2013/06/18

戦争にて生き別れたるルイーズ、バロンのもとへ

1306182a彼の名はバロン。正式名をフンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵と云ふ。

戦争にて離れ離れとなりつる許嫁の貴婦人、ルイーズを探し続けるとぞ。

バロンの人形は、地球屋の主人にて80歳の西司朗老人が、ドイツ留学中に譲り受けたりて、バロンの悲恋のエピソードとともに中学生の月島雫に話して聞かす。

この話は、映画「耳をすませば」における最も印象深き話として、多くのファンの心をつかみ、バロンのフィギュアぞあまた作られて世に出たる。

余のもとにあるバロンのフィギュアなむ、高さ37センチと映画に登場せる人形とほぼ同じサイズにて、背広からチョッキ、ネクタイ、帽子まですべて布地にて精巧に作られたる逸品にて、限定200個てふレアものなる。

こは2年前の3.11大地震にて、棚から落下して粉々に破損され、接着剤にて復元せむとするも、いたるところに亀裂の残りたりて、元の姿には戻らざりけり。

されど、待てば海路の日和ありとやら、その後、余は奇跡的に、同じきメーカーの新品のバロンフィギュアぞ、もう一体、ゲットすることを得たる。

かくなるうへは、ルイーズのフィギュアのあらまほし、とこそ思ひ続けたれ。

これまた偶然の幸運かな、余はつひに、いともさやかなるルイーズのフィギュアのあるを見つけ、やうやうゲットしたるぞかし。

バロンとルイーズ、並べて飾りてみれば、いでいで、夢のごとし。

架空の世界における世紀の悲恋、これにてハッピーエッドかと。

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2012/07/15

満を持してブルーレイレコーダーを贖ひぬ

1207151a映像記録メディアの進化は目まぐるしく、余が15年ほど使ひ続けて来たるVHSビデオデッキに見切りをつけ、DVDレコーダーを贖いたりしは、2004年1月のことなりき。

その時の購入価格なむ、12万4800円なりて、以来、それまで録りためたるVHSテープと、新たに録りたるDVDディスクとの両刀を使ひ続くる。

4月27日のブログに書けるやうに、この間に収録したるクラシック音楽は、VHSテープ366本、DVDが247枚となりて、曲数は延べにして2660曲となれり。

これにて、クラシック音楽の録画はいちおうの打ち止めにせむと思ひしもつかの間、余はこのところ遅ればせながら、モーツァルトのオペラに目覚めたりけるは。

『魔笛』を皮切りに、『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロの結婚』『コシ・ファン・トゥッテ』をDVDにて観まくる日々なれば、音楽鑑賞における映像の役割を初めて認識せり。

それまでは、音楽におきては音質や演奏内容こそ重要なれど、演奏者の映像なんどは二の次なりて、画面を見ざるとも不自由なしと覚ゆれ。

1207152aオペラは音楽と舞台とが両輪の如く回る世界なれば、いかに音楽の音質・内容の秀でたれど、画質悪しくて舞台の見づらければ、興趣は半減せり。

今月から来月にかけBSにて、『メリー・ウィドウ』『フィガロの結婚』『ラ・ボエーム』『パルジファル』なんど、錚錚たるオペラの全曲放映さることを知り、モーツァルトであらうがなからうが、オペラは録れる時に最高画質にて録り置きたしと欲す。

かくて余は、8年余りに渡るDVD時代に見切りつけ、ブルーレイレコーダーなむ贖ひたりけるは。

ポストDVDの規格がブルーレイに統一され、レコーダーの初めて店頭に見へたる2007年ころは、価格の20万から25万円もしたりけり。

さるを地デジ化やロンドン五輪の影響にや、ブルーレイレコーダーの価格の、やうやう手の届けるところまで下がりて、余はパナソニックの今年2月発売したるBWT520(500ギガ)の新品ぞ、ネットにて3万7000円ほどにて贖ひぬ。

