ドストエフスキーの「賭博者」を読む
書店の棚でたまたま目にとまったドストエフスキーの「賭博者」を買ってきて、一気に読んだ。
僕がこれを読もうと思った理由は単純で、新潮文庫から文字の大きな版になって出たからである。
これはドストの作品の中でも、喜劇的要素の極めて濃い異色の作品であろう。
(以下、ネタバレあり。これから読もうと思っている方はご注意を)
ドイツの、とある温泉地のホテルに、ロシア人の一家やその家庭教師、一家と利害関係があるさまざまな人たちが逗留している。
詮方なく、ときたまカジノのルーレットで遊んだりしているが、この連中はみな、一家の親戚でモスクワにいる大富豪のお祖母さんがいつ臨終を迎えるかを、息をひそめて注目している。
お祖母さんの容態はかなり悪いらしく、みなあからさまに口には出さないが、お祖母さんの遺産が転がり込むことを、それぞれがあてにして待ちわびている。
そんなある日、まったく突然にみなの意表を突いて、当のお祖母さんが、かくしゃくとした姿で車椅子に乗って、毅然として連中の前に現れる。
ドストは、登場人物を極限の状態に追い詰めて、その言動や心理状態を描写するのがうまいが、お祖母さんの信じられない登場に驚き、あわてふためく連中の姿が、目に浮かぶように面白く描かれている。
お祖母さんは、みんなが自分の遺産をあてにして、いまかいまかと死の知らせを待っていたことも知っている。
物語のクライマックスはこの後だ。
ホテルの近くにカジノがあることを知ったお祖母さんは、どんなものか見てみたいと言い張って、車椅子に乗って賭博場に連れて行ってもらう。
ちょっとやってみようかと、ルーレットに手を出したお祖母さんは、立て続けに勝ってしまう。
これでお祖母さんは、すっかりルーレットにはまってしまい、一家や見物人たちの忠告にも全く耳を貸さずに、賭博に夢中になってしまう。
挙句の果ては、みんなが遺産として期待をかけていた財産の大半を使い果たしてしまって‥‥
という筋立てで、この物語の主役は、「わたし」として一人称で語られている家庭教師よりも、むしろお祖母さんなのだと僕は思う。
僕も若いころには、ポーカーにはまってしまって、今だから言うのだが、貯金通帳一冊をゼロにしてしまった経験があるので、賭博に引きずり込まれる心理はひとごととは思えない。
映画化すれば面白いのに、と読みながら感じていたのだが、後で調べてみたらすでに1958年に、クロード・オータン・ララ監督、ジェラール・フィリップ主演で映画化されていた。(邦題は「勝負師」)
日本を舞台にしてお祖母さんとそれを取り巻く人間模様に絞り、三谷幸喜あたりが映画化してくれたら面白い作品になると思うのだが、実現しないかな。
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