黄金週間とて、格別のことせで過ぐし居り
世の中はGWとてさざめき合へるに、余はいずくにも往くことなく、格別のこともせで、つねと変はらぬ日々を過ぐし居れり。
すずろにありく道に、いつのまに初夏の訪れたるにぞ、躑躅(つつじ)なりや皐月(さつき)なりやの咲ける。この区別いまだにつかず。
4月の末近く、余の血圧、にはかに急上昇したりて、自覚症状さへ伴へり。思ひあたる節もなきに、いみじうこころもとなかりけるを。
数日、様子見るうちにやうやう、おのずから正常値に戻りたりて、いまは何事もなし。
そに続きて、こんどは血圧計の毀れたりて、さらさら作動せずなりにけり。保証期限の過ぎたりければ、せんかたなく購ひ直して来たり。
気分を新たにせばやとて、先日録画し置きたる音楽番組再生して、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』組曲なむ聴ける。尾高忠明指揮のN響による演奏とぞ。
余はこの数ヶ月、いかなるにや、クラシックをふつと聴かずなりにけるに、こは久久に聴きたり。若きころは、さしていみじとも思はざりける曲なれど、今聴きてみれば、ひたぶるに精神の高揚ぞ覚ゆる。
いとまには、小学館の全集にて『宇治拾遺物語』を読み居れり。
第6話には仰天せられたり。「煩悩を切り捨てて」とあるくだり、いでや、煩悩とは男の一物のことなるとよ。
さもありなむとも覚ゆれど、女には煩悩といふもの、なきものなりや。
男女とも衆生はひとしく、煩悩の海中にもがきて生きるにこそ。
けふは八十八夜なるらし。茶摘のニュース、テレビで報じ居たり。
平々凡々に、つねと変はらぬさまにてGWを過ぐすことの能ふもまた、至福ならずや。
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