デルヴォーの幻想的エロスに陶然となりき
けふは渋谷のBunkamuraにて開催したる「ベルギー幻想美術館」を観に行きぬ。
余の目的は、ポール・デルヴォーの一連の絵画、なかんずく、大作の『海は近い』(写真)なり。
この絵は、今回の美術展の目玉なる傑作にて、この一点のみとても観る価値ありき。
海に近き夜の市街。かなたに月光かがやき、街灯が不思議の街を淡く照らす中、七人のをみなたちの全裸、半裸、着衣それぞれなるが、永遠に止まりし時間の中で佇み居れり。
まず目に入るは、美しきをみなの足のみを覆ひたるが、ベッドに横たわれる妖しき肢体なり。
このをみなの、恥じらひがちにして恍惚のさま、いかでかならむやと、余はあまたの妄想かきたてらるるを禁じ得ず。
絵の中央にて、全裸なるをみなの斜め正面を向きしが、電柱と街灯との間に立ちてやや俯きぬは、エロス際立ちて、このをみなは生乙女にて違ひあるまじと直観せり。
会場の解説によらば、デルヴォーの、かように官能的かつ扇情的なるをみなたちを描き続けたるは、母親が彼に云ひし言葉の「をみなは心を惑はす悪魔にて、をのこを破滅させるべし」によりける影響大なりしとぞ。
デルヴォーは、をみなへの憧れと恐れとのはざまから、現実にはけしてあり得べからざる光景に理想のをみなたちを創出しけむにや。
をみなたちが、清らかなるさまに描かるれば描かるるほどに、無防備なる乳房やヘアは、匂ふばかりの官能にて観る者を挑発して止まず。
余はをのこなれば、かくなる刺激を受けて喚起さるるも理ありと覚ゆるなるが、をんなの観客にありてはいからんや。
デルヴォーの絵に接して余はかく悟りぬ。清楚と淫靡、清純と淫乱、淑女性と娼婦性。一見相反するがごとくに見ゆるこれらの概念こそ、をみなにありては、紙一重もしくは等しきことの別なる云ひ方なれ。
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