2012/07/02

『真珠の耳飾りの少女』の刻刻と変はる表情

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東京都美術館に、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を観に行けり。

けふは本来は休館の月曜日なれど、臨時開館と聞き、さしづめ余裕にて観らるべしと行くに、この絵の前は300人を越すかといふ人だかりにて、つづら折りのロープになむ列なして、遅遅たる速度で前に進める。

やうやう絵の前に来ても、立ち止まらずに進みながら鑑賞されたし、との係員たちの声に急かされて、ゆたりと観ることの能はず。

されど、穴場の無きにしもあらずで、ロープの外側の絵に最も近き位置から、ロープ越しに身を乗り出すやうに観れば、真正面にはあらねど、はつかに右寄りの角度ながら、心ゆくまで鑑賞することを得たり。

余はこの位置を確保して動くことなく、1時間余りの間、絵を見つめ続けたり。

この少女は、いまだにモデルも判明せず、描かれたる経緯も定かならずとぞ。

最初の印象は、少女のまなざしの無垢と純真さなり。

軽く開きかけた唇は、「なにゆへに、かく吾を観るぞ」とでも言ひたげかと。

見つめるうちに、ふと少女の微笑むやうなる表情の浮かぶを感ず。

さらに見続くるに、あまたの観客に観られ続くることに、少女はある種の安堵感と満足感を覚へたるにや、とも思ふ。

最初は、何かに驚けるかと思はれたる表情に、いつしか己の美しきこと、内心にて確信したるやうな、自信と誇らしさの、ちらとよぎるは幻か。

清純なる少女ぞ、時間をかけて眺むるうちに、絵には描かれざる官能と媚の、そこはかとなく秘められたることの見ゆる。

少女は、黒き瞳や青のターバンから推して、ヨーロッパ人にはあらずして、どこか東方的なる民族の血を引けるにや。

また質素なる黄色き服からして、決して裕福なる身分にはあらじとぞ。召使あるひは小間使ひのやうな立場にありたるにやと想像す。

ふと、少女の唇が動き、かすかなる言葉の発せらるるを聞きたる心地ぞしたる。

「永遠とは、悲しきものなりと思ふことあり。吾の命の、けして終はらざること、定めにしあれど」

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2012/06/07

黙示録としての『火星年代記』、ブラッドベリ死す

120607a余は最近こそSFを読むこともなかりけれ、昔は名作とさるる海外SFに夢中になりたる時期ありけり。

レムの『ソラリスの陽のもとに』、ハインラインの『夏への扉』、クラークの『幼年期の終り』、ウィンダムの『トリフィドの日』なんどは、いずれ劣らぬ傑作にて、センス・オブ・ワンダーの醍醐味を堪能したりけるは。

されど、最も印象深き作品を一つ挙げよと言はるれば、余はためらふことなく、ブラッドベリの『火星年代記』を挙ぐる。

こは、地球から火星への殖民の経過と、地球人による火星人の駆逐、そして核戦争によりて地球の破壊さるるさまを火星より望める情景、等々を、詩情あふるる筆致によりて年代順に記したり。

余の手元にある初稿版では、1999年から2026年までの物語なるに、1997年にブラッドベリ自らの手により、すべての年代を31年繰り下げたる改訂版を出したりけるとぞ。

『火星年代記』の、読む者に深き感銘を与へるとともに、不思議なるデジャ・ヴュの感覚に浸るるは、いかなる故なるや。

おそらくは、火星にてもかつては生命の進化ありて、知的生命も誕生したりけむ。その歴史は地球より数千万年早ければ、火星は環境破壊によりて大気を喪失し、赤き殺伐たる星となりぬ。

