叔父の人生閉じ、63年前の結婚式目に浮かぶ
余が、かの田舎を訪れたるは、じつに40数年ぶりのことなるは。
2時間に1本ほどのローカル線は、客もまばらにて、降りたるところは無人駅なり。
改札口もなく、用済みの切符入るるちさき小箱のあるのみなり。
駅前にはタクシーもおらず、タクシー営業所のいづくにあるやも知れず。
地図を頼りに、ひたすらに歩き往けり。
しばし往くに、「迎接式」と書かれたる看板なむ見へ来たる。
迎接式とは聞かぬ言葉なるに、こは浄土宗における告別式のことなるらし。
読み方は、「ごうしょうしき」とぞ、後から知る。
叔父の結婚式の様子、余はまだ5歳ほどなるを、母に連れられて参列せしに、まざまざと記憶に残れり。
囲炉裏のある古き農家にて、そは盛大に行はれたりき。
家に入りきれぬほどあまたの客が居並び、それぞれの前には、二の膳付きの祝ひ膳が据えられたるぞ。
子どもなる余の前にも、大人と同じ膳ありて、いと大きなる鯛のありしが、いまなほ目に浮かべる。
その時、叔父は22歳くらいかとぞ。
花嫁もほぼ同じ年頃にて、その清らにして、さやけき姿、子ども心にも、いみじうまぶしく映りたりき。
それから、63年の間、さまざまな風雪乗り越へて、夫婦は3人の子どもや孫たちに恵まれ、年輪を刻みて歳を重ね来たり。
数日前のこと、叔父はその日も元気にて、テレビの水戸黄門を見ばや、てふ話をしたるに、突然倒れたるとぞ。
長年連れ添ひたる妻と、言葉交はす間もなく、叔父はそのまま帰らぬ人となりにけり。
享年、数へ86歳なり。
叔父の妻なむ、訪れたる余の手をしかと握りしめたり。
「あなや、苦しまずに逝きたるが、せめても良かりしこととこそ」てふ。
かの日の美しかりし花嫁、いまなむ二周りも三周りもちさくなりて、可愛き嫗となりつる。
歳月は移り往き、それぞれの人生も、少しずつ変遷重ね往けり。
いま現在起きつることども、またたく間に近過去となりて、やがて過去となり、そのまま歴史となりぬ。
遠き未来も、急速に近未来となりて、足早に現在となるも、そは一瞬のことにほかならぬとこそ、思ひ知るべけれ。
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