神宮花火大会を、遠花火にて鑑賞す
今宵は、神宮花火大会ありけり。余はこれを、家のべらんだ越しに、遠花火となして寂寂と鑑賞しき。
若かりしころは、余も、花火大会あらば、雑踏かきわけて会場まで往き、間近より見上ぐる火玉の迫力と綺羅を存分に堪能せしものなり。
されど、年を経るに従ひて、花火大会会場に赴く体力もやうやうなくなれば、自宅から遠花火をひっそりと窺ふをもちてよしとするやうになりにけり。
遠くの彼方、建物と建物の間より、かろうじて見ゆる遠花火を眺むれば、さまざまなるを思ひ出し、来し方行く末に思ひはせるを禁じ得ず。
遠花火は、なしかは懐かしく覚ゆ。余は、遠花火の儚なさに、もののこころとあぢはひを感ず。これ、余の年のせいなるや。
今宵は、高層建築物の間より見ゆる花火と競ふやのごとく、東の空には十五夜の満月浮かび、えも言はざるめずらしき光景なりし(写真)。
暦の上にては、夏は今日にて終わりぬ。
明日は立秋。秋立つ日なるべし。
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