金塚地蔵、追われる地で最後の供養
地蔵盆の24日夕方、北新宿3丁目の金塚地蔵前で、関係者や地元民が炎天下の歩道で見守る中、現在地での最後の供養が営まれた。
昨日のブログで書いたように、道路拡幅によって行き場を失い、24日の供養後は「除却」処分を「宣告」されていた金塚地蔵は、新宿区の中山弘子区長によって、区として保存に向けて動き出すことになり、間一髪のところで命拾いが決まった。
金塚地蔵が明治20年(1887年)に現在地に移って来てから121年。この地での最後となる供養は、地元の寺の住職によって進められ、読経に続いて、地元の人たちが次々と焼香をして、お地蔵さまのこれまでの労をねぎらった(写真)。
今後、地蔵堂が組み込まれている金物屋の建物が取り壊されるまでの間に、新宿区は堂内の3体のお地蔵さまと道標石、庚申塔について、改めて調査を行い、「確実に保存していきたい」としている。
あらたな永住の地をどこにどのように確保するか、長年の風化による石の老朽化をどう補強していくのか、など、難題は多いが、新宿区では関係者とも協議の上、新宿歴史博物館で一時的に保管することも検討していくとしている。
【注】この記事には続報があります。
08年7月26日付け
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