富士見坂ならぬ我が家から、富士山望める幸運
江戸時代の古地図によれば、富士見坂と名の付ける坂、江戸に15ありけるとぞ。
明治大正期には、道路や坂の整備進みて、富士見坂は20箇所になむ増しける。
現在、23区内に在する富士見坂は、23箇所なるらしきを、実際に富士の望めるは、はつか2箇所のみてふ。
うち文京区護国寺の富士見坂は、ビルの隙間から、からふじて富士の一部が見ゆるのみにて、富士山と認むる姿の望めるは、荒川区の西日暮里富士見坂ただ1箇所なり。
それも、10年余前にマンション建設に因りて、左半分隠れ、いま右半分のみ望めるを、さらにいま、大手不動産会社による超高層建築の計画ありて、やがてつゆほども見ること能はずなるべしとや。
住民ら、日暮里富士見坂を守る会なむ結成し、区長や区議会なんどに働きかけ、NHKのニュースウォッチ9にても取り上げられたり。
世界的にも、その国の最高峰の、首都よりさやかに望めるは稀有のことなりて、「眺望遺産」と位置付けるべしとの声も少なからず。
かやうに富士の眺望、東京からつぎつぎに消へゆく中、余の家からは奇跡的に、富士山の優美なる姿、ちとも欠くることなく望みたり。
こは、偶然の幸運としか云ひ様のなく、あまたの方向に超高層ビルの林立し増殖しゆく中、たまたま富士の方向に、これまで高層建築の建たざりけるによれり。
願はくは、この方向には、末々までも高層建築の建つることなく、居ながら四季折々の富士を眺めつつ、のどかに暮らしたしとこそ。
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