東京の街路樹に、さくらんぼの実れる頃
余の家近き幹線道路沿ひ、あまたの街路樹続く中に、1本のみ不思議の桜の木ぞ立てる。
ソメイヨシノの開花より半月も早き3月初めに花開き、10日ほどで葉桜となりぬ。
何てふ種類の桜ならむと訝れど、仔細は分からぬまま、やがて大型連休を迎へたり。
先日ふと、その木を見上ぐれば、赤々と色付きたるサクランボなむ、山ほど実を結びたるは。
東京23区の中なれど、こは山形のサクランボ園かと見まがふほど、見事に鈴なりとなれり。
「さくらんぼの実る頃」という歌のあるを知るや。
作詞者のジャン・バチスト・クレマンは、詩人にして社会主義者。パリ・コンミューンの評議員なりけり。
1871年3月、ヴェルサイユ軍に包囲されしコンミューンにて、負傷せる戦士たちの介抱にあたれる若き看護婦ルイーズの姿になむ、クレマンはいみじう感銘を受くる。
コンミューンは2カ月で崩壊し、戦士たちの多くは「血の週間」と呼ばれたる大虐殺にて命落とし、ルイーズもまた犠牲となりけるとぞ。
クレマンは「さくらんぼの実る頃」の歌詞の3番までを書きつるに、4番の歌詞を書き足して、この歌をルイーズに捧げたり。
普仏戦争の敗北とコンミューンの崩壊の中、失意にくれたる市民たちの間で歌はれ始めたるが、この「さくらんぼの実る頃」なり。
以来、この歌ぞフランスの労働者や下町の人々のシャンソンとして、歌ひつがれたる。
宮崎駿監督の「紅の豚」の中で、ホテル・アドリアーノの美しきマダム・ジーナが、「さくらんぼの実る頃」を歌ひたる。
ジーナ役の声優は加藤登紀子なりて、映画の中で切々と歌ひ上げるこの歌は、アニメ史上に残れる、というよりも日本映画史に残れる絶唱なるぞかし。
加藤登紀子の夫は元学生運動の活動家なりて、獄中結婚したること、あまねく知られたり。
マダム・ジーナになりきりてこの歌を歌ふ加藤登紀子には、コンミューンの戦士たちと夫がどこかで重なりたるに相違なきや。
その夫は、2002年の7月、享年58歳にて肺がんのため他界せる。
さくらんぼの実るこの季節、加藤登紀子は静かにこの歌を口ずさみ居るやも、と余は想像す。
以下は、クレマンが書き足したる4番の歌詞の文語訳なり。
我は、さくらんぼの実る季節を、永遠に愛でむ。我の心に傷口のいみじう開きしは、この季節からなりき。
たとへ、さいはひの女神なりとも、我の苦しみを閉ざすこと、決して能はじ。
我は、さくらんぼの実る季節と、心に抱くこの思ひ出を、永遠に愛でむ。
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