夢か現か、見慣れし光景を別世界から見やる
こは夢か、うつつか。
数十年もの間、見慣れたる光景の、いま目の前に広がるは、いみじう似たるも、同じにあらず。
さらば異なるものを見つるにや、と思へど、なでかデジャ・ヴュの感強くして、やはり、かの光景の鳥瞰的引き伸ばしかとぞ。
はつかの間に、余は別世界への転生的ワープを体験したり。
一日一日、生起している事柄の、なにやら現実とも思へぬ展開は、夢ごこちにてぞ過ぎゆける。
これも現、かれも現。言ひ換へれば、これもかれも、一つところに定むることのなき、時空の奔流の残影ならむ。
ふと、西を見やれば、いでや、思ひもかけずそは富士山にあらずや。
この世界にても、何物にも遮らるることなくして、富士の高嶺を望むことの能ふるは、いとめでたきことかな。
まずは、この僥倖を喜び愛ずるものなり。
田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける (山部赤人 万葉集)
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人 新古今集)
かたや、あれに朧に見ゆるは、東京スカイツリーにあらずや。
時間的空間的ワープは、異なる複数世界の同時進行的存在を説く並行宇宙論をも想起させて、余は日々、驚きと発見の連続なるぞかし。
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