ぎようとする。

一人の男が数冊のガイドブックをかざして接近してくるので、僕はニェット・スパシーバと断って、くぐり抜けるようにして、その場を脱出する。

100メートルほど歩いて、やれやれと安堵しながら、教会の写真を撮ろうとした僕は、愕然とした。

首から吊していたケータイがない!

ストラップは首から下がっているのだが、その先のケータイが外されてなくなっているのだ。

ストラップは盲点だった。丈夫な一本紐のように見えているが、途中で差し込んでロックする構造になっていて、差し込み部分の両側を指で挟むと簡単に外れる仕組みなのだ。

さあ、どうしたらいいか。ケータイには、ロシアに来てから撮った全ての写真や、それ以前に撮ったさまざまな大切な写真がメモリーに入っている。

それどころか、メールアドレスや電話番号、これまでに受信したメールの数々、など、すべての個人情報が入っている。

しかもケータイなしでは、この先、写真を撮ることもモブログをすることも、全てが出来なくなってしまうのだ。

先程のガイドブック売りを装った男は、僕の体には一切、接触していなかった。僅かの一瞬、僕が気付かないうちにストラップの差し込みを外すとは、信じられないテクニックである。

奪われた僕のケータイが闇ルートで売られ、さんざん世界各地に電話やメールをしまくったあげくに、僕には数百万円のケータイ使用料が請求されてくる。そんな悪夢のような事態が頭をよぎる。

まずは、先ほど被害に遭った場所まで戻ってみるが、もちろんあの男たちは影さえも見えない。

偶然なのかどうか、近くにパトカーが止まっていたので、僕は拙いロシア語を総動員して、数分ほど前にこのあたりでケータイを盗まれた、と訴える。

パトカーの中にいた4人の警官が出てきて、僕から事情を聞きながら付近を見て回る。

と、そのとき、背広姿の背の高い男が、どこからともなく現れた。ガイドブック売りとは別の男である。

なんと、左手には僕から奪ったケータイを持ち、右手にはケータイから抜き取った小さなSIMカードを持っている。彼は英語で言う。

「オレは、あの警官たちの仲間だよ。君が探しているのは、これかい。下に落ちていたのを拾ったのさ(ウソつけ!)。100ドルで返してあげるよ」

この野郎め、と思ったが、ともかくケータイを取り戻すのが先決だ。

僕は、ドルの持ち合わせがないがルーブルならある、と言い、男は「じゃあ3000ルーブルだ」と言う。

僕は「2000ルーブルでいいだろう」と値切り、向こうは「それでいいよ」と交渉成立。いやあ、こんなところで値段交渉をするはめになるとは思わなかった。

2000ルーブルは日本円で1万円ほどだ。高い授業料を払って貴重な教訓を得たと思えば安いものだ、と納得しながら男にカネを渡し、ケータイを返してもらう。

ちゃんと作動するかどうか確認する必要があるので、男に「ちょっと待ってくれ」と言って、SIMカードをケータイにセットし、パケット通信が出来る状態になっているか、などを確かめる。

メモリーも抜き取られてなく、どうやら大丈夫のようだ。

男はまた、ふっと風のように姿を消した。

不思議なのは、この間、警官たちは調べに来るでもなく、いつの間にかパトカーごと姿が見えなくなっていたことだ。

警官たちは全く頼りにならない。それどころか、もしかして警官もグルだったのか、と勘ぐりたくもなる。。いくらなんでも、まさか、とは思うのだが。

長くなったが、海外旅行で奪われて困るもののナンバーワンは、ケータイであることが今回の出来事で身を持って分かった。

パスポートならば盗まれても大使館や領事館で再発行してもらえるが、ケータイは再発行というわけにいかないのだ。

この事件に懲りた僕は、ストラップに吊したケータイをしっかりと握りしめて歩くようにした。

写真は、ケータイを取り戻した後、ほっとした気分で乗った運河巡りの遊覧船から見たペテルブルクの街。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る12