さきほど、テレビへの接続と設定を済ませ、これまで使ひたりけるDVDデッキとVHSデッキも視聴することの能ふやう、全面的に接続の配線を組み変へり。

テレビ台のラックには、3世代の映像記録メディアぞ、博物館のごと縦に並びたる。

この先、ポスト・ブルーレイの時代の訪れるは、何年後のことぞや。

ラックには、次の記録メディアの並ぶるスペースの、もはや無きものを。

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2012/04/07

アカデミー賞『アーティスト』の物言はぬ迫力

120407アカデミー賞の作品賞・監督賞など5部門を受賞せる『アーティスト』を観てきたり。

モノクロの映画は多少の馴染みあるものの、サイレントとなるとチャプリンの初期ものやフリッツ・ラングの『メトロポリス』くらひしか記憶にあらず。

CGや3Dなんど映画制作における技術革新のめざましき現代に、モノクロにしてサイレントの映画なむ、いかなるものならむと、いささかの不安を抱きつつ映画館を訪れる。

映画は、サイレントからトーキーへの移行期のハリウッドを舞台に、サイレント時代の名優と、トーキー時代に羽ばたきゆく新進女優の物語なり。

台詞なくして最小限の字幕のみなれど、ストーリー展開分かりやすく、つきづきしく効果的なる音楽に導かれて、いつしかサイレントなること忘るる展開は、ひたぶるにいみじかりけり。

