ドストエフスキーの『未成年』を読み終える
新潮文庫から先月刊行されたばかりのドストエフスキーの『未成年』を、半月ほどかけて読み終えた。
この『未成年』は、かつて新潮世界文学や新潮社のドストエフスキー全集に収録されていたものの、長い間絶版の状態が続いていて入手が難しく、復刻刊行を望む声が高かったものだ。
今回の新潮文庫版『未成年』は、文字の拡大を売り物にしている『カラマーゾフの兄弟』など一連の新潮文庫ものよりはいくぶん文字が小さいが、それでも世界文学版や全集版よりは大きな文字ではるかに読みやすい。
訳者は工藤精一郎氏で、僕がこの本を読んでいる途中の先月31日、工藤氏が86歳で死去したという訃報をニュースで知って驚いた。
『未成年』は、ドストの5大作品の一つとされているが、執筆時期からすると、『罪と罰』『白痴』『悪霊』と、『カラマーゾフの兄弟』の間に書かれている。
いつもドストの作品を読む時と同様に、僕は今回も、登場人物が最初に出てきたページ・ノンブルと人物名を、鉛筆でノートにメモ書きしながら読んでいったが、名前が出てきた人物は80人を超えた。
この小説は、5大作品の中では最も難解とされていて、たしかに人物関係やそれぞれの愛憎関係が複雑でつかみづらい。
しかし、未成年の「私」、ドルゴルーキーが語る一人称で書かれた告白という小説の形式が、かえって主人公の青臭い生意気さや気負い、不見識、錯覚や勘違いとあいまって、小説に異様な生々しさとリアリティ、テンポのダイナミックな緩急を与えていて、最後の最後まで目が離せない迫力ある展開となっている。
ロシアと西欧、信仰と無神論、父と息子、女をめぐる愛憎と女たちの生き様、人間にとっての金銭の大きさ、等々、ドストエフスキーワールドの真髄をたっぷりと楽しむことが出来た。
また、これらの人間ドラマや挿話の数々は、やがて『カラマーゾフの兄弟』へと結実していく予兆の響きがあり、その前哨を感じながら読むのも面白い。
僕がドストの作品に再挑戦し始めたのは、ここ4、5年のことだ。
この間に読んだのは、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』(4回目)、『賭博者』、『分身』、『死の家の記録』『虐げられた人びと』、『罪と罰』(2回目)、など。
『カラマーゾフ』と『罪と罰』以外は、僕が初めて読む作品ばかりだった。
それ以外でまだ読んでないのは、『貧しき人びと』『地下室の手記』『永遠の夫』などで、これらはおいおい読んでいきたい。
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