フィレンツェからのモブログ10
ミサが行われた教会があるサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場は、観光客の喧騒もなく、アーチ型の柱廊に三方を囲まれて、ひっそりと静まり返っている。
教会に向かって右側には、ドゥオーモのクーポラを作り上げたブルネレスキの設計による「捨て子養育院」の建物が、現地は美術館として公開されている。
フィレンツェで興った史上最大の文化・芸術運動であるルネッサンスは、メディチ家という絶大な財力を蓄えたパトロンがあってこそ、燦然と開花することが可能であった。
そのメディチ家の冨の源泉は、ヨーロッパ中に支店を張り巡らせていた金融業で、稼ぎまくったものだ。
キリスト教の教えが戒めている高利貸で巨額の冨を稼ぐことを、メディチ家はずいぶんと気にしていたらしく、多才な芸術家を発掘したり庇護者となったりする一方では、さまざまな慈善事業を積極的に手掛けた。
この「捨て子養育院」も
ある意味では、メディチ家の罪滅ぼしの典型的な慈善慈善で、ヨーロッパ最初の孤児院として知られている。
建物の正面左手には、親が名前や身分を明かすことなく、そっと赤ちゃんを置いていくことが出来る「捨て子のための扉」が、今も残っている(写真)。500年以上も前の、元祖「赤ちゃんポスト」である。
さまざまな事情で赤ちゃんを育てることが出来ない多くの親達が、ここに子供を置いていった。その事情の多くは、貧困がからんでいたことだろう。
メディチ家の巨万の冨や栄華とはあまりにも対称的な、これもまたルネッサンス期の一面に違いないない。
BANYUU
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