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2012/06/24

食パン120枚分のデザートを、昼食代はりに食す

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「パンの無ければ、いかでかケーキを食せざるや」

こは、マリー・アントワネットの言葉とてあまりにも有名なるも、彼女の言葉と定むべき資料の無く、フランス革命勃発前夜に反君主制の人々により作り出されたる架空の話かとぞ。

かくかくに、食事の代用として、デザートのみを食らふは、どことなく身分相応の一線を越ゆる感ありて、踏み出すこと容易に能はず。

されど、食ひたき時に一度くらひは食らひてみむとて、某フルーツパーラーにて、清水の舞台より飛び降るる心地にて、わななくわななく注文してみたり。

主食も主菜もなくして、ケーキ、フルーツ、アイスなんどをアートのやうに盛り付けたるに、紅茶2杯分のポットの付きたる。

周りの席は、ほとど若きレディーやオバハンたちなれど、余は目もくるることなく、ひたすらにデザートを食らひ紅茶をすすれり。

いでいで、食事代はりにデザートのみ、たらふく食らふは、かくも美味にして、脳も体も快感に浸りて満ち足るるものなるや。

完食したる後は満腹なりて、これのみにて2000キロカロリーはあらむとこそ。一食としてはエネルギー過多は間違ひなし。

タンパク質や脂肪は、ケーキなんどに使用されたる卵、牛乳、バターなんどによりて十分かとぞ。

ビタミンはいかにと気になれど、フルーツ類の豊富なれば、これもさほど心配はなからむ。

デザート・紅茶付きの代金1470円は、高きや安きや。

余が普段贖ひたるパンは、8枚切り食パンの一袋98円、クーポンにて割引して93円なり。

この食パンに換算すれば15袋分、パンの枚数にして120枚分になむ相当したる。

パンに苦しむ人民をよそに、上流階級の貴婦人たちの、かやうなるデザート、毎日食して嬌じたればこそ、革命の起こること、さもありなむ、と覚ゆれ。

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2012/06/16

平家物語全12巻を、1年数ケ月かけて読了す

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全12巻に及ぶ『平家物語』(講談社学術文庫、古文と現代文の対訳)を、去年の春より読み始め、1年数ケ月かけて、やうやう読了したりけり。

余は学生時代に一度、現代語訳のなき平家物語を全文読み切りたりし覚へあるに、その時の記憶ほとど失はれたりけるは。

記憶に残れるは、「祇園精舎の鐘の声」の冒頭部分と、維盛の都落ちで残さるる北の方の「都には父もなし、母もなし」とすがりつく部分のみにて、全体の1パーセント足らずなり。

ほかの99パーセントは、読みたる記憶まったき失はれおりて、中盤から後半にかけての、木曽義仲や源義経らの華々しく活躍する膨大なる記述は、今回読みたるによりて、初めてかやうな内容なりけるか、と知りて驚きたる次第ぞ。

巴御前や静御前の登場したるも、つゆ記憶にあらざりて、若きころは何を読みけむ、といぶかること頻りなり。

青春の読書は必須にして、得るところ計り知れずと言へるも、生半可にして皮相の読解力なること、これまたやむを得ぬことかとこそ。

この歳にして、あらためて『平家物語』読み通して驚嘆したるは、平家の台頭から滅亡までの巨大な流れの中に、多彩なる登場人物の物語のそれぞれに枝分かれしたりて、さらにその人物のドラマやエピソードへと細かく枝分かれしたるてふ、構成のダイナミックさなり。

この入れ子構造の無数の繋がりによりて、勇壮かつ壮絶なる合戦シーンから、繊細なる王朝文学のやうな雅の情景まで、ありとある知の体系を総動員し、さまざまな文体なむ使ひ分けることによりて、古今東西を通じて最大の文学に成り得たりけるにや、と覚ゆる。

時代は大きく異なるものの、この入れ子構造の見事さは、ドストエフスキーの長編文学に通じるやうな気のしたる。とりわけ、『カラマーゾフの兄弟』の入れ子構造に共通するものを見たるは、うがち過ぎなるや。

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2012/06/12

スカイツリー天望回廊からモブログす

スカイツリー天望回廊からモブログす
いま、東京スカイツリーの天望回廊にきたりて、ここよりモブログせむとするなり。

梅雨入りの直後なれば天気が心配なれど、運よく雲に入ることもなく、眺望は良好なり。

地上450メートルから眺むる景色は最高なるぞかし。

富士山は見えねど、東京ドーム、東京タワー、東京湾なんどを望める。

あたかも着陸直前の飛行機から見る地上の如し。

いったん上がりたれば、こちらのもので、何時間居たるとも自由にて、制限のなきは、いみじう善きことかな。

BANYUU

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2012/06/07

黙示録としての『火星年代記』、ブラッドベリ死す

120607a余は最近こそSFを読むこともなかりけれ、昔は名作とさるる海外SFに夢中になりたる時期ありけり。

レムの『ソラリスの陽のもとに』、ハインラインの『夏への扉』、クラークの『幼年期の終り』、ウィンダムの『トリフィドの日』なんどは、いずれ劣らぬ傑作にて、センス・オブ・ワンダーの醍醐味を堪能したりけるは。

されど、最も印象深き作品を一つ挙げよと言はるれば、余はためらふことなく、ブラッドベリの『火星年代記』を挙ぐる。

こは、地球から火星への殖民の経過と、地球人による火星人の駆逐、そして核戦争によりて地球の破壊さるるさまを火星より望める情景、等々を、詩情あふるる筆致によりて年代順に記したり。

余の手元にある初稿版では、1999年から2026年までの物語なるに、1997年にブラッドベリ自らの手により、すべての年代を31年繰り下げたる改訂版を出したりけるとぞ。

『火星年代記』の、読む者に深き感銘を与へるとともに、不思議なるデジャ・ヴュの感覚に浸るるは、いかなる故なるや。

おそらくは、火星にてもかつては生命の進化ありて、知的生命も誕生したりけむ。その歴史は地球より数千万年早ければ、火星は環境破壊によりて大気を喪失し、赤き殺伐たる星となりぬ。

火星の生命は、その後、地中にて細々と命を繋ぎていまに至るやも知れぬ。

されば『火星年代記』は、滅びたる火星文明へのノスタルジアであり、遥かなるオマージュかとも。あるひは、こは近き将来に起こることの予知夢もしくは黙示録かとぞ。

地球人が火星への有人飛行を実現した暁に、火星にて見るものは何ぞや。火星文明の痕跡か、容貌だに変はりはてたる火星人の末裔か。

『火星年代記』は、我らに問ひを投げかけ続くる。地球の生命と火星は、どこかで繋がりおらずや。火星の生命は、地球の生命体と遠き親戚関係にあらざるや。

巨匠レイ・ブラッドベリ、死す。91歳とぞ。

『たんぽぽのお酒』も、心に染み入る名作なるぞかし。

ブラッドベリの冥福を心より祈念してやまず。

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