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2010/06/30

W杯の敗戦とともに、今年の前半は終はりぬ

100630aPK戦とは、いづれかのチームの1人の選手を、神が競技のための生贄として指名することと見たり。

駒野選手は、神に魅入られけるによりて、試合に決着をつけむがための、真に偉大なる苦悩する競技者としての役目を、一身に負わせられたりけるなり。

神が、あまたの選手の中から、よりによりて駒野選手を選びたりける由は、神のみぞ承知するなる。

かくて、気がつけば、今年2010年の前半は、けふにて終はり、明日からは、後半に移りゆかむ。

次のW杯は2014年なるに、その時、余は何歳になりてむや。

人はみな、次のW杯の時には、等しくいまより4歳ずつ歳が増えつらむこと、こは理なるぞかし。

半年といふ時の推移の、かくもいみじう疾きものなれば、そが8回めぐりて4年となるも、つまるところは寸陰に同じ。

立ち竦めど、安逸を貪れど、すずろなれど、時の流れの待つこと、つゆもあらざるは、むしろ毅然たりて清清しくこそ覚ゆれ。

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2010/06/21

夏風邪にてダウン、暑さの中の悪寒は処置なし

100621a夏風邪をひきて、ダウンせり。

寒き季節には、風邪やインフルエンザにかからぬやう、温かくして気をつけたるに、暑さの中の風邪はいかにも処置なくして、体にこたへるなり。

喉の痛みに始まりて、「あなや、こは、やられたるにや」と覚ゆる間もなく、たちまちにウヰルスは呼吸器全域を蝕みおりて、咳、痰、鼻水、全身の倦怠感なんど、なすすべあらぬ様となりぬ。

体温は35度9分と、余の平熱よりはつかに高めなり。

体の熱ぽくなりたると思ふや、たちまちに寒気に襲はれたりて、暑かりけるにや寒かりけるにや、自分にても分からぬ怪しの体調になむなりたる。

つひに、かかりつけ医を訪れて、4種類の薬を貰ひて来たり。

医者の言ふやう、「この先、熱の出たりければ、レントゲン撮りつべし」とぞ。

家に戻りたれば、室温はいでや34度にもなりたりけるを。

冷房入ればやと思へど、夏風邪に冷房は障りあるにやと懸念す。

されど、暑さの中、汗は滝水の如く流れ出で、いかにも堪らざるなれば、ネットにて夏風邪の折のクーラーの可否につきてなむ、調ぶりてみたる。

「冷房の適温なれば、むしろ体力消耗防ぐためにも必要なる」とぞある。

これにてお墨付きを得たる心地して、やうやうクーラーなむ入れつる。

夏風邪のウヰルス、とく体内から追い出しつらむ、と願ひて止まぬ夏至の日なりけり。

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2010/06/12

60年安保の6・15から半世紀、樺美智子さん忘るまじ

Anpo005a_2

戦後日本の原点は、8・15なりしや。さなりと云ふ者少なからず居れど、おほかたの日本人にとりては、かの6・15こそ、今日の状況に脈々と続きなしたる原点ならめ。

60年安保から50周年を迎へたる今年は、6・15の惨劇にて22歳の命を落としたりける樺美智子さんの、50周年の命日なるぞかし。

今日の我が国の抱へたる諸問題は、その根源たどりなば安保条約にゆき着くこと必定なり。

鳩山政権崩壊のきっかけとなりたる普天間問題も、そは日米安保の抱えたる矛盾にほかならず。

Anpo004a60年安保の50周年にあたりて、かの日、国会構内にて機動隊との激突の中、夭折したりける樺美智子さんを追悼せむとて、当時の様子なむ、ここにささやかに書きてみむとす。

昭和35年6月15日。この日は、私鉄の時限ストを中心とせる静かなる全国統一行動となるべく、おほかたは夕刻以降の大惨劇を予想だにする者のなかりける。

はつかに報道陣の中に、この日の警官の武装の、いつにもまして様子異なるに気付き、「あやしのことかな。何ごとの起こるにや」といぶかる声ありけるとぞ。

午後4時ころなりけるにや。全学連主流派のおよそ7000人の学生たち、国会南通用門に集ひたるに、「いざいざ、国会構内に入りて抗議集会を開かむ」とリーダーなむ呼びかけたりける。

