金塚地蔵を助けて、と区長に直訴したら前向きの回答が!
15日のこのブログで、北新宿3丁目にある256年の歴史を持つ金塚地蔵が、道路拡幅によって今月24日の供養を最後に「除却」処分されることになった、という話を書いた。
このブログを書いた後、僕はその日のうちに新宿区役所のホームページの「区政への要望」のフォームを通じて、中山弘子・新宿区長あてに、庶民の信仰を長い間集めてきた金塚地蔵が、取り壊しの危機に直面しており、区の粋な英断によってなんとかしてお地蔵様を助けていただきたい、と直訴のメールを出した。
メールが中山区長の手元まで届くのかどうかも分からないし、かりに届いたとしても区としてはどうすることも出来ずに、時間切れでお地蔵様は最期を迎えることになるだろう、と僕は半ばあきらめていた。
ところが、である。
今日、中山区長の名前で僕の住所あてに、回答の手紙が郵送されてきた。
それによると、区は僕のメールを受けた翌日、ただちに地域文化部の担当者が、拡幅主体の都や、地蔵堂の所有者であった神社の宮司などから事情を聞いて回り、金塚地蔵の保存に向けて前向きの対応を取ることになった、というのだ。
以下は、その手紙の抜粋である。
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平成20年7月23日
○○○○様 新宿区長 中山弘子
道路拡幅に伴う金塚地蔵の取扱いについて
メールを拝読いたしました。
新宿区の文化資源について、貴重な情報をお寄せいただきありがとうございます。
(中略)
メールの中でもご指摘をいただきましたように、金塚地蔵は、古くからこの場所にあり、地域の皆様の信仰の対象であった、いわば「土地の記憶」・「まちの記憶」を伝えるお地蔵様であると区としても捉えています。
24日以降も建物の除却工事が始まるまで、少しの間現状のままとのことです。
区としては、本地蔵堂内の石造品について、24日の供養後、あらためて調査をさせていただき、長い間、地域の人々に親しまれてきたこの金塚地蔵を記録として確実に保存していきたいと考えています。
また、大変古い石造品であり、戦火にもあい、非常にもろい状態であると伺っておりますが、関係者とも協議の上、新宿歴史博物館で一時的に保管することも検討してまいります。
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ここからは僕の感想になるが、今回の区の素早い対応に、心からの拍手を送るとともに、明日に迫った供養の直後にお地蔵様が壊されるという最悪の事態が、ひとまず避けられそうになったことに、深く感謝したいと思う。
硬直したお役所仕事をきっぱりと廃し、メールを受けた翌日に直ちに担当者が実情を調べて回るなど、迅速で行動的な仕事ぶりには、区民目線に立ったきめ細かな区政をモットーにしている中山弘子区長の姿勢が強く反映しているのだろう。
お地蔵さまは、とりあえず間一髪のタイミングで救われることになったが、今後はどこを恒久的な居場所とするのか、地蔵堂の併設を受け入れてくれる建物や場所をどうやって確保・調整していくのか、そのための予算はどうするか、など多くの難問をクリアしなければならない。
中山区長からの回答に書かれている、金塚地蔵は「土地の記憶」・「まちの記憶」を伝えるお地蔵様だ、という位置づけは、お地蔵さまの今後を考える上で、最も重要なポイントだろう。
「土地の記憶」・「まちの記憶」を伝えるさまざな建造物や石造物が、再開発の荒波の中で急速に姿を消しつつある現代において、それを伝えつづける金塚地蔵を保存していくことは、まちのありかた、みちのありかたを考える上で、この上なく重要な意味を持つのではないだろうか。
【注】この記事には続報があります。
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