火星の生命は、その後、地中にて細々と命を繋ぎていまに至るやも知れぬ。

されば『火星年代記』は、滅びたる火星文明へのノスタルジアであり、遥かなるオマージュかとも。あるひは、こは近き将来に起こることの予知夢もしくは黙示録かとぞ。

地球人が火星への有人飛行を実現した暁に、火星にて見るものは何ぞや。火星文明の痕跡か、容貌だに変はりはてたる火星人の末裔か。

『火星年代記』は、我らに問ひを投げかけ続くる。地球の生命と火星は、どこかで繋がりおらずや。火星の生命は、地球の生命体と遠き親戚関係にあらざるや。

巨匠レイ・ブラッドベリ、死す。91歳とぞ。

『たんぽぽのお酒』も、心に染み入る名作なるぞかし。

ブラッドベリの冥福を心より祈念してやまず。

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2012/05/14

モーツァルト『魔笛』を初めて観て、病みつきに

120514a余は中学のころより、クラシックファンの端くれを自認するも、いかなるにや、これまで50年以上も、モーツァルトの歌劇を観しこと一度もなかりけり。

序曲や名高きアリアなんどは、時折、耳にすることはあれど、全曲を通して観ること、いまだに食はず嫌ひにて、敬遠し続けたるは。

もとより、手元にはモーツァルトの三大オペラ全曲はじめ、『後宮よりの逃走』なんどの全曲公演をTVより録画したるDVDあるも、宝の持ち腐れとなりて観る機会ぞなかりける。

6年ほど前のこと、これらのDVDの中から、まずは『コシ・ファン・トゥッテ』を観てみむと、意を決して臨みたることあり。

あなや冒頭から、真っ赤なミニスカートの女たちと、背広にネクタイ姿の男たちによる、アメリカンミュージカルのやうな現代風読み替え演出に、余の期待は深き失望に転じ、観るのを止めたりけり。

これに痛う懲りたる余は、ほかのモーツァルトのオペラも、同様の読み替え演出をしたるにや、と疑心暗鬼になり、もはや観ることもなく、さらに歳月なむ過ぎゆける。

今回は、たまたまYouTubeにて、Pa-Pa-Pa-Pa-Paと題する奇妙なる歌の映像ありて、観てみるにいみじう面白く、何てふ曲やらむと見れば、『魔笛』の中の『パパパの二重唱』とぞ。

