雲居よりこぼるる仲秋の名月
けふは旧暦八月十五日にして、こよひは仲秋の名月なれば、いくたびも空を見あぐれど、雲厚くして月はえ見へざりき。
あきらめかけ居りしに、夜半近うなりて雲居よりはつかに月影のこぼるる時ありき(写真)。
月みれば ちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど(大江千里)
月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身一つは もとの身にして(在原業平)
前者は、直線的に心に響く歌なり。「わが身ひとつの 秋にはあらねど」に思ひのたけ切々と込められたり。
後者の方は、はるかに複雑なる構造せり。
月も春も変はりけるやふに覚ゆ、と詠嘆的に歌ひしと見へて、まこと変はりたりけるは、「我が身」の方なり。
さるを、我が身のこと「もとの身にして」と、あへて逆の表現にて云ひ切りける切なさこそ、この歌の時代を超へて親しまるる所以ならめ。
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その昔、コペンハーゲンに出かけし男ありけり。
リオ見れば 知事は物こそかなしけれ わが身ひとつの 責にはあらねど(詠み人知らず)
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