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2008/04/18

禁煙に効く地蔵、道路拡幅で121年の座を追われる

080418image144_3お参りすれば煙草が嫌いになり、禁煙することが出来る、と信仰を集めている北新宿の金塚地蔵が、都市計画による道路拡幅の波を受けて、100年以上も住み慣れた場所を明け渡すことになった。

地蔵堂は、大久保通りと小滝橋通りとの交差点の角に、金物屋の壁に組み込まれる形でひっそりと建っている。

堂の中には、庚申塔や地蔵など5つの石造物が並んでいて、そのうちの右から2番目の地蔵が金塚地蔵で、このお地蔵様が煙草を嫌いにしてくれるとされている。

写真では、一番右は隠れてほとんど見えていないが、その隣の布が上の庇まであって頭が隠れているノッポのお地蔵さまがそれで、宝暦2年(1752年)につくられたという。

このお地蔵さまが、都市計画による拡幅で一帯の建物が軒並み取り壊しとなり、立ち退かされることになった、という話は、05年5月23日のこのブログで、僕がキャッチしたばかりの「完全独占スクープ」として記事にしたが、それから3年が経過して、立ち退きが現実の日程に上がってきた。

地蔵堂を壁に組み込んでいた金物屋さんが、今月いっぱいで閉店することになり、それに伴って近々、建物の取り壊しが行なわれることになったのだ。

金塚地蔵はもとは、現在地より南にあった百八塚の一つ、中野長者が建てた金塚の脇に建っていたが、塚が崩されたため、明治20年(1887年)に今の場所に移されたという。

これも、僕のブログの完全独占スクープなのだが、お地蔵様たちは121年間住み慣れたこの地を離れて、400メートルほど北北西にある円照寺というお寺の境内に引っ越すことになった。

その円照寺は、奈良長谷寺を総本山とする真言宗豊山派の寺院で、創建は醍醐天皇の御世の10世紀初頭とされている。

金塚地蔵の左の石柱は、もともと円照寺への参拝者の案内として建てられたた道標石で、宝永元年(1704年)に作られたものという。

ちなみに、写真家の篠山紀信は、この円照寺の住職の次男で、淀橋第四小学校の出身である。

また、このすぐ近くには円照寺の鬼門鎮護の神祀として創建された鎧神社があり、地域一帯の鎮守の社となっている。円照寺は鎧神社の別当寺という関係にある。

金塚地蔵が移転する時には、円照寺や鎧神社など地元の神社仏閣を挙げての、盛大な遷座式が行なわれるのだうか。

それとも、静かに遷座の法要を営んで、ひっそりと移っていくのだろうか。

【注】この記事には続報があります。
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