ロシアより愛をこめて送る12
ペテルブルクの美術館で、エルミタージュと双璧をなすのが、芸術広場に面したロシア美術館だ。

エルミタージュほど広くはないが、12世紀のイコン画から20世紀ソ連時代の前衛絵画まで、40万点ものロシア美術を収蔵している。

半日くらいで回れるだろうと思っていたのだが、レーピンの「ヴォルガの船曳き」や(写真)、アイヴァゾフスキーの「波」など見応えのある名作や大作が目白押しで、結局、館内のカフェで昼食をはさんで、主要な作品を見るだけで3時過ぎまでかかった。

エルミタージュが西欧美術の粋をかき集めているのに対し、こちらの美術館はロシアの自然や風土、名もない人々の姿や労働がテーマとなっている作品が多く、底流にあるのはロシアの大地と民衆のように感じた。

BANYUU

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2007/07/21

ロシアより愛をこめて送る11

ロシアより愛をこめて送る1 1
今日のペテルブルクは、朝から冷たい雨が降ったり止んだりで、日本では木枯らしが吹くころの寒さだ。

街行く人々も半袖姿は少なく、ほとんどの人が長袖の上着に身を包んでいる。

エルミタージュからやや離れたところに、マルスの原という殺風景な広場がある。観光客の姿はなく、訪れるロシア人もまばらだ。

この広場の中央に、1957年に点火されて以来、一度も途切れることなく燃え続けている「永遠の火」がある。(写真)

ここには革命や内戦の犠牲となった人々が葬られている。

ロシアの険しくて重い歴史を物語るような激しい炎は、風に煽られて右に左にと勢いよくうねっていて、近くにいるだけで熱さが飛んで来て、たじろぐような思いだ。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る10

ロシアより愛をこめて送る10
ペテルブルクで終日賑わっているネフスキー大通りは、ほぼ東西に走っているため、通りの北側はいつも日が当たり、南側はいつも日蔭になっている。

その日当たり側の一角、通りに面した柱に、青地に白い文字の古い看板が残っている。(写真)

「みなさん! 通りのこちら側は空爆のとき危険です」という注意書きで、第二次世界大戦当時のままである。

こういうものを取り壊さないで残しておくところが、いかにもロシアらしいが、これには単なるメモリアルでは済まない重いものがあるように思う。

ペテルブルクはナチス・ドイツ軍に包囲されたまま、900日もの長期に渡って耐え抜き、飢餓と寒さで膨大な数の市民が犠牲になったという話を聞くと、この看板を残してある理由が分かるような気がする。

いまも看板の下には、市民がそっと置いていくのだろうか、花輪などが飾られていて、過去のこととして忘れてはいないことが伝わってくる。

平和の有り難さは、戦争の犠牲の上に成り立っているのだということを、この看板は国境を越えて訴えているような気がする。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る09

ロシアより愛をこめて送る09
ペテルブルクに来て、僕がどうしても見ておきたかったものがある。

ロシア革命の生き証人、巡洋艦オーロラである。

今を遡ること90年になる1917年、ロシア暦で10月25日すなわち現行暦11月7日のことであった。

ネヴァ川に停泊していた一隻の巡洋艦が現在のエルミタージュ美術館である冬宮に向けて一発の大砲を放った。

これを合図にして、レーニンが率いる革命勢力は宮殿広場から冬宮に突入し、ここに社会主義政権の樹立を宣言した。

世界史を変えたロシア10月革命の合図をぶち放った巡洋艦オーロラは、いまもネヴァ川から大ネフカ川に分かれる辺りに停泊していて、練習船として使用されている。(写真)

さすがにこのあたりは観光コースからも遠いため、団体客の姿も見えないが、三々五々、見物に訪れる人達が絶えない。

オーロラの歴史的な発砲から90年。社会主義の実験はあえなく崩壊して、いまロシアは欧米型の競争重視・利潤最優先の資本主義とは異なる市場経済を手探りで模索しているかのようだ。