キャストの素晴らしさはさらなり、なかんづく犬の名演技は特筆すべし。

色彩も台詞もこそげ落とし、俳優たちの動きや仕草、表情、目つきのみにて、圧倒的なる迫力に満ちたる映像作品創り上げたるは、現代の奇跡ならむとこそ。

この映画観たる後に思ふは、現代社会は台詞の過剰・氾濫ならずや、てふことなり。

文学も映画も、マスメディアも政治も、不必要なほどあまたの台詞乱用したりて、そに自己満足したるきらひはなきや。

トークのみにて笑い取らむとするタレント、多弁にして内容薄き評論家やコメンテーターの多きこと、笑止千万の思ひなり。

多弁なること必ずしも多くを伝ふる能はず。寡黙なれどより深きもの伝ふることもあり。

そう云へば、アカデミー賞を競ひたる『ヒューゴの不思議な発明』も、台詞は少なめなりて、映像に語らせること少なからず。

『アーティスト』と『ヒューゴ』は、対照的なる作りなるも、ともに映画草創期の原点を描かむとすること共通なるぞかし。

二つを見比べて、いづちに軍配を上ぐるか、甲乙付け難きところなり。

どちらも観るべし、としか云ひやうのなき出来栄へなるは。

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2012/03/05

『ヒューゴの不思議な発明』を観て来たり

120305スコセッシ監督作品の3D映画『ヒューゴの不思議な発明』を観て来たり。

アカデミー賞の有力候補と話題になりて、作品賞こそ『アーティスト』に譲りたれ、撮影賞、美術賞、視覚効果賞、音響編集賞、録音賞の5部門にて受賞せらる。

余は『アーティスト』いまだ観ざりければ比べるべうもあらねど、『ヒューゴ』観たるのみの感想とては、こはまことに作品賞・監督賞授くるとも遜色なき稀有の作品にこそ。

詳しきストーリー書けぬも、まずもって驚嘆せむは、1930年代初期のパリの広大なる鉄道駅舎と、往き来せるあまたの人人、完膚なきまでにいみじう再現したる。

こはスコセッシ監督の完璧主義の真骨頂とぞ。駅舎の匂ひや空気さへ観客席に漂ひ伝はり来る心地す。

駅舎の大時計の裏側なる歯車群や、機械人形のダイナミックにして精緻なるしつらへも、いささかの手抜きあらず凝りに凝りて、観るだにおもしろし。

登場せるジョルジュ・メリエスなる人物、余は恥ずかしながら、てっきり物語上の架空の人物と思ひて観たるは。

あとからネットで検索すれば、こは実在の人物にて、世界初の職業映画監督かつSFXの創始者なるぞかし。映画にて語られたるエピソード、ほとど実話といふも驚きなり。

この作品は、メリエスはじめ草創期の映画制作に携はりけるすべての人人へのオマージュなるべし。

映画の底に静かに流るるは、登場人物たちそれぞれに背負ひたる第一次世界大戦の爪あとなり。

夢と奇跡は、二つの大戦に挟まれたるパリなればこそ、より一層のリアリティと哀愁を帯びて、観る者の心に迫り来るらめ。

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2012/02/17

BSアンテナ、個別パラボラから共用に切り替へ

1202173a余の薄型液晶テレビは、地デジは屋上の共用アンテナから、BSデジタルはベランダ設置のパラボラアンテナから、と2系統の異なる電波なむ、それぞれのアンテナケーブルによりて、テレピ端子に接続してきたる。

さるを、先月下旬、屋上の共用アンテナにてBSの電波も、併せて受信さるるやう工事の行はれたり。

そのままにては、地デジのアンテナケーブルから、BSの電波のただちにテレビに取り込むべうもあらねば、いかにやと思ひつるに、けふ共用アンテナのBS波に対応すべく、各戸の室内工事行はれたり。

パラボラアンテナからBS波取りたるテレビ、いかにするやと見守るに、「このままでも可なれど、地デジのアンテナケーブルに分配器付くれば、共用アンテナより取りたるBS波、テレビに繋ぐこと容易なり」てふ。

「して、分配器はいかにすらむ」と問へば、「3000円にて、当方の持ちたるもの、ただちに付くらむ」と弄ふ。

いでいで、3000円とは、こはいかなるぞ。

余は当然のごと、今回の一連の作業は無料と思ひ込みたるに、しばし思案す。

すでに自らのベランダにパラボラ設置したりて、BS見ること能ふる者にとりて、共用アンテナからBS波取ることのメリットは何ぞや。

余は、「パラボラも身銭にて贖ひしものなり。これにて何ぞの不自由なきに、いま分配器に3000円出す必要、さらさらあらじとこそ覚ゆれ」と云ひ、業者いったん帰りたる。

夕さり方、薄暗くなりたるころに、再び業者訪れ、「分配器の費用、管理組合の負担によりて、無償にて付くることになりたる」てふ。

まことにや、無償ならば分配器、付けて貰ひたし、とてパラボラのケーブルはずし、分配器付けてテレビ側の調整し終へり。

余が推察するに、ほかの家々にても、分配器の有償ならば付くる必要なしと云はれ、結局のところ管理組合の負担とすることにしたるにや。

それにしても、一本のケーブル線の中に、地デジ波とBS波の両方の電波、混線だにせずに流れわたり、ちさき分配器にてきりりと分離さるるとは、掴みどころなき電波てふものの不思議なることかな。

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2012/01/23

『ALWAYS』3作目、君は知るや1964年

120123『ALWAYS 三丁目の夕日’64』を観てきたり。

こはシリーズ3作目にて、1958年(昭和33年)の東京を舞台にせる1作目・2作目から、6年の経過せる1964年(昭和39年)へと、時代ぞ移れる。

観客をいかに自然に、昭和30年代にタイムスリップせしむかが、このシリーズのポイントなるに、3作目はいよよスクリーンにて確認出来ぬくらひの細部に至るまで、凝りに凝りて64年の時代の空気を再現したり。

パンフを後から読みたれば、山崎貴監督も、鈴木オートの夫婦演ずる堤真一、薬師丸ひろ子も、奇しくも1964年生まれとは、驚きなるぞかし。

吉岡秀隆、小雪ともまだ生まれておらぬ時代なりけり。

64年を知らぬキャスト、スタッフたちによりて、現実の64年よりもリアルに時代を再現せるとは、映画ならではの魔術とこそ。

余はこの時代、いにしへの都にて、シュトゥルム・ウント・ドランクの只中にありき。

挑戦、高揚、勝利、陶酔、沈滞、背信、分裂、別離、次なる道への模索。

戦ひ済んで日が暮れて‥‥赤々と燃ゆる夕日の中、傷だらけになりボロボロの体を引きずりて、帰りし日。

なけなしの金はたきて贖いし35円のチキンラーメンに生卵入れ、湯をかけて3分間待てる、これ余にとりて最高の贅沢にして、世の中にかほど美味きものはあらじ、と感涙にむせび、わななきながら食らふ。

