節電・放射能・自粛‥戦時下の帝都に似たり
けふから新年度となりぬ。
世が世ならば、咲きほころびたる桜とともに、胸はずむスタートの日なるべし。
されど、目くるめく4月の陽を浴びて、新宿駅のホームに入りたる電車の車内は、すべての蛍光灯ぞ消されて、真っ暗なる。
乗客の誰もが、この消灯の意味することの重さを知りおれり。
デパートの営業時間は6時までに短縮され、地下通路のエスカレーターなむ停止のままなる。
ディスプレイ看板の、なべて消されたる通路を、みな黙々と歩きゆけり。
かやうなる光景の、かつて見覚へある心地するは、戦時下の帝都の残像に重なれる故にや。
余の記憶に、微かに残れる戦時のさまは、敵機襲来のサイレンとともに、灯りのつゆ漏らさぬやう、ふためきて欄間に黒き厚紙カバー打ち掛けたる、ほの暗き部屋の静けさなり。
加ふるに、大気中の放射性物質の濃度、連日のニュースにて伝へらるる中に、新宿はなべて平常値よりも高めの数値となりたるぞ、いみじう不気味なる。
かの9.11から10周年を迎へる今年の春、日本にて3.11の歴史的断絶の起こりたるは偶然にや。
3.11はいま、我らの文明を強制的に転換させ、日本人のマインドとパラダイムを、根こそぎ変へつつあるぞかし。
我らはもはや、3月10日まで脈々と流れたりけるあの日常に戻ることの能はずなりにけり。
昼なほ暗き重苦しさの中、我らの行く手は阻まれたりて、日本全体が自粛と縮小の悪循環に嵌りたるかとぞ見ゆる。
ポスト3.11の日本の文明・文化・社会とは、いかなるものなるらむ。そに連なれる微かなる光は、いずこかに見ゆるにや。
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