60年目の6.15と樺美智子さん
60年安保の時、日本は戦後15年なりけるを、今年ははや戦後75年。遥けくも60年の歳月の流れたる。
されど、我らは決して忘るまじ。6.15と樺美智子さんを。
この日に起きたることと樺さんの死こそ、真の意味での戦後日本の出発点たることを。
写真右は、6.15当日の樺さん。午前中、ゼミに出席せる後、スカートからズボンに履き替へたりて、デモに加はり国会に向かふ。この写真ぞ生前に確認されたる最後の姿となりぬる。「エコノミスト」別冊「安保にゆれた日本の記録」に、婦人雑誌「マドモアゼル」提供とて掲載されたる。
写真左は、国会構内での惨劇の直後、女子学生に左腕を抱えられて横たはる樺さん。この時すでに息絶へたるとぞ。麥書房刊「ゆるせない日からの記録」より。
樺さんの葬儀の模様。アサヒグラフ緊急増刊「安保の嵐・一ヵ月」より。
翌16日付の朝日新聞特別号外。
下はこの号外の裏面の写真特集。
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