されば、余は手元に保存せる『魔笛』全曲のDVDぞ、初めて観てみたり。

いでいで、余はこれほど素晴らしきモーツァルトを初めて知りぬ。さらに、古今東西を通して、かほど面白きオペラはほかにあらじ、と驚嘆するにいたれり。

かくて、余はこのところ手元に3種類ある『魔笛』全曲のDVDなむ連日再生して、ひたぶるに魔笛の虜になれる。

どれも、奇怪なる読み替え演出はなく、余のやうな全き初心者は安心して楽しむること、なによりなり。

全曲を通して観るに、『パパパの二重唱』こそ、まさにクライマックスなりて、この場面は鳥肌の立つほどの感銘を覚ゆれ。

昨日、さらに2種類の『魔笛』全曲DVDを贖ひて来たり。

このオペラは、モーツァルト自身の指揮によりて初演されたるは1791年のことなりて、それから220年も経ちぬるとや。

余は、このオペラを知らぬまま一生を終ふることなく、遅まきながらもやうやう『魔笛』にめぐり会いたること、望外の喜びなるぞかし。

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2012/04/13

子規が「藤の花房みじかければ」に込めたる意味

1204132aa高校の時に習ひたる近代短歌の中で、余がひたぶるにいみじと思ひたりけるは、子規が藤の花を詠みたる歌なるは。

 瓶にさす 藤の花房みじかければ 畳のうへにとどかざりけり

国語の教師曰く、この歌は、「畳のうへにとどかざりけり」と詠むことにより、畳のうへにあと少しで届くほどに藤の花房の長きことを描写したる、と。

「みじかければ」と詠みつつも、瓶から撓りて垂れ下がりたる長き花房を想起させしむとは、いかなる非凡の歌詠みなるや、と余は少年ながらに感心したるものなり。

この歌について、けふ村田邦夫著の近代短歌要解てふ古き解説書見るに、まったき異なる角度からの視点ぞ綴られたる。

子規は、重症の肺病にて、仰向けに伏したる位置より、机上の藤の花を見上げおれり。

「畳のうへ」とは、子規の頭の位置にして、子規自身の位置にほかならずと。

「とどかざりけり」は、活けられたばかりの藤の花の若さに対する、子規からの遠さを示したりて、そのへただりなむ、一種の焦燥感を子規に感じさせたるらむ、と。

著者はこの歌を、子規の「忠実簡潔なる描写のなかに人生の真実相を直視せむとする態度」の具象化されたりける、と評す。

かかる視点より読めば、単なる写生を超へる壮絶なる歌にほかならず、とこそ覚ゆれ。

たまたま街ありけば、花屋の店頭に鉢植並ぶ中、藤の鉢植、一鉢のみあり。

花房は一房なるも、600円と手ごろなれば、贖ひてきたり。

 瓶ならぬ 一房の藤 子規偲ぶ

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2011/06/17

1本の葱贖いて、ふとグルーシェンカのこと思ひ出せり

110617aけふは、珍しく葱なむ1本贖い来たる。何に使ふといふ当てもなし。

じっと葱を見るに、ふと初音ミクのネギ、思ひ浮かび、そこで妄想は一転して、『カラマーゾフの兄弟』における1本の葱の挿話へと飛ぶ。

こは、小説中に重層的に散りばめられたるあまたの挿話の中に、ひときは強き印象を与ふるくだりなり。

話は、ゾシマ長老の死の直後、アリョーシャが友人ラキーチンに誘はれて、グルーシェンカのもとを訪れた時に、彼女がアリョーシャに語り出せる。

「われ、ラキートカには、葱与へしことありなどと威張りてみせたれど、なれには自慢せず。なれには、ほかなる目的にて語るなり。こは、ほんの寓話なるも、いみじうよき寓話なるは。われ童のころ、いま家にて料理女ぞしたるマトリョーナより聞きし。
いさ、かやうなる話なり。
『昔のことなり。一人の心ざま悪しき女ありて、死にけるとぞ。死してのち、一つの善行だに残らざれば、悪魔たち、その女つかまへて、火の池に放りこみけり。その女の守護天使、つと立ちて、何ぞ神様に報告能ふべき善行なしやと考ヘるうち、やうやう思ひ出したりて、神様にきこえまつりけるやう。かの女、野菜畑にて葱を1本抜き、乞食女に与へしことありき、と。ほどに、神様、かく答へたまへり。ならば、その葱取り来たりて、火の池なる女に差しのばせやるべし。そにつかまらせ、引き張りてみむ。もし池より女、引き出せたりければ、天国に入れてやるべし、もし葱のちぎれたれば、女、いま居る場所にそのまま留まらせるべし、と。天使、女のもとに走りて、葱を差し伸べてやりぬ。いさ、女よ、こにつかまりて、抜け出るがよし。さて天使、ゆるゆると引き張り始めたり。しかるに、ほとど引き上げむとするきはに、池に居たるほかの罪人ども、女の引き上げられゆくを見て、ともに引き出してもらはむとて、みな女にしがみつきけるとぞ。されど、その女、心ざま悪しければ、足にて蹴落としにかかれり。「われこそ、引き上げられむとするなれ。わぬしどもにはあらず。こは、われの葱なるは。わぬしのにあらずよ」 女、かく云ひ放ちたる途端、葱、ふつと千切れたりけり。かくして女、火の池に落ち、いまだに燃へ続くる。天使、泣き出して立ち去りぬるとぞ』
かくは、その寓話なり。アリョーシャ、われは、そらにて覚へおり。なんとなれば、われ自らが、心ざま悪しきその女なるぞかし。ラキートカには、葱を与へしことありきと、威張りてみせたれど、なれにはことなる言い方せむ。われ、一生を通じて、あとにもさきにも、そのあたりの葱与へたるのみなり。われの善行ぞ、ただそれだけなるは」

