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2010/10/26

不要のフロッピーディスク、分解し毀ちて捨つる

101026いにしへ、3.5インチのフロッピーデイスクの、最先端を往ける記録媒体とて、一世を風靡したる時代ありき。

余の手元には、昔のフロッピーデイスク、いみじうあまたあるも、いまはおほかた不用品となりてぞ、溜まりに溜まりたる。

古くは、ワープロ時代のパソコン通信草創期のものなりて、会議室(こは懐かしき呼び名なり)に書き込むさきに、オフラインにてメッセージを書きて、そをいったんディスクに保存し、おもむろにアップしたるものの原本なり。

フロッピーに貼られたるラベル見れば、これらの中には20年から25年ほど昔のものも少なからず。

また14年前にウィンドウズ95を贖ひたりて後も、記録媒体は、やはりフロッピーデイスクのみの時期なむ、長く続きたりける。

時代は移り変り、いまのパソコンにはフロッピーの挿入口すらなく、フロッピーの中身を見むとせなば、外付けのフロッピーデッキを必要とするなり。

まいて、パソコン通信時代の旧きフロッピーは、パソコンにては開くことだに能はず。

記録媒体の主流は、DVDやブルーレイディスク、USBメモリー、外付けハードディスクなんどとなりて、もはやフロッピーは前世紀の遺物となりつつあるとぞ。

溜まりたるフロッピー、廃棄せむと思ひ立つに、問題は二つありけるは。

一つは、個人情報の流出をばいかに防ぐや。もう一つは、フロッピーは燃ゆるゴミなりや否や。

この二つを一気に解決せばやと、余は初めてフロッピーを分解してみたり。

まずは、プラスチックの本体を手にて捻りて、表裏を分離し、磁気フィルムの部分ぞ取り外したる(写真)。

磁気フィルムの真中の丸き金属部分を外し、薄きフィルムをハサミにて寸断す。これによりて、データなむ強制的に破壊せる。

金属部分のみ燃えざるゴミに、そのほかは、なべて燃ゆるゴミにと分別す。

フロッピーは何もせずとも、丸ごと燃ゆるゴミに混ぜて捨つるも可なり、とは清掃事務所の説明なるが、磁気フィルムにデータの残れるまま捨つるは、なにとはなしに気がかりなるものぞかし。

