黙示録としての『火星年代記』、ブラッドベリ死す
余は最近こそSFを読むこともなかりけれ、昔は名作とさるる海外SFに夢中になりたる時期ありけり。
レムの『ソラリスの陽のもとに』、ハインラインの『夏への扉』、クラークの『幼年期の終り』、ウィンダムの『トリフィドの日』なんどは、いずれ劣らぬ傑作にて、センス・オブ・ワンダーの醍醐味を堪能したりけるは。
されど、最も印象深き作品を一つ挙げよと言はるれば、余はためらふことなく、ブラッドベリの『火星年代記』を挙ぐる。
こは、地球から火星への殖民の経過と、地球人による火星人の駆逐、そして核戦争によりて地球の破壊さるるさまを火星より望める情景、等々を、詩情あふるる筆致によりて年代順に記したり。
余の手元にある初稿版では、1999年から2026年までの物語なるに、1997年にブラッドベリ自らの手により、すべての年代を31年繰り下げたる改訂版を出したりけるとぞ。
『火星年代記』の、読む者に深き感銘を与へるとともに、不思議なるデジャ・ヴュの感覚に浸るるは、いかなる故なるや。
おそらくは、火星にてもかつては生命の進化ありて、知的生命も誕生したりけむ。その歴史は地球より数千万年早ければ、火星は環境破壊によりて大気を喪失し、赤き殺伐たる星となりぬ。
火星の生命は、その後、地中にて細々と命を繋ぎていまに至るやも知れぬ。
されば『火星年代記』は、滅びたる火星文明へのノスタルジアであり、遥かなるオマージュかとも。あるひは、こは近き将来に起こることの予知夢もしくは黙示録かとぞ。
地球人が火星への有人飛行を実現した暁に、火星にて見るものは何ぞや。火星文明の痕跡か、容貌だに変はりはてたる火星人の末裔か。
『火星年代記』は、我らに問ひを投げかけ続くる。地球の生命と火星は、どこかで繋がりおらずや。火星の生命は、地球の生命体と遠き親戚関係にあらざるや。
巨匠レイ・ブラッドベリ、死す。91歳とぞ。
『たんぽぽのお酒』も、心に染み入る名作なるぞかし。
ブラッドベリの冥福を心より祈念してやまず。
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