映画『アバター』に投影せるベトナム戦争の影
劇場にて映画を観つるは一昨年夏、『崖の上のポニョ』が最後なりき。
以来、1年5カ月以上に渡りて、映画館とは無縁なりたるに、このたびチケットの貰ふことありて、『アバター』を観てきたり。
余が観たるは3D上演館にあらずして2Dなるに、これまであまた観つるいかなるSFやファンタジー映画をも遥かに引き離しおりて、こはまさに映画の革命にてあらむとぞ覚ゆ。
これまでの映画は、いかに優れたるSFXやCGを駆使したれども、作り物なるを前提としたり。
されど、ジェームズ・キャメロン監督の、その壁を突破せるによりて、不可能を可能となし、映し出される映像世界は、観る者にとりて、まがふことなく実在せり。
驚異のテクノロジー駆使するを持ちて、「実在」との区別つかぬ世界の創出すること可能なれば、うつつの世界の我らが生きるなるは、まことに実在すなるや、との疑念ぞ浮かぶ。
我らが五感によりて得たる情報の総動員するに、からうじてこの世の実在信ずる程度のものなれば、こもまた何者かによりて「実在」を創出せられたりける可能性の、はたしてなきにや。
『アバター』は、視覚的な実在感のみならず、ストーリー展開また強烈なる説得力ぞ持ちたる。
この説得力と現実感覚なむ、キャメロン監督の意識せるとせざるとに関わらず、ベトナム戦争の影の投影したりけるところ、少なならずと余は見たる。
地球人側の軍用航空機の、あへてベトナム戦争時代の外観に似せて作られたるぞ、アメリカ軍のイメージを際立たせたる。
しかして、パンドラの住民ナヴィたちの、地球人による容赦なき爆撃にさらされ、炎上・破壊されつくさるる様、かつてのベトナムの人々の姿に、二重写しとなりて、胸にひしと迫る思ひ禁じ得ず。
パンドラの森林は、ベトナムの密林ならむ。
ラスト近く、惨憺たる格好にて地球へと引き返す敗北部隊の姿こそ、サイゴン陥落の直後、屈辱の撤退を世界中のテレビにて映し出されたりけるアメリカ軍の姿なれ。
『アバター』は、5光年離れたる遠き異星が舞台なれど、この攻防、われらが地球にてはすでに繰り広げられたりける現実なるが悲しけり。
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