新幹線の開業や東京オリンピックなんどは、余とはあまりにもかけ離れたる遠くの出来事なりき。

テレビだになければ、ブルーインパルスによりて東京上空に描かれたる五輪の雲のことなむ、新聞にておぼろに知りたる。

貧しきことが当たり前の時代なれど、四方八方の無限に開かれたりて、いづくにも往くことの能ふやうな、めくるめく空気ぞ満ちたること、いまも覚ゆる。

64年を知る身には、スクリーンの64年の、いみじう上手く描かれたるに、時の鏡を見たる心地にて照れ臭く、自分史と重なりて胸に刺さるところの少なからずありけるは。

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2011/10/29

上映初日の『ステキな金縛り』を堪能して来たり

111029余が映画館に足を運びたるは、1年9箇月も前の『アバター』を最後に、久しく途絶へにけり。

さるを、けふは上映初日の『ステキな金縛り』なむ、敢然と観に往きて来たる。

三谷幸喜監督作品の5作目なること、深津絵里と西田敏行の2大スター競演なることのほかに、余が惹かれたるは、タイトルの「金縛り」なりけるは。

たれしも、若き頃は金縛りの経験持つものなるてふに、余も10代から20代にかけて、ことのほか、頻繁に金縛りに遭ひたりき。

いみじう立て続けに金縛りに陥りたるは、高校の頃にて、寝入りばなの直後、もしくは目覚めむとする前にて、意識は覚醒したるに、体全体の痺れたるやうなる感覚に襲はれて、微とも動くこと能はず。