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2010/10/19

あまりに急ぎたるによりて、時間の止まれる男

101019a伊勢丹本店の角より、いみじう早足のさまにて、わき目もくるることなく、先を急げるビジネスマンあり。

そは、疾走とも云へるほどにて、目一杯の大股にて、ネクタイは宙を舞ひ、背広の裾だに風に靡くぞ、いとすさまじき。

いかで、かくも急ぎたるにや。アポの時刻に遅れむとするにや。

通行人らみな、振り返りざまに見遣るに、いでいで、この男、微動だにせぬこそ、怪しきことの限りなけれ。

「こはマネキンなりや」「生きたる人間ぞ」など、ささめき合へたり。

しばし見ゆるに、こは時の止まれるを細密に具現せるパフォーマンスとぞ、覚ゆる。

男の前に、帽子の転がれるありて、投げ銭入れ行く人あり。

投げ銭にのみ、この男、反応したりて、疾走の姿なむ崩すことなく、軽く会釈するも、をかしき。

宙に舞ふネクタイも、上着の裾の靡けるも、こは糊なんどにて固めたるものらし。

時よ止まれ、汝は美しき。

ファウストの悪魔と契約したりける言葉のままに、時の止まりなば、人はみな、かかる姿のまま、フリーズするにや。

時の止まりたる世界もまた、悪しくはなからまし。

己の意のままに、時の再開せむとするものならましかば。

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2010/10/14

新宿の地下道に、美しく青きクラゲたち舞ふ

101014a街をすずろにありくに、思ひかけぬ物に出遭ふことのありけるを。

新宿通りの真下通れる地下通路に、何やらん、人のあまた集まりて、さめきたり。

見れば、通路の壁に大きなる水槽の2つ埋め込みたるありて、水中には青きクラゲどもの、みやびやかに舞へる。

通行人ら、つぎつぎと立ち止まりて、「こは本物なるは」「いみじう、さやかなるかな」なんど云ひて、ケータイのカメラぞ向けたる。

こは、何かの企画なるらしきも、さだかには覚へず。

余もしばし、ひたぶるにクラゲの舞になむ魅入らるる。

クラゲは、何をか考へて、かく舞ふぞ。

楽しきことや、辛きこと、クラゲにはありや。歓ぶことや、怒れることなんど、時にはあるにや。

何ぞの欲すること、クラゲには、ありやなしや。クラゲには、そも向上心や悩み事のたぐひの、あるにや。

水槽の外側より人にて見らるること、クラゲは知りたるや。

クラゲの一生は、幸せなりや、退屈なりや。

漢字にて書けば、クラゲは海月とぞ。美しくも儚く、哀しき字面なり。

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2010/10/10

今年もまた新宿に、背高き白怪人現はる

1010102

けふは、秋の恒例行事とて定着せる新宿芸術天国の日なるに、朝のうちの雨も上がりて、大道芸の繰り広げらるる午後からは、薄日も射したり。

新宿通りには、人垣の輪の、をちこちに、あまた広ごりて、輪の中にては、なにやらん、パフォーマンスの行なはるる気配なれど、人だかりに遮られて、え見えず。

さるに、人人のいみじうどよめく方を見れば、身の丈3メートルもの白塗りの怪人の、今年もまた現はれたるぞかし。

見えにくき大道芸ばかりなる中、この怪人のパフォーマンスなむ、自ら大股にて通りを闊歩して移動してゆけば、目立つこと、このうへなかりける。

見物客いみじう喜び沸きて、ケータイのカメラぞ一身に向けらるる。

思ふに、この怪人、竹馬のやうなるもの、足にしかと繋げたるにや。

この姿にて颯爽とありき回り、あまつさへ長きコンパスにて走りもするは、なのめならぬ訓練の必要なるらむ。

仮面かぶりたるによりて、表情の眉一つ動かすことなく、また一声の発することだになきこそ、怪しさのひときは増さりて、つきづきしけれ。

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2010/10/07

金木犀の甘きかほり漂ひて秋を知る

101007aこは、いづくからにや、2、3日前より、余の家の辺りありく度、金木犀の甘き香の漂ひ来たれり。

近くなる辺に、金木犀の花の咲けるにこそあらめ、と思ひて、くまなく見渡せど定かならず。

姿なくして、かくもいみじう香るも不思議のことかな、と怪しみて、裏通りから表通りを曲がりたりけるに、ふと目の前に、いと大きなる金木犀の、ひたぶるに金色の花々咲き誇れるになむ、出遭ひたりける。

間近にても香り強きものを、遠く離れたる裏道の隅々まで、かぐはしき香りの衰えざること、さうなしとぞ覚ゆる。

金木犀の香りにて思ひ浮かぶは、幻の女流作家とて近年評価の高まれる、尾崎翠(おさきみどり、1896年-1971年)の作品なり。

彼女の小説や詩のあちこちに、木犀の登場したりけるは。

『木犀』より
厳しい邸宅の前で私たちの体は静かな木犀の香に包まれた。(中略)チャアリイは杖で木犀の香を殴りつけた。

『地下室アントンの一夜』より
「季節はずれ、木犀の花さく一夜、一壜のおたまじゃくしは、一個の心臓にいかなる変化を与えたか」-ああ、松木氏の動物学の著述の背文字は、あまりに数多くて覚えきれないほどだ。

同じく『地下室アントンの一夜』より
木犀の花は秋に咲いて、人間を涼しい厭世に引き入れます。咽喉の奥が涼しくなる厭世です。

『神々に捧ぐる詩 ヰリアム・シヤアプ』より
わがまどの
もくせいの香は、
雨ふらば
こほろぎの背に
接吻ひとつ。


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