256年目の金塚地蔵、移転ならず撤去処分へ
宝暦2年(1752年)につくられたと伝えられる北新宿の金塚地蔵が、道路拡幅によってその座を追われることになり、いったんは近くの寺の境内に移転することでまとまりかけていたが、一転して移転話はご破算となり、今月24日の地蔵盆を最後に撤去されて処分されることになった。
新宿区の史跡・名所としてガイドブックなどにも掲載され、地元の人たちはもとより、禁煙に効くお地蔵さんとして多くの信仰を集めてきた金塚地蔵が、行き場が見つからないまま廃棄処分という最悪の最後を迎えることになったことで、もっと早い段階で保存策を取れなかったのかと、惜しむ声が上がっている。
地蔵堂は、大久保通りと小滝橋通りとの交差点の角に、金物屋の壁に組み込まれる形でひっそりと建っている。
堂の中には、庚申塔や地蔵など5つの石造物が並んでいて、そのうちの最も背の高い地蔵が金塚地蔵で、このお地蔵様が煙草を嫌いにしてくれるとされている。
金塚地蔵はもとは、現在地より南にあった百八塚の一つ、中野長者が建てた金塚の脇に建っていたが、塚が崩されたため、明治20年(1887年)に今の場所に移されたという。
東京都の道路拡幅計画によって、地蔵堂を組み込んでいた金物屋がさきごろ、80年余の歴史に幕を下ろして閉店し、金塚地蔵の扱いが注目されていた。
このお地蔵さまが、道路拡幅によって立ち退きのピンチに立たされているという話は、05年5月23日のこのブログで、僕がキャッチしたばかりの完全独占スクープとして記事にした。
その後、今年4月18日のこのブログで、お地蔵さまの移転先が、現在の場所から400メートルほど北北西にあるお寺の境内に引っ越すことになった、という記事をやはり独占スクープとして書いたのだが、移転話は難航したらしい。
このほど堂のわきに、「地蔵堂崇敬の皆様へ」という告知が張り出され、存続の道もさぐったが7月24日の地蔵盆の供養を最後に、「除却」することになった、と知らせている。
道端のお地蔵様は、文化財の専門家たちから見れば、保存価値のない単なる石ころかも知れないが、金塚地蔵は作られてから256年、今の場所に移ってからでも121年の歴史があり、その間、無名の庶民たちのささやかな信仰を集め続けてきたという事実は決して軽くないはずだ。
そのお地蔵さまを、どこか近くに移転して保存させることすら出来ない都の道路拡幅とは、いったい何なのだろうと思う。道路とは、そんなに何ものにも優先されるべきものなのだろうか。
まさに道路本位制のニッポンを見せつけられた思いであり、そこのけそこのけ道路が通る、の典型的な図である。
供養をしてから「除却」するからいい、というものでもないだろう。「除却」とは苦し紛れの表現だが、とどのつまりはお地蔵さまを廃棄処分にするということなのだ。
効率優先、開発優先の驕りと思いあがり。なんとバチ当たりなことだろうか。
あな恐ろしや。地蔵堂をこわした後で、この地に悪いことが起こらなければいいがのう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
【注】この記事には続報があります。
08年7月23日付け
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