いかにせむとも、その状態から抜け出さずんば、心臓すら停止するにや、と恐怖に駆られ、せめて指の先なりとも動かさむ、と徒にもがきたりけり。

ひたぶるに強き金縛りに遭ひたるは、なでかアメリカ産の干し葡萄食らひたる日に多かりき。

こは、葡萄粒ぞ薬品のたぐひに漬けて、乾燥状態に施したるにや、と疑ひて、そののちは、干し葡萄食はぬやうになりけり。

さても、30代ころまでは、不意に金縛りに遭ひたること、ときおりありしが、歳を重ねたれば、金縛りそのものも、いつしか経験せぬやうになりぬ。

映画の金縛りは、落ち武者の幽霊なむ、一晩中、宿に泊まりたる男の上に跨りて、その男、動くこと能はざりけり、てふことから話の始まれり。

男、殺人事件の犯人とされて、無実を証明出来る者、落ち武者の幽霊のみなるとぞ。

最近はほとど映画観ざる余も、三谷監督作品の映画なむ、『ラジヲの時間』、『みんなのいえ』、『THE 有頂天ホテル』、『ザ・マジックアワー』なんどと観たりける。

今回の『ステキな金縛り』、これまでの最高傑作にして、まがふことなく三谷ワールドの真骨頂ならむ。

西田敏行の幽霊の面白さもさることながら、女弁護士として法廷で幽霊を証人に立て、被告の無実を訴へ続くる深津絵里の素晴らしさは、特筆ものなるべしとこそ。

映画不精となりたる余も、上映中にあと2回は観てみたしと覚ゆる傑作なるぞかし。

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2011/10/20

『時かけ』挿入歌二番の難解なる謎解きに挑む

3日前、本欄に書ける映画『時をかける少女』の挿入歌、『愛のためいき』の二番ぞ、ゆかしくも不思議の歌詞なる。

この二番の、人の心、揺り動かすは、ただに詩的なる単語を並べたる故にあらずして、深遠なる意味の隠れたる故ならずや。

ネットにて調ぶれども、この歌詞の根源に肉薄せる解釈、いまだ見当らず。

そこで余は、この歌の真に意味せむがところ、我なりに徹底的に考察しやうと思ひ立てり。

一番 モモ、クリ、三年、カキ八年
    ユズは九年で成り下る ナシのバカめが十八年

二番 愛の実りは、海の底
    空のため息、星くずが ヒトデと出会って、億万年

歌詞の一番は、何事をせむにもそれ相当の年数要せる、てふ意味なること云ふもさらなり。

二番の意味せむところぞ、一番の意味するところを敷延し深化させたるにや、と覚ゆる。

まず、「海の底」てふ言葉に着目し、こは地球における最初の原始生命の誕生したる場所が、深海の熱水噴出孔のやうなところと見られることを示すらむ、と見当つけたり。

謎解く上で最も重要なるキーワードは、「ヒトデ」にこそあらめ。

「ヒトデ」の意味するものは、星型あるひは五角形のものならむ。

地球に生命の誕生するにあたり、決定的なる役割を果たしたる五角形のものとは、何ぞや。

Dna_anim2Dna_animそこで、生命体の基本中の基本たる、蛋白質やDNAの関係したるにや、と着目して見む。

このアニメーション、ふたつとも二重螺旋なせるDNAの分子模型にて、左は美しき形なるも、五角形なるものの姿、目を凝らし見れば、ちらちらと見へ隠れするも、いまひとつ、さやかにてあらず。

ならば、分子構造のいくぶん分かり易き右のものは、いかがならむ。

五角形のもの、あまた回りゆくことの、鮮明に見へざるや。

この正体を探りゆくに、DNAの基幹部分を形成するデオキシリボースてふ糖の、五角形の環の形して、リン酸と塩基に結合するところまで、辿り着けり。

五角形の環の結合体(ヌクレオチド)の延延と続くる連鎖こそ、生命体の設計図にして遺伝情報の担い手なるDNAそのものなれ。

Photo

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DNAとともに生命活動を担う、RNAの基幹をなすリボースてふ糖も、同様に五角形にて連鎖しゆくなり。

これにて、「ヒトデ」の正体、つひに明らかにされたり。

ウイルスから動植物、人間に至るまで、すべての生命体の持てるDNAなむ、「ヒトデ」の意味する中味なる。

地球上の生命体を構成する炭素、酸素などは、星の内部における核融合反応によりて生成され、星の死滅である超新星爆発によりて鉄、銅、塩素、亜鉛、リン、カルシウム、カリウム、マグネシウムなどあまたの元素の作られたるとともに、宇宙空間にばら撒かれたり。

歌詞における「空のため息」とは、超新星爆発のことを詩的に表せるものにほかならずして、「星くず」とは、かくてばら撒かれたるあまたの物質のことならむ。

それらの物質がしだひに集まりて太陽系が生まれ、6億年から7億年もの長き歳月を要して作られたる、DNAやRNAと遭遇することにより、最初の生命につながりゆけり。

「ヒトデと出会って、億万年」とは、このことなるぞかし。

最初の生命誕生を、「愛の実り」と歌ひたるは、まさに珠玉の表現なるは。

この歌詞はまこと、地球に生命の誕生したるドラマを、短き詩に凝縮したる賛歌なり。

一個の細胞の中のDNAを延ばして繋ぐと、その長さは2メートルにもなるとぞ。

人間の体内には、60兆の細胞あり。

一人の人間が持つDNAのすべてを繋ぐと、太陽系を4、5周せむ長さになるとや。

我ら一人一人の体はそれぞれに、32億対の60兆倍てふ天文学的な数の五角形の連鎖を持てり。

太古より、人が夜空の星星を見上げたる時に、遠き故郷のやうな懐かしさを感じ、星の形を五角形と認識し続けきたるは、この故ならむとこそ。

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2011/08/30

NHKが我が家のベランダより眺望撮影

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ちかごろ余の近辺にては、いみじきこと、いろいろと続きて起こりたり。