物言わぬオーロラは、激動のロシア現代史をどんな思いで見つめてきたのだろうか。

オーロラが見事な勇姿を保ってネヴァ川の近くに停泊している限りは、ロシアがアメリカ型市場原理社会になることは、決してないのではないか。ふと、そんな気がする。

BANYUU

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2007/07/20

ロシアより愛をこめて送る08

ロシアより愛をこめて送る08
エルミタージュはとにかく広くて、限りがない。いったん休憩がてら、館内のカフェで昼食にする。

昼過ぎからは、19世紀と20世紀のヨーロッパ美術の階に上がる。

なんというコレクションの豊富さだ。教科書などでおなじみの、あの画もこの画も、みーんなここにあるではないか!

ゴッホ、セザンヌ、ピカソ、ルノワール、モネ、ゴーギャン。とりわけマティスは、「ダンス」を始めとして(写真)素晴らしい作品が数多く集まっているのに驚嘆する。

こんなに多くの有名絵画の数々が、エルミタージュに集中しているとは、さすがロシアの底力を見た思いがする。

財力に糸目をつけずに、民衆の貧困をも顧みずに、コレクションを増やし続けたロマノフ王朝も凄いが、ロシア革命後も美術品を守り抜き、とりわけナチス・ドイツ軍の熾烈な攻撃と包囲の中、コレクションを死守してきたロシア国民は偉い、とつくづく思う。

今日は開館から閉館間際まで、エルミタージュにドップリと浸かって過ごすことが出来て、大満足の一日だった。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る07

ロシアより愛をこめて送る07
エルミタージュではまず、イタリア・ルネッサンスの至宝の数々を見て回る。

ダ・ヴィンチの「リッタの聖母」、ラファエロの「聖家族」、レンブラントの「ダナエ」など、ほとんど伝説となっている超有名な作品の前では、時の経つのを忘れてしまう。

ルーベンスやエル・グレコもすごい。それぞれの質と量がハンパではない。もう圧倒されるばかりだ。

僕が最も気に入ったのは、ティツィアーノの「改悛するマグダラのマリア」と「ダナエ」がコーナーをはさんで並んでいる一角だ。(写真)

このマグダラのマリアは、目を赤く泣きはらしていて、涙が伝い落ちているように見える。画の右下に描かれたドクロが涙の深さを暗示する。

聖書の話など何も知らない者でも、この画の前では強烈な感銘を受けて立ちすくんでしまう。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る06

ロシアより愛をこめて送る06
今日はいよいよ、念願だったエルミタージュ美術館を訪れる。ペテルブルクは朝から曇り空で風が冷たい。

開館は10時半だが、余裕を持って9時50分ころに行ってみたら、もう100人ほどの列が出来ている。

開門のころには列は400人ほどにもなっていて、早目に来てよかったと思う。

入館料350ルーブルと写真撮影料100ルーブルとガイドブックに書いてあるので、500ルーブル札を出したら、なんと200ルーブルのお釣りが返ってきた。

撮影許可のシールなどもなしで、要するにフラッシュをたく以外は、原則として撮影が出来るようになったらしい。

そうだとしてもお釣りが多いと思うのだが、入館料も安くなったのかも知れない。

正面入り口にあたる「大使の階段」は、とびきり豪華絢爛としていて、ここを昇るだけでワクワクしてくる。(写真)

女帝エカテリーナ2世が熱病のごとくに絵画の収集に取り掛かったのを皮切りに、これまでにに集められた美術品の数はなんと300万点というから、とてつもないコレクションである。

