「ウルビーノのヴィーナス」の挑発する視線
上野の国立西洋美術館で、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」を見てきた。
ふだんはフィレンツェのウフィツィ美術館に展示されていて、本邦初公開というふれこみだ。
ティツィアーノの描く女性は、「フローラ」にしても「悔悛するマグダラのマリア」にしても、清純な女性が多い。
この「ウルビーノのヴィーナス」も、楚々とした清らかなな表情に強い印象を受け、シミ一つないすべすべした裸身の美しさにほれぼれする。
そして、いやがおうでも、引き付けられるのは、股間におかれた左手だ。
この左手は、はじらいなのか、それとも、たしなみなのか、と見る者はたじろいでしまう。
隠さないよりも、はるかに刺激的で挑発的で、意味深だ。
解説によると、右に寝ている犬は忠誠を意味し、この絵を見る側にいる者が、彼女の愛人か夫であることを示唆しているという。
また、右手でつかむバラは「愛の悦び」を意味しているという。
描かれている女性が、見る者を性的に挑発し続け、そのことによって彼女自身も性的な感情を高ぶらせていることは、まぎれもないだろう。
この絵を、芸術的視点だけで眺めることが出来る男が、はたしているのだろうか。
これはルネサッスが切り開いた堂々たるエロスであり、見る者は想像や妄想をたくましくして、どんなエロティックな気分で見ても構わない、官能の極みなのだと思う。
描かれた女性の視線が、絵を見る者の視線と合っているために、見る側の心の内はごまかしがきかない。
この光景は、情事の前なのか後なのか。この清純そうに見える女性が、愛の交歓の時にはどんな表情と肢体を見せるのか。
ウルビーノのヴィーナスと目を合わせていると、妄想は果てしなく広がっていき、時の経つのを忘れてしまう。
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