「朝びらき」てふ名前の犬を見かけたり
けふ家の近くを散策せるに、とある建物のガラス戸越に、白き犬の道路を向きて横たはるるに出会ひたり。
ガラス戸に、この犬の自己紹介文の綴られたる、いとをかし。
名は「朝びらき」にて、5才の柴犬とぞ。
犬の名に、朝びらきとは、こはいかに。
辞書をくくりてみれば、朝びらきとは、「朝、船が港を出ること、すなはち、朝の船出のこと」とあり。
今様にては、ほとど使はるることなき言葉なれど、万葉集には沙弥満誓(さみのまんぜい)の歌あり。
世の中を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
こは、無常観を詠みて絶品とさるる次の歌にいみじう似たるも、万葉集が元歌にて、そを形変へて古今和歌六帖や拾遺集なんどに収録されたるとや。
世の中を何に譬へむ朝ぼらけ漕ぎゆく船の跡の白波
朝びらきが朝ぼらけと変はり、「跡なきごとし」を「跡の白波」と置き換へたるによりて、茫漠たる無常観の切々と迫れる歌となれり。
こは平家物語に、俊寛僧都足摺のくだりにも使はれたる。
足ずりをして、是乗せてゆけ、具してゆけと、をめきさけべども、漕ぎ行く舟の習ひにて、跡は白波ばかりなり
この歌からの派生歌は数知らず、鴨長明なむ、かく詠みたる。
これも又なににたとへむ朝ぼらけ花ふく風のあとのしらなみ
朝びらきは朝ぼらけに通じ、白波へと連なり消ゆれば、深き余韻を残す。
白き犬に朝びらきと名づけたるは、げにとこそ奥ゆかしけれ。
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