選挙結果は痛快の極みにして快感なり
嗚呼、快哉なり。愉快なり。
かほどに痛快なる選挙が、かつて我が国で行なはれしことありや。
我らは、麻生の太郎が歴史的惨敗の屈辱に顔をゆがめ、公明代表なる大田の昭宏らがまさかの落選に愕然呆然とする様を見て、極上の快感に打ち震えたり。
これ自公の長年に及ぶ衆生蔑視、硬直腐敗のまつりごとへの天誅なり。
我らは、自民の大物ども、公明の幹部どもの続々と枕を並べて討ち死にせしありさまを見るに、狂喜乱舞にはやる心抑ふること能はず。
いにしへびと、書きけり。
諌めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の憂ふるところを知らざりしかば、久しからずして亡じにし者どもなり。
八百年もの昔に書かれけむこのくだり、あたかもいまの自公を見るが如し。
悲願の政権交代にこぎつけたる民主は、自公政権の負の遺産を引継ぎて、有権者との約束ごとなるマニフェストの実現に向かふはまことに茨の道なるべし。
来年の参院選もだいじなれど、余が予測するに四年後には衆参同日選挙こそ必定ならめ。
今日からの四年間は、民主の真価問はるるともに、我ら有権者もまた試さるる期間にてあらざらんや。
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