26日昼下がり、うちのマンションに、はではでしく落雷ありて、エレベーターなむ初めて停止したるに、夜9時ころやうやう回復せる。

翌27日は、一生の思い出となるらむ素晴らしき祝祭の宴に列席す。濃縮された時間のきらやかな流れと、非日常空間のきよらにして、さやけき様、げに夢の如し。

その余韻の醒めやらぬけふ、玄関のチャイム鳴る。

インターホン取りて聞けば、「NHKのディレクターにて候ふが、こはオーナー様にて候ふや」てふ。

ディレクターてふ言葉に興を持ちてドアを開け、「オーナーにはあらずも、いかなる用件なるや」と問へば、答へて云ふやう。

「番組に使用せむとて、北新宿わたりより超高層ビル望める光景、収録したく、このマンションの屋上からの眺め最適なりと見て、突然なるが、かやうに参り候ふ」とぞ。

屋上に上ること、管理組合に話通せば、容易ならむ、なんど説明するうち、ディレクター氏の云ふやう。「屋上ならずとも、こちらのベランダより高層ビルの望めるならば、こちらにて収録するも良しとこそ覚ゆれ」

名刺をいただきて、ベランダに案内すれば、「いでいで、ここからの光景、最適なるものを。とく撮影をばご許可願ひたく候ふ」と云はれ、余は「承り候ふ。いかなりとも、撮影されたし」と応じたり。

やがて撮影機材なんど運び込みて、3人のスタッフによりて、さまざまの角度から高層ビル方面を撮影していきたり。

番組は、日曜の朝8時25分からの「サキどり」で、けふ撮影せる映像は、北新宿で子育て支援する男性高齢者たちの話をまとめた番組に使用せむとぞ。

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2011/05/09

27年前、浜岡原発をゴジラ襲ひたるは正夢なりや

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いまは昔、27年前の1984年、静岡県なる浜岡原発、ゴジラの襲ひたりけることあり。

濃霧の中、東海の海からおもむろに現れたるゴジラは、厳重なる警戒網を突破したりて、浜岡原発の敷地に上陸したりけり。

管制室に詰めかけたるあまたの作業員ら、突然のことに、ふためき回れるも、せんかたなし。


1105092aゴジラは原子炉建屋をやすやすと破壊したりて、炉心の燃料棒ぞ掴み出し、放射能を己の体内に吸収し尽くしたりける。

緊急に招集されたる官邸の対策本部にては、首相を始めとして全員が、モニターカメラに映し出さるる襲撃の一部始終を見守るも、なすすべのあろうかは。

原発施設は無惨に破壊され、国内はパニックとなりて、そのすさまじき様、例を見ず。


1105093aこは、東宝のゴジラシリーズ16作目なる「ゴジラ」の前半のクライマックスなりて、映画にては「井浜原発」の名なるも、撮影に使はれたりけるミニチュアのセット、浜岡原発を精巧に模したるものなりけるとぞ。

1954年に制作されたる1作目の「ゴジラ」にては、コジラは太平洋の深海深くにて密やかに生息したるを、水爆実験にて深海を追はれ「水爆の権化」となりて東京を襲ひたりけり。

ゴジラ生誕30年を記念して制作されたる「ゴジラ」なむ、第1作と区別したりて「84ゴジラ」と呼ばれたる。

原発襲撃のシーンの撮影されたる84年は、チェルノブイリ事故の2年前なりて、原発の内在する危険にいちはやく警鐘を鳴らしたるは、比類なきものなり。

ゴジラは架空の脅威にあらず。そは人間の力の遥かに及ばざる大自然の猛威のことにて、人間の驕りと傲慢さによりて、その惨禍は幾十倍にも幾百倍にも増幅さるるものなり。

「84ゴジラ」の観客動員数は、320万人とぞ。

その観客のうち、首相による浜岡原発の停止要請出さるる日の来むことを、たれか予想したる。

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