物語はこのあと、草庵に戻りたるアリョーシャ、神父の朗読するガリラヤのカナの話聞くうちに、夢うつつの状態にて、やがてゾシマ長老の声ぞ聞ける。

『新たなる葡萄酒を、新たにして偉大なる喜びの酒を飲まむ。いでや、かくなるあまたの客は。いさ、新郎新婦も居れり。そは賢き料理頭なり。新しき葡萄酒なむ味見せむとすなる。なでか、われを見て驚きぬるや。われは葱を与えたりけり。かくてここに居るなるは。ここに居るおほかたの者は、はつか1本の葱を与へたるに過ぎざりけり。はつかに1本ずつ、小さき葱なるを‥。われらの仕事はいかならむ? なれも、もの静かなるおとなしきわが坊も、けふ、渇望せる女に葱を与ふこと能ひたりけり』

『カラ兄』の中にて、1本の葱の持つ思想的意味は、予想以上に大きなるもの、あらざらんや。
われもまた、一生におきて、ちさき葱なりとも与えしことありや、と自問したりけり。

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2010/05/13

12年間探し求めたるシャヴァンヌ画集を入手

100513aいとどいみじう久しく探し求むれど、さらさらに見つけることの能はざる物あり。

余にとりて、その最たるもの、シャヴァンヌの画集なりたりけり。

ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(Pierre Puvis de Chavannes 1865-1918)ぞ、その画家なる。

初めてパリのオルセー美術館を訪れし時、あまたの名画・名作の燦然と居並ぶ中に、ひときは余の心に残りたる一連の絵画あり。

いずれも、余の目にしたりけることなき絵画にて、オルセー1階右側なる幾部屋かのスペースに、10点ほどが展示されてあり。

こがシャヴァンヌの作品とは、初めて知りぬ。

淡き色彩、静謐にて幻想的なる雰囲気、なでか遠き夢に見しことあるやうなる、懐かしき光景。

余は時の経つも覚えず、シャヴァンヌのコーナーにくぎづけとなりて佇みぬ。

この時より、余は大きなる書店に寄るたび、シャヴァンヌの画集しもあるにや、と探しありきたりけり。

シャヴァンヌの絵の何点か収められたる画集はあれど、シャヴァンヌのみにて1冊をなす画集は見つからず。

ネットにても調ぶれど、そも日本で発売されたりける形跡、見当らず。

かくて12年の歳月の過ぎ往きて、ほとほと諦めかけ居りたるに、このほどやうやう、海外にて刊行されたりけるシャヴァンヌ画集を見つけ、げに運良くもゲットするを得たり。

いでや、この画集には、素描も含めてシャヴァンヌの作品約150点なむ収められたる。

我が国にては、いまなほ印象派人気の圧倒的なるに、シャヴァンヌはマネらと同時代ながら、作風は印象派とも写実主義とも異なりて、象徴主義と位置づけられたるとぞ。

象徴主義は音楽におきては、ドビュッシーに多大なる影響を与へたりけるとされており、かく言はれてみれば、シャヴァンヌ画集を括りてみやるほどに、「牧神の午後への前奏曲」なんどの、遥か彼方にて鳴るを聴きたるがごとき心地こそしたれ。

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2009/09/29

デルヴォーの幻想的エロスに陶然となりき

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けふは渋谷のBunkamuraにて開催したる「ベルギー幻想美術館」を観に行きぬ。

余の目的は、ポール・デルヴォーの一連の絵画、なかんずく、大作の『海は近い』(写真)なり。

この絵は、今回の美術展の目玉なる傑作にて、この一点のみとても観る価値ありき。

海に近き夜の市街。かなたに月光かがやき、街灯が不思議の街を淡く照らす中、七人のをみなたちの全裸、半裸、着衣それぞれなるが、永遠に止まりし時間の中で佇み居れり。

まず目に入るは、美しきをみなの足のみを覆ひたるが、ベッドに横たわれる妖しき肢体なり。

このをみなの、恥じらひがちにして恍惚のさま、いかでかならむやと、余はあまたの妄想かきたてらるるを禁じ得ず。

絵の中央にて、全裸なるをみなの斜め正面を向きしが、電柱と街灯との間に立ちてやや俯きぬは、エロス際立ちて、このをみなは生乙女にて違ひあるまじと直観せり。

会場の解説によらば、デルヴォーの、かように官能的かつ扇情的なるをみなたちを描き続けたるは、母親が彼に云ひし言葉の「をみなは心を惑はす悪魔にて、をのこを破滅させるべし」によりける影響大なりしとぞ。

