70年代を拓いた「ヘアー」日本公演の思い出
今日の日経夕刊文化欄に、宮本亜門氏がミユージカル「ヘアー」について書いている。
「ヘアー」については、いまさら説明の要もないが、1967年10月、NYのダウンタウンにあるパブリック・シアターで期限付きで公演されて以来、18カ国で次々に上演されて時代の先駆けとなったロック・ミュージックで、反戦、反体制、反権威、反宗教、反モラルなど、さまざまな形容詞とともに語られてきた。
これが日本で話題になったのは、出演者全員が第1幕の最後に全裸になるといったスキャンダラスな興味もさることながら、何といってもベトナム戦争の最中に、堂々とベトナム反戦を掲げ、徴兵カードを舞台の上で焼き捨てる、などの強烈なカウンター・カルチャーの爆発が、驚きとともに迎えられた、ということが大きい。
宮本亜門氏の記事では日本公演について何も触れていないが、「ヘアー」は1969年12月5日から70年2月25日まで、渋谷の東横劇場で興行された。もちろん舞台での全裸などはご法度だった。
僕は当時、社会人になって3年目で、地方での修業時代真っ最中のチョンガー(独身のことを、そう呼んでいた)だった。
東京には一度も住んだことがなかった僕が、この時、何をどう思ったのか、「ヘアー」の日本公演を見るために、わざわざ上司の許可を得て上京し、はるばるたずね歩いて東横劇場まで行ったのである。
詳しいストーリーなどは全く覚えていないが、まず冒頭から度肝を抜かれたのが、耳をつんざく、というよりも、内臓をえぐるような大音響の嵐だった。体の芯まで、脳みその隅々まで、暴力的に揺さぶられるような感じがして、このまま気を失うのではないか、と本気で不安になったくらいだ。
そして、ラスト。いまではすっかりポピュラーになってしまった「LET THE SUNSHINE IN」の大合唱とともに、出演者全員がステージで乱舞し、そこへ興奮した観客たち数10人が次々と駆け上がって狂乱・怒涛の幕となる。
僕は2階席から見ていたのだが、この光景は今でも鮮やかに覚えている。
この「ヘアー」公演でカルチャー・ショックを受けた僕は、ブロードウェイ・オリジナル版のレコードまで買った(写真はそのジャケット)。
アメリカ嫌いで、ミュージカル嫌い、ロック嫌いの僕が、「ヘアー」公演から得たものは、あえて言うならば70年代の幕開けを告げる新しいうねりであり、世界を席捲する新しい波動のようなものだったのだと思う。
その年、1970年は、よど号ハイジャック事件と万博で世の中がざわめく中、11月には三島事件の衝撃が走った。「走れコウタロー」の歌が街に流れ、「モーレツからビューティフルへ」のCMが一世を風靡した。
僕が本社勤務となって東京生活を始めるのは、翌71年のことであった。
時代は咆哮し、時代は熱く燃えていた。学園紛争の炎は燃え盛り、国鉄ストで何日も電車が止まることなどは日常茶飯事だった。いたるところに、時代の高揚感があった。
あれから37年が経過した。
僕も年をとったものだ。日経の記事を読みながら、若き日に買った「ヘアー」のジャケットをながめて感慨にひたる。
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