学生たちの、南通用門扉激しくゆすりつづけたれば、やがて扉の開かれたりて、門柱からはずれ落ちぬ。

内側に警官側のトラック並べられたるが、学生らは綱をかけて車体動かさむとせり。

別の学生たちは、有刺鉄線の柵を切り破り、警官に投石すなどして、殺気立ちたる空気流れ始めたり。

警官側、構内の消火栓からホース引きて、学生たちへの放水ぞ開始せる。

塞ぎたりけるトラックの引き出されたれば、構内への行く手開きたりて、学生たち構内に足踏み入れたりけり。

Anpo003aこは午後7時5分ころなる。

警官隊、一瞬、後に引きたりて、不気味なる静けさの、なでか不穏なるもの漂ひたりけり。

その時のことなむ。方面警察隊の後方に待機したりける第四機動隊の警官たち、異様なる叫びあげたりて警棒振りかざし、学生たちに向かひて突き進みたるは。

南通用門入口付近は大混乱に陥り、学生たちの崩れるやうにして押し返され、あちこちから悲鳴上がりて、修羅場となりぬ。

樺美智子さんの、隊列の先頭付近に居りけるが、機動隊の襲撃と後から押して来たりける学生との板ばさみとなりて、倒れたるところを、踏み潰されたるとぞ。

この時の警官の襲撃のすさまじさ、げに語るところを知らず。

警棒は薪を叩き割るやうに学生たちの頭や肩につぎつぎと振り落とされ、学生たちは棒切れや投石にて抵抗せしに、長くは続かざりけり。

学生たちの頭から血を流して倒れたるを、警官たち2、3人がかりにて引きずりて行きたり。

逃げまどふ女子学生の後からも、容赦なく警棒の襲ひかかりたるを。

血みどろになりて倒れたる学生に、警官たち片端から手錠ぞかけたる。学生たち、いつたんは構外に押し出されたり。

この中を、女子学生の死にたりけることの、伝へられたりければ、学生たちの憤り、ひときは高ぶりて、再び構内に入り始めたり。

午後8時半ごろなりけむ。社会党議員団の仲介によりて、構内にて異例の抗議集会ぞ開かれたる。

集会後、退去させむとする警官と、正面に向かはむとする学生との間にて、さらなる激しい衝突となりぬ。多くの学生たちの血だらけになりて、参院議員面会所地下に連行されゆけり。

かけつけた救護班やマスコミの記者、カメラマンらも、警官たちの壁になむ阻まれて、え近寄ること能はざる。

通用門わきの路上には、負傷せるも連行免れたる学生たちの、屍の如く累々と横たはれり。

通りがかりの車や、報道陣の車の中には、こを見かねたりて負傷せる学生たちを、病院に運びゆきけるとぞ。

時計の針は、かくするうちにも午前0時を回りて、日本で最も長かりける6・15は、怒りと悲しみのうちに終わりぬ。

我ら、この日ありける出来事と、樺美智子さんのこと、ゆめゆめ忘るべからず。

(一番上の写真、仰向けに抱へられたる女子学生の右側、こちら向きの女子学生に左腕を持ち上げられたる格好にて倒れたるが樺さんなり。この時すでに息絶へたるとぞ。三番目の写真なむ、翌6月16日、国会南通用門前に設けられたる祭壇前にて、樺さんを悼むあまたの人たち)


【このブログの過去の樺さん関連記事】

45年目の6.15、樺美智子さんの2枚の写真(2005年6月15日)

とっておき号外に見るあの時(7)-樺美智子さんの死(2006年3月6日)

【このブログの、この後の樺さん関連記事】

6.15と樺美智子さん 1960年-2014年(2014年6月15日)


 

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2010/06/04

民主代表に菅氏の朝日・読売号外、街頭にて入手せり

100604eけふは昼すぎて、新宿の地下街をすずろに往くに、大きなる活字の薄き新聞やうのもの、手にしたる通行人なむ、ちらほらと見かけたる。

さは、民主代表に管氏決定の号外にこそはあらめ。余もゲットせばや、と思へど、いづくにて配布したるやを知らず。

新宿なれば、東口か西口か、はたまた伊勢丹前あたりかとぞ。

号外の配布は、恐るべき短時間の勝負なれば、勘のみを頼りて、配布場所と覚しきところに往きてみむとす。

昼下がりなる時間帯と、号外の内容からするに、買ひ物客多き東口より、都庁かいわいのビジネスマンあまた往き交ふ西口にあらずや、と見当付けたり。

西口に出でてみれば、朝日の号外なむ、ロゴ入りのジャンパー着たる配布員の、声枯らして通行人に手渡し手渡したりける。余もやをら一部を貰ふ。

しばし離れたるところに、もう一人の配布員の、こちらは読売の号外ぞ、配布し居る。これも貰ふ。

「いでいで、残り、いみじう少なくなりたるぞ。とくとく」と配布員のをめく間も待たずして、朝日、読売ともに号外またたく間になくなりたるぞ、すさまじき。

政治の世界なむ、一寸先は闇なるとは云ふものの、ことしの師走までに、政局がらみの号外、あと幾たび出るにやと、覚束なきこと限りなし。

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2010/06/01

ひとり立ちぐひ蕎麦食らひて、爽やかなる初夏

100601aいつしか時は6月になりぬ。

けふは爽やかなる初夏の風心地よきも、ほど経ずして梅雨の季節の到来すべきを思へば、いかで憂からずや。

世が世ならば、けふあたりスーツケースぞ集配に出して、明日は成田に前泊せむとて、あさて早朝には欧州に向けて飛び立つべかりつるものを。

旅行の断念せしによりて、すべては砂上の楼閣の如く、幻の旅と帰せり。

このところ、余はとんと外食せぬやうなりたりけるは、前にも書きたるが、先月を振り返ればレストランに行きたるは2回のみなり。

その2回なむ、立ち食ひ蕎麦なる。

ほうれん草蕎麦に温泉卵入れたる、430円也。こを2回食らひたるぞ、余の先月のレストランの全てなりける。

立ち食ひ蕎麦屋には、などてか演歌のBGM流れ続けたりて、侘しきムードひとしほなり。

されど、近年の立ち食ひ蕎麦は、店にもよりたるなれど、麺も汁も、その味ひたぶるにうまくなりて、侮り難きことげにいみじかり。

高級ビストロなんどのやうに、高き値段にて美味なるもの食はせる店、星の数ほどあれど、安価にて美味なるはえ見つけ難し。

この世に最も美味なる料理はなんぞや、と問はれたれば、余は躊躇なくいらふ。

そは、食ひたき時に食らふ立ち食ひ蕎麦にこそあなれ。

演歌の流るる中、ひとり静かに、ゆくらかに味はふ立ち食ひ蕎麦なむ、ミシュランの三ツ星もえ及ばぬ至福の味なるぞかし。

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