デルヴォーは、をみなへの憧れと恐れとのはざまから、現実にはけしてあり得べからざる光景に理想のをみなたちを創出しけむにや。

をみなたちが、清らかなるさまに描かるれば描かるるほどに、無防備なる乳房やヘアは、匂ふばかりの官能にて観る者を挑発して止まず。

余はをのこなれば、かくなる刺激を受けて喚起さるるも理ありと覚ゆるなるが、をんなの観客にありてはいからんや。

デルヴォーの絵に接して余はかく悟りぬ。清楚と淫靡、清純と淫乱、淑女性と娼婦性。一見相反するがごとくに見ゆるこれらの概念こそ、をみなにありては、紙一重もしくは等しきことの別なる云ひ方なれ。

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2009/09/11

ゴーギャンの大作『我らいずこより来るや‥』を鑑賞しき

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けふは国立近代美術館に行きて、ゴーギャン展を鑑賞したり。

余は、ゴーギャンにはさほど関心はなかりしかど、ただ一つ、『我らいずこより来るや、我ら何者なるや、我らいずこに行くや』てふ長きタイトルの大作の、本邦初公開なりけるを一目見ばやとぞ思ひける。

この大作のタイトルは、余が二〇〇四年に出版したる『人間なしで始まった地球カレンダー』の、まへがき冒頭にて引用せしに加へ、二〇〇八年に出版したる『サヨナラ愛しのプラネット 地球カレンダー』の冒頭にても仏語と和文にて掲載しけるものなり。

余は、このタイトルが持てる哲学的かつ深遠なる響きにいみじう魅せられたりけるが、そのつけられし絵画を見でいかでタイトルのみを語る能はざるや。

会場は平日なれど会期末が迫りたることもありて、あまたの入場客にて混雑しけり。

作品は余が想像せしよりはるかに大きなる壁画なれば、いかにして日本の会場まで運びけむ、と驚き禁じ得ず。

絵の雰囲気、静謐にして緊迫感と安堵感が混じり合ひ、ゴーギャンの文明批判の極地にあらんとぞ見ゆる。

旧約聖書なる禁断の果実のモティーフ描かるるとともに、青き色にてひときは目立つ偶像は仏教的なるを思はしむ。

描かれし人物は十三人ほどなるが、偶像も含めてなべてをんなばかりのやうに余には感ぜらるなり。をんなこそが世界の根源なるにや。

赤ん坊も裸のをんなも着衣のをんなも、どの人物もさほど楽しげなるはなかりて、生くることの哀しきを思ひて神妙なるやうにも覚ゆ。

こは観る人によりて、いかようにも解釈され得べきにして、解決能はざる人間存在の不可思議を、永遠に問ひつづけて止まざる絵にこそあらめ。

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2009/05/16

89年ぶり公開、久米民十郎『支那の踊り』の衝撃

支那の踊りこの絵の前に立った時、時空を超えて蘇った魔力のようなパワーによって、ぐいぐいと絵の中に引きずり込まれていく感覚に襲われた。

日本のモダニズムの先駆者といわれる洋画家、久米民十郎(1893年-1923年)の最高傑作で、長い間行方が分からなくなっていた『支那の踊り』である。

2年前に東京・文京区の永青文庫で、改修工事のため倉庫の整理をしていて、古い毛布に包まれたこの絵が見つかり、今年1月に大正絵画史の専門家に見てもらったところ、大正9年(1920年)に帝国ホテルで開かれた久米民十郎の個展に出品されて以降、存在が知られることのなかった『支那の踊り』に間違いないことが分かった、という。

この絵は、今年3月末から永青文庫で開かれている「近代絵画、セザンヌから梅原、安井まで」と題する企画展(6月21日まで)において、実に89年ぶりに公開されている。

久米民十郎は、ロンドン留学中に詩人イエイツやエズラ・パウンドと出合い、日本の能を紹介して彼らの創作に影響を与えたとされている。

『支那の踊り』は、実に不思議な雰囲気を漂わせながら、見る者の心を、感覚を、感性を衝撃的なまでに揺さぶり続ける。

絵に引き込まれているうちに僕は、ちょうど前回前々回のブログで書いた尾崎翠の『第七官界彷徨』を読んでいる時に感じたものと共通の感覚にとらわれた。

この絵は、尾崎翠の世界と同じワールドなのではないか。それはまさに、人間の第七官にひびく絵であり、尾崎翠が文学で目指したものを、久米民十郎は絵画で追求したのではなかろうか、という気がする。