今日は一日がかりで、必見ものを中心に鑑賞して回る。

BANYUU

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2007/07/19

ロシアより愛をこめて送る05

ロシアより愛をこめて送る05
ペテルブルク郊外遠征の午後は、ペテルゴーフのピョートル大帝夏の宮殿へ。

ピョートル大帝の見果てぬ夢と野望によって生まれた夏の宮殿で、パリのベルサイユ宮殿をモデルにしているといわれる。

ここのハイライトは、宮殿の内部よりも、宮殿前のテラス式階段を利用して造られている大小さまざまな噴水群だ。

ピョートル大帝自らが設計に関わり、陣頭指揮にあたって完成させた噴水群は、動力ポンプによる水の汲み上げを一切行うことなしに、20キロも離れた水源から宮殿の上の庭園まで水を引き、高低差による水自身の重さだけで、高さ20メートルにもなる噴水を作り出している。

電力もない18世紀の初頭に、これだけのものを造り上げた智恵と技術には、ただただ驚嘆してしまう。

アナログで、自然のエネルギーだけを利用した究極の省エネ。エネルギーをジャブジャブ使って止まない現代人には、学ぶところが多い噴水ではないだろうか。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る04

ロシアより愛をこめて送る04
今日はペテルブルク郊外に遠征する。雲一つない快晴で、絶好の遠出日和だ。

午前中はツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿を訪れる。

青を基調にしたロシアン・バロックの外観も素晴らしいが、ここの目玉はペテルブルク建都300年の2003年に復元が完成した琥珀の間だ。

第二次世界大戦時に、この部屋の壁一面を覆っていた琥珀は、ナチス・ドイツ軍に持ち去られたまま、現在に至るまで行方が分かっていない。

ロシアは国の威信をかけて、戦前の写真をもとに、ロシア産の最高の琥珀を惜しみなく使って、琥珀の間を復元する困難な作業に取り掛かり、ようやく60年ぶりに実現をみたものだ。

この目で見ることが出来た琥珀の間は、まさに別世界のものかと思うような美しさで、息がとまるくらいに幻想的だ。

大変な苦心の末に復元しただけに、この部屋だけは撮影禁止なので、ここで買い求めたパンフレットの写真を掲載しておきたい。

BANYUU

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2007/07/17

ロシアより愛をこめて送る03

ロシアより愛をこめて送る03
ネヴァ川沿いにある巨大な一枚岩の上に立つピョートル大帝の騎馬姿の像。

プーシキンが詩にうたって「青銅の騎士像」の名で親しまれているペテルブルクのシンボル的モニュメントだ。

この像の前に、純白のウェディングドレス姿の花嫁さんとタキシードやモーニング姿の花婿さんが、1組また1組とやってくる。

挙式を挙げたカップルたちにとって、この像を訪れることが幸福な前途のためのセレモニーの一部になっている。

僕が訪れた15分ほどの間にも6組ほどの新婚カップルさんたちが、像の前でしあわせを誓いあっていた。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る02

