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2008/07/26

区が立会って金塚地蔵を撤去、永住の地はどこに

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東京都の道路拡幅で121年間住み慣れた地を追われる北新宿3丁目の金塚地蔵が、この地での最後の供養から2日後の26日午後、新宿区文化観光国際課の担当者の立会いのもと、石屋さんたちによって撤去作業が行なわれた。

金塚地蔵は、造られてから256年もの歳月を経ているだけに、着物を取った姿には過去に修復をほどこした痕跡が見られ、さらに石の崩壊を防ぐために針金を全身に巻かれていて、撤去作業は慎重に進められた。

通りかかった地元の人たちの中には、「以前、このお地蔵さまにお参りしたら、なぜか煙草が嫌いになって不思議に思っていた。禁煙のご利益があるお地蔵さまだということは、後から知って驚いた」と話す人もいた。

金塚地蔵の隣の道標石も亀裂が入っていて、崩れないように同様の針金を巻かれていた。

地蔵堂内部に架かっていた木製の看板の裏には、戦火で焼けたらしく焦げたまま半分ほど残っていた古い看板が重ねてあるのが見つかった。

古い看板には地元民の名前が書きつらねてあり、その内容からみて、かつて地蔵堂を再建した人たちの氏名らしい。日付のところから後の部分は消失しているが、かろうじて「昭和」という文字が読める。

地蔵堂内の3体のお地蔵さまと、道標石、庚申塔、それにこれらの看板などは、いずれも撤去後は400メートルほど離れた鎧神社に移された。ここでとりあえず保管されて、その後の永住の地を探すことになる。

0807262b区の担当者は、「どういうふうに保存していくかは、地元の方々の意向しだい。区が出来ることは、そのお手伝いをすること。(地元で移転先が決まらなければ)最悪の場合は、新宿歴史博物館で保存ということもありうる」と話している。

道路拡幅工事は、これから相当の年月をかけて行なわれるため、拡幅後のこの近辺にお地蔵さまたちが復帰できる場所を確保できるかどうかは、今のところまったく未知数だ。

一地元民としての僕の思い入れからすると、道端でこの地を見守り続け、この地で多くの無数の庶民の信仰を集め続けてきたお地蔵さまや石造物は、道路拡幅後にはやはり道端に戻して差し上げるのが最善の道だと思う。

最初から地元での保存は難しいと決めてかからずに、ここは時間をかけてでも、最善の道を探るのが、今という時代に生きる僕たちの、歴史と未来に対する責任のような気がする。

なにしろ、金塚地蔵が造られたのは宝暦2年(1752年)、明治維新より100年以上も昔の江戸時代の只中に遡るのだ。

永住の地が定まるまでに、今後3年や5年、あるいは10年を費やそうとも、それはお地蔵さまにとってはほんの一瞬のことである。

悠久の時間の流れの中で、お地蔵さまの安住の地は、いずれ落ち着くところに落ち着いていきそうな気がする。

【注】この記事には続報があります。
   09年7月29日付け
   10年7月23日付け

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2008/07/24

金塚地蔵、追われる地で最後の供養

080724b地蔵盆の24日夕方、北新宿3丁目の金塚地蔵前で、関係者や地元民が炎天下の歩道で見守る中、現在地での最後の供養が営まれた。

昨日のブログで書いたように、道路拡幅によって行き場を失い、24日の供養後は「除却」処分を「宣告」されていた金塚地蔵は、新宿区の中山弘子区長によって、区として保存に向けて動き出すことになり、間一髪のところで命拾いが決まった。

金塚地蔵が明治20年(1887年)に現在地に移って来てから121年。この地での最後となる供養は、地元の寺の住職によって進められ、読経に続いて、地元の人たちが次々と焼香をして、お地蔵さまのこれまでの労をねぎらった(写真)。

今後、地蔵堂が組み込まれている金物屋の建物が取り壊されるまでの間に、新宿区は堂内の3体のお地蔵さまと道標石、庚申塔について、改めて調査を行い、「確実に保存していきたい」としている。

あらたな永住の地をどこにどのように確保するか、長年の風化による石の老朽化をどう補強していくのか、など、難題は多いが、新宿区では関係者とも協議の上、新宿歴史博物館で一時的に保管することも検討していくとしている。

【注】この記事には続報があります。
   08年7月26日付け
   09年7月29日付け
   10年7月23日付け

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2008/07/23

金塚地蔵を助けて、と区長に直訴したら前向きの回答が!