久米も尾崎も、大正から昭和初期に続くほぼ同時代に、モダニズムの空気をたっぷりと吸いながら、当時の主流であった自然主義に背を向けて、シュールで幻想的な世界を創出していった。

久米民十郎はイギリスから一時帰国をしていた横浜で関東大震災に遭って、30歳の若さで夭折した。尾崎は、36歳の若さで長兄によって東京から鳥取に連れ戻され、その後は創作活動を断って75歳で死去した。

時代の先駆者でありながら、自然災害や家庭内の事情によって、創作活動の遮断を余儀なくされた2人の無念を思う。

永青文庫久米民十郎の『支那の踊り』が公開展示されている永青文庫は、JR目白駅からバスで6つめで降りて徒歩5分ほどのところにあり、ひっそりとした緑の中にタイムスリップしたかのように佇むレトロモダンな館だ。

今回の企画展の梅原龍三郎や安井曽太郎の絵も見ごたえがあるのだが、久米民十郎の『支那の踊り』1点だけを見るためにも、ぜひ足を運ぶことをお勧めしたい。

僕は、600円の入場券の代わりに、期間中は何度でも入館出来るパスパートを1000円で購入した。

まだ1カ月以上の期間があるので、散歩がてら何度か訪れてみようと思っている。

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2009/05/04

GW中も、尾崎翠の世界にどっぷりと

0905041今年のGWは、尾崎翠の世界にどっぷりと浸り、どこまで行っても果てのないような尾崎翠の宇宙を浮遊している。

前回の記事の後、僕はついに『定本 尾崎翠全集上下』(1998年、筑摩書房)をネットで購入した。

現在は絶版になっている全集だが、ネットの古書店で箱入りオビ付きの美本を見つけ、ようやく手にすることが出来た。(写真)

オビに書かれた中野翠さんの言葉は、「尾崎翠は取り憑く。心を奪う。魂を魅入らせる。それも晴朗な空のように」。

この素晴らしい装丁の全集を見るにつけ、尾崎翠が生きている時にこれが刊行出来ていたら、どんなにか彼女は嬉しかっただろうか、と思ってみたりする。

0905042さらに、前回の記事に記した後、僕は引き続きさらに尾崎翠の研究書を探し求め、以下の本を入手して(写真)集中的に読んでいる。

『尾崎翠の感覚世界』(加藤幸子 創樹社、1990年)

『尾崎翠』(群ようこ 文春文庫、1998年)

『鳩よ! 特集尾崎翠 モダン少女の宇宙と幻想』(マガジンハウス、1999年)

『尾崎翠論 尾崎翠の戦略としての「妹」について』(塚本靖代 現代文芸社、2006年) 

まだまだほかにも尾崎翠研究本は出ているようだが、昔の本ほど入手が難しくなっている。

尾崎翠研究は、このところ女性からの解析や問題提起が相次いでいて、それぞれ独自の視点からの丁寧な掘り下げは読み応えがある。

群ようこさんは巻末にこう書いている。

--私は「第七官界彷徨」を読んで、日本の小説はこの一作でいいとすら思ったこともある。

僕もそうだが、同じようなことを思った人たちは多いのだろうな、という気がする。

こうした解説本・研究本によって、尾崎翠ワールドの不思議な魅力の根源が、さつざまな角度から解明されてきてはいるが、研究が進めば進むほどに、解明が進めば進むほどに、尾崎翠とその文学世界はますます底知れぬほどの広がりと奥行きの深さを見せてきているように思う。

尾崎翠研究、とりわけ『第七官界彷徨』についての研究と解析は、これからもさまざまな人たちによって続けられていくのではないだろうか。

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