ヘッドホン装着せではブラームス聴けず
『キューポラのある街』を初めて観しは、40年以上も昔のことなるが、オンボロだちたる京大西部講堂にて開催されし上映会なりけり。
その時の進行役なむ、のちに赤軍派議長となりたる塩見孝也にて、映画の題名を誤りて『キューポラの街』と、なでか慌て口調にてアナウンスしたりけるが、記憶に残れる。
さはともかく、『キューポラのある街』には、すこぶる印象的なるシーンの、いみじうあまたあり。
牛乳瓶の窃盗、鳩を飼ふこと、母の出産、父との諍ひ、修学旅行の断念、朝鮮人一家の帰国、労働組合、パチンコ店でのアルバイト、等等。
なかにても、余の最も心に残れるシーンぞ、吉永小百合のジュンの、友達の家にて、たはぶれに、生まれて初めて口紅を塗りてもらふところなる。
このときなむ、ブラームスの交響曲第4番の最初の部分の、静かに切々と流れ来たれるは。
汚濁せる大人社会への嫌悪。にも関はらず、否応なしに少女から大人に脱皮していかねばならぬ青春の苛酷。
ブラ4は、ジュンの内面の葛藤と哀しさを余すところなく伝へて、映画とクラシック音楽の最も優れたる融合なりとぞ覚ゆる。
ここからが本論に入るなるが、テレビの音楽番組の録画しけるをデッキにて再生せむとするに、ブラームスの交響曲はなべてバイオリンの旋律、ひたぶるに超高音域に作られたりて、高音部はほとほと聴き取ること能はず。
音量を上ぐれば、からうじて聞き取るるものの、全体の音量のあまりに大きなるぞ、うたてげなる。
思案の末に余は、ワイヤレスヘッドホン使ひなば高音部も聴こゆべしと思ひ立ち、ネットのレビューなんど参考にして、オーディオテクニカのCL550ULを贖ひたり。
ヘッドホン装着して、ブラ4の聴きてみたれば、これまで余が聴きつるは何なりや、とあさましうなるほどに、別世界の音に聴こゆ。
高音部の鮮明なるは云ふもさらなり。音のダイナミックに広ごりて、厚みと深みのある響きは、これぞブラームスと快哉を叫ぶ心地なる。
げに、ヘッドホン装着せではブラームス聴けずなりたるぞかし。
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