アカデミー賞『アーティスト』の物言はぬ迫力
アカデミー賞の作品賞・監督賞など5部門を受賞せる『アーティスト』を観てきたり。
モノクロの映画は多少の馴染みあるものの、サイレントとなるとチャプリンの初期ものやフリッツ・ラングの『メトロポリス』くらひしか記憶にあらず。
CGや3Dなんど映画制作における技術革新のめざましき現代に、モノクロにしてサイレントの映画なむ、いかなるものならむと、いささかの不安を抱きつつ映画館を訪れる。
映画は、サイレントからトーキーへの移行期のハリウッドを舞台に、サイレント時代の名優と、トーキー時代に羽ばたきゆく新進女優の物語なり。
台詞なくして最小限の字幕のみなれど、ストーリー展開分かりやすく、つきづきしく効果的なる音楽に導かれて、いつしかサイレントなること忘るる展開は、ひたぶるにいみじかりけり。
キャストの素晴らしさはさらなり、なかんづく犬の名演技は特筆すべし。
色彩も台詞もこそげ落とし、俳優たちの動きや仕草、表情、目つきのみにて、圧倒的なる迫力に満ちたる映像作品創り上げたるは、現代の奇跡ならむとこそ。
この映画観たる後に思ふは、現代社会は台詞の過剰・氾濫ならずや、てふことなり。
文学も映画も、マスメディアも政治も、不必要なほどあまたの台詞乱用したりて、そに自己満足したるきらひはなきや。
トークのみにて笑い取らむとするタレント、多弁にして内容薄き評論家やコメンテーターの多きこと、笑止千万の思ひなり。
多弁なること必ずしも多くを伝ふる能はず。寡黙なれどより深きもの伝ふることもあり。
そう云へば、アカデミー賞を競ひたる『ヒューゴの不思議な発明』も、台詞は少なめなりて、映像に語らせること少なからず。
『アーティスト』と『ヒューゴ』は、対照的なる作りなるも、ともに映画草創期の原点を描かむとすること共通なるぞかし。
二つを見比べて、いづちに軍配を上ぐるか、甲乙付け難きところなり。
どちらも観るべし、としか云ひやうのなき出来栄へなるは。
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