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2011/12/09

朝日新聞号外にて振り返る2011年 その2

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5月2日 オバマ米大統領は1日夜、国際テロ組織アルカイダ指導者たるオサマ・ビンラディン容疑者、パキスタンにおけるアメリカ軍の作戦により死亡したる、と緊急声明を発表。2001年9月11日の同時多発テロの首謀者とみなされきたるにより、この発表受けNYのWTC跡地にては数千人の群集、歓喜の声上ぐる。遺体はイスラム教の教義に反して水葬に付され、この措置に対して疑問の声も残れり。


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6月2日 菅政権が震災対応や原発事故対応に追はるる中、自民・公明は内閣不信任案提出し、民主内部にても小沢、鳩山グループの同調せる動きあり。窮地に立てる菅首相、「震災対応に目途つきたる段階にて、若き世代に責任引継ぎてもらひたし」と表明し、不信任案はからうじて否決されたり。菅首相、7月13日には「原発に依存せぬ社会目指すべし」と表明して反響呼ぶも、辞任の時期めぐりて、政局はごたごたが続き、8月26日に辞任表明に至れり。


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7月5日 松本復興担当相は、震災被災地訪れたる際の一連の放言の責任取りて、5日午後辞任を表明。松本氏は、岩手の達増知事との会談にて、「東北の何市がいずこの県とかや知らざるぞ」と発言。宮城の村井知事には「県にてコンセンサス取れや。さらずば、我々は何もせぬぞ」「お客の来る時は、自らが入ってから客呼べよ。分かりたるか」なんどと叱責。この様子、ニュースにて繰り返し放映されて、「何様のつもりなるや」と、被災地は云ふもさらなり、強き反発呼びたりけり。


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7月14日 フランクフルトにて13日に開催されたるサッカー女子W杯準決勝で、なでしこジャパンはスウェーデンを破りて初の決勝進出を決めたり。この試合、日本は先制を許すも、得意のパスサッカー生かし、川澄のゴールにて同点とし、沢が勝ち越し点、さらに川澄が追加点を挙げて3-1で快勝す。


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7月18日 この日の日本時間未明に行はれたるサッカー女子W杯の決勝、なでしこの相手なむ、世界ランキング1位にて対戦成績0勝21敗3分と1度も勝つこと能はざりける強豪アメリカなる。なでしこは、終始アメリカの猛攻にさらされるも、延長戦を2-2で終へてPK戦に持ち込めり。キーパー海堀は米国1人目のシュートを右足1本にて神がかり的スーパーセーブ、これにて流れを日本に引き寄せ、歴史的初優勝を決めたり。沢はMVPと得点王にぞ輝ける。惨憺たる出来事の続きたる今年、なでしこの快挙なむ日本人に感動と希望、勇気を与へて社会現象となれる。「なでしこジャパン」は今年の新語・流行語大賞に選ばれたり。


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8月29日 菅直人氏の後継選ぶ民主党代表選の投票、29日行なはれ、野田佳彦氏が新代表に選出さる。30日、衆参両院の首班指名選挙におきて、第95代内閣総理大臣となれり。自らを「どじょう」になぞらへてスタート切るも、低姿勢の安全運転に徹するあまり、「何を為さんとするにや、いっかうに伝はらず」てふ辛き評も。内閣の前には、待ったなしの社会保障改革、その財源となるべく消費税なんどの大増税、国論を二分したるTPP参加問題、行き詰まりの普天間基地移設問題、等々、難題ぞ山積したる。


【過去の関連記事】
朝日新聞号外にて振り返る2010年 その1
朝日新聞号外にて振り返る2010年 その2
朝日新聞号外にて振り返る2009年 その1
朝日新聞号外にて振り返る2009年 その2
朝日新聞号外で振り返る2008年 その1
朝日新聞号外で振り返る2008年 その2
朝日新聞号外で振り返る2008年 その3
朝日新聞号外で振り返る2007年
朝日新聞号外で振り返る2006年

とっておき号外に見るあの時(1)-昭和の終焉
とっておき号外に見るあの時(2)-元号は平成
とっておき号外に見るあの時(3)-湾岸戦争
とっておき号外に見るあの時(4)-毛沢東の死
とっておき号外に見るあの時(5)-ロッキード事件
とっておき号外に見るあの時(6)-空の大惨事
とっておき号外に見るあの時(7)-樺美智子さんの死

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