080723b_215日のこのブログで、北新宿3丁目にある256年の歴史を持つ金塚地蔵が、道路拡幅によって今月24日の供養を最後に「除却」処分されることになった、という話を書いた。

このブログを書いた後、僕はその日のうちに新宿区役所のホームページの「区政への要望」のフォームを通じて、中山弘子・新宿区長あてに、庶民の信仰を長い間集めてきた金塚地蔵が、取り壊しの危機に直面しており、区の粋な英断によってなんとかしてお地蔵様を助けていただきたい、と直訴のメールを出した。

メールが中山区長の手元まで届くのかどうかも分からないし、かりに届いたとしても区としてはどうすることも出来ずに、時間切れでお地蔵様は最期を迎えることになるだろう、と僕は半ばあきらめていた。

ところが、である。
今日、中山区長の名前で僕の住所あてに、回答の手紙が郵送されてきた。

それによると、区は僕のメールを受けた翌日、ただちに地域文化部の担当者が、拡幅主体の都や、地蔵堂の所有者であった神社の宮司などから事情を聞いて回り、金塚地蔵の保存に向けて前向きの対応を取ることになった、というのだ。

以下は、その手紙の抜粋である。

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平成20年7月23日
○○○○様    新宿区長 中山弘子
道路拡幅に伴う金塚地蔵の取扱いについて

メールを拝読いたしました。
新宿区の文化資源について、貴重な情報をお寄せいただきありがとうございます。
(中略)
メールの中でもご指摘をいただきましたように、金塚地蔵は、古くからこの場所にあり、地域の皆様の信仰の対象であった、いわば「土地の記憶」・「まちの記憶」を伝えるお地蔵様であると区としても捉えています。

24日以降も建物の除却工事が始まるまで、少しの間現状のままとのことです。
区としては、本地蔵堂内の石造品について、24日の供養後、あらためて調査をさせていただき、長い間、地域の人々に親しまれてきたこの金塚地蔵を記録として確実に保存していきたいと考えています。

また、大変古い石造品であり、戦火にもあい、非常にもろい状態であると伺っておりますが、関係者とも協議の上、新宿歴史博物館で一時的に保管することも検討してまいります。
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ここからは僕の感想になるが、今回の区の素早い対応に、心からの拍手を送るとともに、明日に迫った供養の直後にお地蔵様が壊されるという最悪の事態が、ひとまず避けられそうになったことに、深く感謝したいと思う。

硬直したお役所仕事をきっぱりと廃し、メールを受けた翌日に直ちに担当者が実情を調べて回るなど、迅速で行動的な仕事ぶりには、区民目線に立ったきめ細かな区政をモットーにしている中山弘子区長の姿勢が強く反映しているのだろう。

お地蔵さまは、とりあえず間一髪のタイミングで救われることになったが、今後はどこを恒久的な居場所とするのか、地蔵堂の併設を受け入れてくれる建物や場所をどうやって確保・調整していくのか、そのための予算はどうするか、など多くの難問をクリアしなければならない。

中山区長からの回答に書かれている、金塚地蔵は「土地の記憶」・「まちの記憶」を伝えるお地蔵様だ、という位置づけは、お地蔵さまの今後を考える上で、最も重要なポイントだろう。

「土地の記憶」・「まちの記憶」を伝えるさまざな建造物や石造物が、再開発の荒波の中で急速に姿を消しつつある現代において、それを伝えつづける金塚地蔵を保存していくことは、まちのありかた、みちのありかたを考える上で、この上なく重要な意味を持つのではないだろうか。

【注】この記事には続報があります。
   08年7月24日付け
   08年7月26日付け
   09年7月29日付け
   10年7月23日付け

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2008/07/15

256年目の金塚地蔵、移転ならず撤去処分へ

080715a2宝暦2年(1752年)につくられたと伝えられる北新宿の金塚地蔵が、道路拡幅によってその座を追われることになり、いったんは近くの寺の境内に移転することでまとまりかけていたが、一転して移転話はご破算となり、今月24日の地蔵盆を最後に撤去されて処分されることになった。

新宿区の史跡・名所としてガイドブックなどにも掲載され、地元の人たちはもとより、禁煙に効くお地蔵さんとして多くの信仰を集めてきた金塚地蔵が、行き場が見つからないまま廃棄処分という最悪の最後を迎えることになったことで、もっと早い段階で保存策を取れなかったのかと、惜しむ声が上がっている。

080715b2地蔵堂は、大久保通りと小滝橋通りとの交差点の角に、金物屋の壁に組み込まれる形でひっそりと建っている。

堂の中には、庚申塔や地蔵など5つの石造物が並んでいて、そのうちの最も背の高い地蔵が金塚地蔵で、このお地蔵様が煙草を嫌いにしてくれるとされている。

金塚地蔵はもとは、現在地より南にあった百八塚の一つ、中野長者が建てた金塚の脇に建っていたが、塚が崩されたため、明治20年(1887年)に今の場所に移されたという。

東京都の道路拡幅計画によって、地蔵堂を組み込んでいた金物屋がさきごろ、80年余の歴史に幕を下ろして閉店し、金塚地蔵の扱いが注目されていた。

080715c2このお地蔵さまが、道路拡幅によって立ち退きのピンチに立たされているという話は、05年5月23日のこのブログで、僕がキャッチしたばかりの完全独占スクープとして記事にした。

その後、今年4月18日のこのブログで、お地蔵さまの移転先が、現在の場所から400メートルほど北北西にあるお寺の境内に引っ越すことになった、という記事をやはり独占スクープとして書いたのだが、移転話は難航したらしい。

このほど堂のわきに、「地蔵堂崇敬の皆様へ」という告知が張り出され、存続の道もさぐったが7月24日の地蔵盆の供養を最後に、「除却」することになった、と知らせている。

