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2011/10/02

叔父の人生閉じ、63年前の結婚式目に浮かぶ

111002a余が、かの田舎を訪れたるは、じつに40数年ぶりのことなるは。

2時間に1本ほどのローカル線は、客もまばらにて、降りたるところは無人駅なり。

改札口もなく、用済みの切符入るるちさき小箱のあるのみなり。

駅前にはタクシーもおらず、タクシー営業所のいづくにあるやも知れず。

地図を頼りに、ひたすらに歩き往けり。

しばし往くに、「迎接式」と書かれたる看板なむ見へ来たる。

迎接式とは聞かぬ言葉なるに、こは浄土宗における告別式のことなるらし。

読み方は、「ごうしょうしき」とぞ、後から知る。

叔父の結婚式の様子、余はまだ5歳ほどなるを、母に連れられて参列せしに、まざまざと記憶に残れり。

囲炉裏のある古き農家にて、そは盛大に行はれたりき。

家に入りきれぬほどあまたの客が居並び、それぞれの前には、二の膳付きの祝ひ膳が据えられたるぞ。

子どもなる余の前にも、大人と同じ膳ありて、いと大きなる鯛のありしが、いまなほ目に浮かべる。

その時、叔父は22歳くらいかとぞ。

花嫁もほぼ同じ年頃にて、その清らにして、さやけき姿、子ども心にも、いみじうまぶしく映りたりき。

それから、63年の間、さまざまな風雪乗り越へて、夫婦は3人の子どもや孫たちに恵まれ、年輪を刻みて歳を重ね来たり。

数日前のこと、叔父はその日も元気にて、テレビの水戸黄門を見ばや、てふ話をしたるに、突然倒れたるとぞ。

長年連れ添ひたる妻と、言葉交はす間もなく、叔父はそのまま帰らぬ人となりにけり。

享年、数へ86歳なり。

叔父の妻なむ、訪れたる余の手をしかと握りしめたり。

「あなや、苦しまずに逝きたるが、せめても良かりしこととこそ」てふ。

かの日の美しかりし花嫁、いまなむ二周りも三周りもちさくなりて、可愛き嫗となりつる。

歳月は移り往き、それぞれの人生も、少しずつ変遷重ね往けり。

いま現在起きつることども、またたく間に近過去となりて、やがて過去となり、そのまま歴史となりぬ。

遠き未来も、急速に近未来となりて、足早に現在となるも、そは一瞬のことにほかならぬとこそ、思ひ知るべけれ。

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