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2009/07/29

金塚地蔵を撤去せし後、北新宿の街はいま

0807152_2二百五十六年余を遡る宝暦二年に造られ、北新宿の地にて百二十一年もの長きに渡りて、地元民の信仰集めたりける金塚地蔵(写真上)の、去年七月東京都の道路拡幅にて居地を追はれし出来事から、はや一年が経ちにけり。

金塚地蔵は、禁煙にご利益があるにて知られ、新宿区内のあちこちに建てられたる史跡案内板にもいまだ掲載されたるが、撤去後のご本体は近くの神社の倉庫に保管され、新たなる居地の定まらむ時をひっそりと待ち続けたり。

かつて地蔵堂を組み込みたりし金物屋(写真中)は廃業し、お堂もろともひたぶるに取り壊され、道路拡幅の整地作業も終わりぬ。080715_2金物屋なくなりし後には、残りしわずかなる土地に、新たなる建物建てられ、その前には、消費者金融の自動申込機や飲物の自販機並びたり(写真下)。

お地蔵さまは棄却さるる直前に、新宿区によりてかろうじて延命さるる運びとなりしが、お地蔵さまの新たなる居地をいかにすべきかは、地元民しだいなるとして、区のみが先走って動くは適当ならずとの立場なり。

この地と地元民を見守り続けたりける金塚地蔵なくなりし後、このあたり一帯の雰囲気ひたぶるに変はりにき。良く言はば近代的・効率的、悪しく言はば殺伐として潤ひなき街になりぬ。

0907291地蔵菩薩は昔から、濁世にもがき悩みながら生くる衆生の痛みと悲しみを、自らが身代わりとなりて一身に背負ひ続くるによりて、諸人の苦悩と惨禍を和らげ、癒すとされ、皆人に親しまれ慕われし存在なり。

そのお地蔵さまを追ひ出しおきて、新たなる居地を見つけむともせざる今の我々は、なでふ恩知らずにて身勝手なる存在ならむや。

二百五十六年の歴史を蹂躙する仕打ちを行なひて、平然としたる現代びととは、いかなる厚顔無恥なる存在ならむや。お地蔵様を後世に残す能わざる我々は、後世に顔向けせられむや。

消費者金融の自動申込機建つる空間あらば、いかで地蔵堂を再建する空間の見出さざるや。

余は、この有様をいかんともせられざる己の非力を、ただただ恥じ入るのみなり。

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