道端のお地蔵様は、文化財の専門家たちから見れば、保存価値のない単なる石ころかも知れないが、金塚地蔵は作られてから256年、今の場所に移ってからでも121年の歴史があり、その間、無名の庶民たちのささやかな信仰を集め続けてきたという事実は決して軽くないはずだ。

そのお地蔵さまを、どこか近くに移転して保存させることすら出来ない都の道路拡幅とは、いったい何なのだろうと思う。道路とは、そんなに何ものにも優先されるべきものなのだろうか。

まさに道路本位制のニッポンを見せつけられた思いであり、そこのけそこのけ道路が通る、の典型的な図である。

供養をしてから「除却」するからいい、というものでもないだろう。「除却」とは苦し紛れの表現だが、とどのつまりはお地蔵さまを廃棄処分にするということなのだ。

効率優先、開発優先の驕りと思いあがり。なんとバチ当たりなことだろうか。

あな恐ろしや。地蔵堂をこわした後で、この地に悪いことが起こらなければいいがのう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

【注】この記事には続報があります。
   08年7月23日付け
   08年7月24日付け
   08年7月26日付け
   09年7月29日付け
   10年7月23日付け

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2008/07/13

歯の治療と人間ドックの微妙な関係

0807131a0807132a僕は毎年、同じ医療機関で人間ドックを受けていて、去年までは1週間前に申し込んでも余裕で予約が出来ていた。

今年は、6月冒頭に申し込んだところ、すでに平日は7月末まで予約で満杯となっていて、空いているのは7月の土曜日1日だけ。

今年は企業からの申し込みが殺到しているためという。企業にメタボ検診が義務付けられたことから、ドックが大賑わいとなっているらしい。

仕方がないので7月の土曜日で予約を入れた。

ところが、全く予期せぬことに、その直後から僕の歯の状態に異変が起きて、歯医者通いをする羽目になった。

虫歯でも歯周病でもなく、もっとひどい症状で、30年ほど前に神経を抜いた歯の根っこの処置が不完全で、大量の膿がたまっているというのだ。

麻酔の注射を何本も打ち、抗生物質と炎症を抑える薬を服用して、以降は延々と歯の治療が続くことになった。

この状態で人間ドックを受けても構わないものだろうか。

ドックを実施する医療機関に問い合わせてみたところ、ドックは歯の治療が終ってからにするように言われ、予約日を8月に変更した。

さらに予期せぬことには、歯の治療が進むにつれて、状態が悪くなっている歯は、この1本だけでなくてもう1本あり、その歯も続けて治療をする必要があることが分かった。

2本の歯の治療が終るには、8月いっぱいかかる、というのだ。

そこで僕は、またまた医療機関に連絡して、ドックの予約を9月に再延期した。

歯の治療を受けている人は、誰もがこのようにドックを延期しているものなのだろうか。

医療機関に確認してみると、「膿が出ている場合は、炎症反応としてドックの結果に表れてしまうので、時期をはずす必要があるが、膿が収まっているようならば、歯の治療中であってもドックを受けて構わない」という。

一方の歯科医は、「見えない部分については確実なことは言えないが、見える部分については、とりあえず膿は収まっている」という。

そこでさらに二転三転した結果、人間ドックについては最初に入れた予約日だった昨日の土曜日に、思い切って受診してきた。

僕の年齢になると、歯も含めて体のあらゆる箇所が万全な時期というのは、1年の中でもそうそうあるわけではない、という気がする。

歳を取ってくると、人間ドック一つを受けるのも、なかなか大変なことなのだ。

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2008/07/02

「地球カレンダー」の本が環境緑化新聞で紹介

080702僕がごま書房から出版している「サヨナラ愛しのプラネット 地球カレンダー」の本が、環境緑化新聞(東京・インタラクション社、月2回発行)の7月1日号で、詳しく紹介されている(写真)。

この環境緑化新聞は、どのくらいの読者数があるのか分からないが、1973年7月15日創刊と書いてあり、この号が610号となっている。ということは、35年の歴史を持つ環境問題の老舗メディアということになる。

紹介記事は、「教育現場や企業の環境研修などでも活用したい」と結んでいて、洞爺湖サミットを前にした絶妙のタイミングでの記事となっている。

温暖化をめぐる議論はこのところ、排出権取引の些細な仕組みをめぐる駆け引きにすり替えられてしまって、問題の本質から大きくそれてしまった感がある。

それに加えて、地球環境問題が最大のテーマとなるはずだった洞爺湖サミットは、原油高騰と食糧危機という2大パニックの前に立ちすくみ、温暖化防止の議論すら吹き飛びかねない状況になっている。

こうした中で、空港か駅などでちょっとしたテロもどきの爆発でも起きれば、マスコミの関心は一気にテロに流れてしまって、サミットの議論の中身さえもが、上の空になってしまいかねない。

表面的な侃々諤々に右往左往することなく、ここはじっくりと「サヨナラ愛しのプラネット 地球カレンダー」のページを開いて、地球にとって人類とは何なのか、46億年の時の流れに思いをはせてみるのも一興ではないか。

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