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2010/05/23

空き箱二つ重ねて、重き本の読書スタンド完成せり

1005231a家にて本を読めるに、おほかたの軽き書物の、椅子にかけたる姿勢にて、手に持ちて読むこと、いと容易なり。

文庫、新書なんどは片手にても持ちて読むこと能ふ。

されど、余が最近、やうやう読み出したる小学館の日本古典文学全集の、1冊の重さなむ1200グラムから1300グラムあるは、持ちて読むことの、いみじう難儀なりける。

机の上に、本を立て架けるべく読書スタンドのあらましかば、重き本なりとも疲れざらましとぞ覚ゆる。

ネットにて調ぶれば、読書スタンドや書見台のたぐひ、あまた売られたりて、価格はおおむね数千円から2万円程度なり。1005232a

されど、これらの大半はベッドなどに寝たる姿勢にて読書せむためのスタンドなりて、本の重さや厚さに制約あるもの多し。

市販の読書スタンド見渡せど、余の求むる物のなければ、いかにせむと思案す。

家の中なる空き箱のたぐひの、捨てむも勿体無きとて取りおきたるを、うまく重ね置きなば、重き書物の立て置くこと得るにや、とて、しばし試行してみつ。

いでや、煎餅の空き箱の中箱と蓋を組み合わせたれば、あつらへたるがごとく、重き本の幅よく合ひて、ずり下がることもなく、しかと支えられたるかな。

高さのいまひとつ足らざるを思ひて、下に靴の空き箱を置きてみたり。

こは、適度の高さになりて安定感もあり、下の空き箱の中箱と蓋の置きかた変へたれば、書物の角度の連続的に調整すること能ふやうになりたるぞ(写真上に比ぶりて、写真下は急角度にしたる)。

試しとてこの形にて読書してみむに、すこぶる快適にて、手作り読書スタンドの出来栄え上々なり。

あながちに購はずとも、はつかの工夫の勝れることもぞ、と一人悦に入れる。

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2010/05/13

12年間探し求めたるシャヴァンヌ画集を入手

100513aいとどいみじう久しく探し求むれど、さらさらに見つけることの能はざる物あり。

余にとりて、その最たるもの、シャヴァンヌの画集なりたりけり。

ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(Pierre Puvis de Chavannes 1865-1918)ぞ、その画家なる。

初めてパリのオルセー美術館を訪れし時、あまたの名画・名作の燦然と居並ぶ中に、ひときは余の心に残りたる一連の絵画あり。

いずれも、余の目にしたりけることなき絵画にて、オルセー1階右側なる幾部屋かのスペースに、10点ほどが展示されてあり。

こがシャヴァンヌの作品とは、初めて知りぬ。

淡き色彩、静謐にて幻想的なる雰囲気、なでか遠き夢に見しことあるやうなる、懐かしき光景。

余は時の経つも覚えず、シャヴァンヌのコーナーにくぎづけとなりて佇みぬ。

この時より、余は大きなる書店に寄るたび、シャヴァンヌの画集しもあるにや、と探しありきたりけり。

シャヴァンヌの絵の何点か収められたる画集はあれど、シャヴァンヌのみにて1冊をなす画集は見つからず。

ネットにても調ぶれど、そも日本で発売されたりける形跡、見当らず。

かくて12年の歳月の過ぎ往きて、ほとほと諦めかけ居りたるに、このほどやうやう、海外にて刊行されたりけるシャヴァンヌ画集を見つけ、げに運良くもゲットするを得たり。

いでや、この画集には、素描も含めてシャヴァンヌの作品約150点なむ収められたる。

我が国にては、いまなほ印象派人気の圧倒的なるに、シャヴァンヌはマネらと同時代ながら、作風は印象派とも写実主義とも異なりて、象徴主義と位置づけられたるとぞ。

象徴主義は音楽におきては、ドビュッシーに多大なる影響を与へたりけるとされており、かく言はれてみれば、シャヴァンヌ画集を括りてみやるほどに、「牧神の午後への前奏曲」なんどの、遥か彼方にて鳴るを聴きたるがごとき心地こそしたれ。

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2010/05/11

定期点検とてエレベーター動かず、じっと潜みたり

100511aけふは、毎月1度の定期点検とて、エレベーター停止せり。

エレベーター動かずとも、外階段上り下りせなば、家に出入りすること能ふなるが、あやにくの雨なり。

下ることは雨中にても、さほど苦にはあらねど、雨降りしきる中、外階段の上まで登らむは難儀の極みなるぞよ。

さなれば、定期点検終るまでの間、余は家になむ、じっとこもり居りたる。

不便は不便なれど、定期点検侮るべからず。

数年前、このエレベーター、余の階のみぞ、ドアの異常続きたりしことありし。ドアの開きかけたるが、突然閉まりかけ、さらに開くか閉まるか迷い生じたる様にて、がたがたと震えること、しきりなりき。

余の階で停止したまま、ドアの開くことを得ずして、しばし閉じこめられしこともありけり。

その折は、エレベーター管理の会社に、修理依頼したれど、修理に来たる作業員の、「異常の再現見られざれば、修理すること能はず」とて、その都度、何もせずに帰りたりけること、2度、3度ほどなるを。

作業員帰りたるやいなや、そを待ちたるやうに、エレベーターのドア、ここぞとばかり異常繰り返したり。

やうやうに、作業員の4度目あたりに来たる時、目の前にてドアの異常開閉発生したりて、原因突き止めてぞ、修理しける。

エレベーターの異常は、ときに重大事故引き起こすことあれば、はつかなる異変だに放置すべからず。

毎月毎月、何事もなきやうに終りたる定期点検のあればこそ、居住空間の安全の確保されたるなる、とぞ覚ゆれ。

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2010/05/02

黄金週間とて、格別のことせで過ぐし居り

100502a世の中はGWとてさざめき合へるに、余はいずくにも往くことなく、格別のこともせで、つねと変はらぬ日々を過ぐし居れり。

すずろにありく道に、いつのまに初夏の訪れたるにぞ、躑躅(つつじ)なりや皐月(さつき)なりやの咲ける。この区別いまだにつかず。

4月の末近く、余の血圧、にはかに急上昇したりて、自覚症状さへ伴へり。思ひあたる節もなきに、いみじうこころもとなかりけるを。
数日、様子見るうちにやうやう、おのずから正常値に戻りたりて、いまは何事もなし。

そに続きて、こんどは血圧計の毀れたりて、さらさら作動せずなりにけり。保証期限の過ぎたりければ、せんかたなく購ひ直して来たり。

気分を新たにせばやとて、先日録画し置きたる音楽番組再生して、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』組曲なむ聴ける。尾高忠明指揮のN響による演奏とぞ。

余はこの数ヶ月、いかなるにや、クラシックをふつと聴かずなりにけるに、こは久久に聴きたり。若きころは、さしていみじとも思はざりける曲なれど、今聴きてみれば、ひたぶるに精神の高揚ぞ覚ゆる。

いとまには、小学館の全集にて『宇治拾遺物語』を読み居れり。
第6話には仰天せられたり。「煩悩を切り捨てて」とあるくだり、いでや、煩悩とは男の一物のことなるとよ。

さもありなむとも覚ゆれど、女には煩悩といふもの、なきものなりや。
男女とも衆生はひとしく、煩悩の海中にもがきて生きるにこそ。

けふは八十八夜なるらし。茶摘のニュース、テレビで報じ居たり。
平々凡々に、つねと変はらぬさまにてGWを過ぐすことの能ふもまた、至福ならずや。

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