ロシアより愛をこめて送る02
ペテルブルクは運河の街だ。フォンタンカ川、モイカ川など文学作品にたびたび登場してくる運河も多い。

写真は、グリボエードフ運河沿いの血の上の教会。

1881年にアレクサンドル2世が暗殺された場所に建っているため、物騒な名前が付けられているが、朝の日を浴びて輝く姿は華麗だ。

BANYUU

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ロシアより愛をこめて送る01

ロシアより愛をこめて送る01
ドーブラエ・ウートラ。
日本の皆さん、おはようございます。

僕は昨夜遅く、成田からアエロフロート機を乗り継いで、はるばるとロシアはサンクト・ペテルブルクにたどり着きました。

ロシアでの一人旅の乗り継ぎは、案内表示が分かりにくいこともあって、戸惑うことばかり。

昨夜はホテルに入って寝たのが夜中の1時で、街を散策する時間はありませんでした。

今日は朝から早速、街に出て探索開始です。写真は、ペテルブルク随一の繁華街、ネフスキー大通りの今の様子。

正面の建物は旧シンガーミシン社のビルです。

日本では大きな地震があったようで、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

このモブログは、ボーダフォン(現ソフトバンク)の903SHを使って、写真撮影から送信までを、わずか140グラムのケータイ1本でこなしています。

この先も、折をみてモブログをやっていきたいと思っています。

BANYUU

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2007/07/16

今年も海外一人旅、いざ出発

今年も海外一人旅、いざ出発
いま、成田空港第2ターミナルにいる。まもなく出発だ。

西安、パリ、ウィーンに続く、4度目の海外一人旅。さて今回の行く先は…

これまでは3度とも、現地からケータイによるモブログが出来たので、今回も可能ならばやってみたい。

とはいえ、今回のモブログは、写真に短い感想を書き添えた簡素なものになるかも知れない。

しばらく日本を離れますが、みなさん、どうぞお元気で。

BANYUU

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2007/07/12

70年代を拓いた「ヘアー」日本公演の思い出

Hair今日の日経夕刊文化欄に、宮本亜門氏がミユージカル「ヘアー」について書いている。

「ヘアー」については、いまさら説明の要もないが、1967年10月、NYのダウンタウンにあるパブリック・シアターで期限付きで公演されて以来、18カ国で次々に上演されて時代の先駆けとなったロック・ミュージックで、反戦、反体制、反権威、反宗教、反モラルなど、さまざまな形容詞とともに語られてきた。

これが日本で話題になったのは、出演者全員が第1幕の最後に全裸になるといったスキャンダラスな興味もさることながら、何といってもベトナム戦争の最中に、堂々とベトナム反戦を掲げ、徴兵カードを舞台の上で焼き捨てる、などの強烈なカウンター・カルチャーの爆発が、驚きとともに迎えられた、ということが大きい。

宮本亜門氏の記事では日本公演について何も触れていないが、「ヘアー」は1969年12月5日から70年2月25日まで、渋谷の東横劇場で興行された。もちろん舞台での全裸などはご法度だった。

僕は当時、社会人になって3年目で、地方での修業時代真っ最中のチョンガー(独身のことを、そう呼んでいた)だった。

東京には一度も住んだことがなかった僕が、この時、何をどう思ったのか、「ヘアー」の日本公演を見るために、わざわざ上司の許可を得て上京し、はるばるたずね歩いて東横劇場まで行ったのである。

詳しいストーリーなどは全く覚えていないが、まず冒頭から度肝を抜かれたのが、耳をつんざく、というよりも、内臓をえぐるような大音響の嵐だった。体の芯まで、脳みその隅々まで、暴力的に揺さぶられるような感じがして、このまま気を失うのではないか、と本気で不安になったくらいだ。

そして、ラスト。いまではすっかりポピュラーになってしまった「LET THE SUNSHINE IN」の大合唱とともに、出演者全員がステージで乱舞し、そこへ興奮した観客たち数10人が次々と駆け上がって狂乱・怒涛の幕となる。

僕は2階席から見ていたのだが、この光景は今でも鮮やかに覚えている。

この「ヘアー」公演でカルチャー・ショックを受けた僕は、ブロードウェイ・オリジナル版のレコードまで買った(写真はそのジャケット)。

アメリカ嫌いで、ミュージカル嫌い、ロック嫌いの僕が、「ヘアー」公演から得たものは、あえて言うならば70年代の幕開けを告げる新しいうねりであり、世界を席捲する新しい波動のようなものだったのだと思う。

その年、1970年は、よど号ハイジャック事件と万博で世の中がざわめく中、11月には三島事件の衝撃が走った。「走れコウタロー」の歌が街に流れ、「モーレツからビューティフルへ」のCMが一世を風靡した。

僕が本社勤務となって東京生活を始めるのは、翌71年のことであった。

時代は咆哮し、時代は熱く燃えていた。学園紛争の炎は燃え盛り、国鉄ストで何日も電車が止まることなどは日常茶飯事だった。いたるところに、時代の高揚感があった。

あれから37年が経過した。

僕も年をとったものだ。日経の記事を読みながら、若き日に買った「ヘアー」のジャケットをながめて感慨にひたる。

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