世界はクリームソーダの泡の一つに過ぎず
昔、純喫茶にてしばしば注文せるクリームソーダ、急に食したくなりて、余の地域一帯を探し回れるも、いまやコーヒーショップ、ファミレスのいずこも、このメニューあらずして、もはや絶滅飲食物となれるやと思ひける。
ネットにて仔細に調ぶれば、300円にてクリームソーダのある店見つかりて、足を運びたり。
緑色のソーダ水に浮かぶバニラアイスクリームの、妙なる色合ひの清けさもさることながら、この味と食感こそまさに我が遥けき青春そのものならめ。
クリームソーダには、ストローとスプーンのふたつとも付けられたること、こは飲み物なりてしかも食べ物なるてふ両義性のあること示すかと。
ソーダの中から間断なく沸き出る泡は、上昇してクリームに接するやいなや、クリームの周りを取り囲む泡群の一粒となりぬ。
湧きいづる泡なむ、微小にして宇宙的なるスケールを持ち、仮の時間と仮の物質・エネルギーを蓄へたる。
クリームの周りに浮かぶ泡群は、可能性としてのさまざまな宇宙なりて、浮かびては消ゆる無数の泡のただの一個のみが、我々の存する現実宇宙なり。
いずこの泡の現実宇宙なるかは、見た目にては判別すること能はずして、中に存する者のみぞ認識さるる。
泡がソーダの中にて生まれしより、クリームの周りから消滅するまでの、はつか数秒から10数秒の間に、現実宇宙としての泡の中では1000億年から9000兆年が経過しおるやも知れぬ。
我々の存する宇宙の年齢の、139億年と推定さるるは、さしずめ緑色のソーダ水から上昇してクリームに突き当たりたるころかとぞ。
世の中を何に例へむ グリーンの クリームソーダの ただの一泡
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